写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

栗拾い

2009年09月17日 | 季節・自然・植物
 今朝、新聞を取りに出たとき、早朝散歩をして帰ってくる人に出会った。「急に涼しくなりました」というと「散歩に出かけるときは寒いくらいですよ」と返す。それもそうだろう、来週はもう彼岸の中日を迎える。
 昼前に、お墓の掃除に出向いた。いつもは、周りの墓がきれいになっているのを横目に、遅く来たことを申し訳なく思いながら掃除をしていたが、このたびは少し早すぎるくらいのタイミングで掃除に行った。
 周りのどの墓を見ても、枯れたままの花が差してある。山際にある我が家の墓地にはいつものことながら、たくさんの枯葉が散らかっていた。ふと足元を見ると、大きな栗のイガが落ちている。はち割れたイガから膨らんだ栗の頭がのぞいている。どのイガも栗の実がいっぱいだ。
 墓掃除を一時中断して、栗を拾い集めた。イガから飛び出た実も拾う。この季節に今まで何度も墓掃除に来たが、こんな恩恵に浴したことはない。もぬけのからのイガが落ちているのを見たことはしばしばだ。
 これまでも、この墓地には毎年栗の実がたくさん落ちていたのだろう。掃除に来る時期が遅かったので、先に参った人が持ち帰っていたに違いない。初めてこんないいことに巡り合えることを知った。先んずれば人を制す、とはこのことか。
 栗の木の持ち主が誰だか知らないが、わが墓地に落ちていたものを拾うのだからこれは許されることだろう。数えてみると13個ものイガと、20個ばかりの実を拾っていた。そういえば、春にお参りした時にはタケノコが1本生えていた。そして今度は栗だ。
 祖父母と父母が眠る墓地から、私は春と秋の季節ごと旬の贈り物をいただいている。落ちているとはいえ人様のものをもらうのは、イガの中に3個入った真ん中の栗の実のように少し肩身が狭い気はするが、今年初めての栗ご飯でも炊いて、秋の夜長、父母の思い出話でもしてみよう。