写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

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2009年09月24日 | 生活・ニュース
 新政権が発足して早や1週間。鳩山首相は早速国連総会やG20首脳会議に出席するためにアメリカに旅立っていった。国際舞台での活躍を大いに期待している。
 一方、この1年間毎日テレビで見せられていた麻生さんの顔が全く見られなくなった。衆院選で歴史的な大敗を喫し、表舞台を去ったのだから当然と言えば当然である。毎朝、登院前にキャップをかぶり、若くて屈強そうなSPを数人引き連れての散歩をしている様子は何度も放映されていた。
 休日のショッピングであろうが、外食時のレストランであろうがどこに出かけても周りにはいつもSPが付きっ切りの護衛をしていた。それほどまでに大切で重要な人物として国が扱ってきたということである。
 今、麻生さんはどうしているのだろう。毎日新聞紙上で独特の似顔絵や発言を目にしていたが、このところ麻生さんの「あ」の字も出ていない。権力者の交代とは、かくも劇的で冷徹なものだということか。
 朝の散歩はどうしているのだろう。お供のSPがつかなくなり、ワンちゃんでも連れて歩いているのだろうか。変わりやすい秋の空を眺めながら、いと侘しさを感じているに違いない。
 権力のど真ん中にいるときには、麻生さんがいなければ何も決められない最終決断者であったろうに、その座を退いたとたん誰も振り向いてはくれない。代わりの誰かがちゃんとやってくれている。
 頂点を極めた多くの権力者が陥るという取り扱いの落差によるストレス。じっと耐える以外に策はない。首相までやった人が去っていっても、前日と同じように陽は昇り始発電車は車庫を出る。世の中昨日と何も変わらないで回っている。所詮は1/120,000,000 。「俺がいなくても代わりの誰かがちゃんといる」。