写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

KKDH

2009年09月21日 | 生活・ニュース
 1990年代の前半、千葉県の臨海にある工場で設備管理の仕事に携わっていた。バブルがはじけ、国全体が「変革」をキーワードに従来のやり方を大きく変えて乗り越えていこうという時であった。
 当時、職場で何を変えれば効率が上がるのか、何をすればコストが下がるのか、何をやれば品質が上がるのか、何を変えれば少人化が出来るのか。毎日議論しながら方策を考えマニュアルを作り一つ一つ実行に移していった。
 2年がたち、3年が過ぎたころには見違えるような成果を出すことが出来た。各人の優れた発想と乗り越えようとする意欲と実行力は見ていて感激するほどであった。大変革は掛け声だけでなく、目に見える形で見事具体化することができた。
 直後、私はその職場を去って遠くへ転勤し、何年か経って定年退職をした。退職の前日に当時の後輩たちが、額に入れた色紙を送ってくれた。開けてみると、その職場のリーダーとなっている12人の男がそれぞれに一言書いてくれている。
 その中の一つに、今読んでみても的確だと思う言葉がある。「Rさんのおかげで設備管理の仕事のKKDHが変わりました。勘・経験・度胸・ハッタリから、感性・改革・データ・ヘッド(頭)に」と書いている。
 そういえば、40代半ばの頭の少し薄くなりかけた男たちを前にして、毎朝、変革への掛け声を繰り返していた。その中の一人が書いている。「『毛を抜いても気を抜くな!』『頭はヘルメットをかぶるためにあるのではない。考えるためにある』 は、今も私の座右の言葉です」と。今思うと、いい加減な言葉を吐いていたものだ。でも、それをみんなが楽しみながら笑って聞いてくれていた。
 ある目標に向かって、苦しいながらも全員で取り組んだあの職場。私のサラリーマン時代を代表する仕事の一つだったと自己評価している。色紙をくれた仲間に感謝・乾杯! 
(写真は、書斎の壁に掲げた「後輩からの色紙」)

栗拾い

2009年09月17日 | 季節・自然・植物
 今朝、新聞を取りに出たとき、早朝散歩をして帰ってくる人に出会った。「急に涼しくなりました」というと「散歩に出かけるときは寒いくらいですよ」と返す。それもそうだろう、来週はもう彼岸の中日を迎える。
 昼前に、お墓の掃除に出向いた。いつもは、周りの墓がきれいになっているのを横目に、遅く来たことを申し訳なく思いながら掃除をしていたが、このたびは少し早すぎるくらいのタイミングで掃除に行った。
 周りのどの墓を見ても、枯れたままの花が差してある。山際にある我が家の墓地にはいつものことながら、たくさんの枯葉が散らかっていた。ふと足元を見ると、大きな栗のイガが落ちている。はち割れたイガから膨らんだ栗の頭がのぞいている。どのイガも栗の実がいっぱいだ。
 墓掃除を一時中断して、栗を拾い集めた。イガから飛び出た実も拾う。この季節に今まで何度も墓掃除に来たが、こんな恩恵に浴したことはない。もぬけのからのイガが落ちているのを見たことはしばしばだ。
 これまでも、この墓地には毎年栗の実がたくさん落ちていたのだろう。掃除に来る時期が遅かったので、先に参った人が持ち帰っていたに違いない。初めてこんないいことに巡り合えることを知った。先んずれば人を制す、とはこのことか。
 栗の木の持ち主が誰だか知らないが、わが墓地に落ちていたものを拾うのだからこれは許されることだろう。数えてみると13個ものイガと、20個ばかりの実を拾っていた。そういえば、春にお参りした時にはタケノコが1本生えていた。そして今度は栗だ。
 祖父母と父母が眠る墓地から、私は春と秋の季節ごと旬の贈り物をいただいている。落ちているとはいえ人様のものをもらうのは、イガの中に3個入った真ん中の栗の実のように少し肩身が狭い気はするが、今年初めての栗ご飯でも炊いて、秋の夜長、父母の思い出話でもしてみよう。

焼き餃子

2009年09月16日 | 食事・食べ物・飲み物
 我が家から200m、国道2号線沿いに長崎ちゃんめんの店があった。10年も営業していただろうか。奥さんが出かけて行った日、時に利用することがあった。野菜がたくさん入っていて私の口によく合うおいしいちゃんめんだったが、梅雨を前にして閉店した。
 梅雨が明けたころから、店の改装が始まった。外装も内装も手を加えていた。何になるのか、散歩の都度立ち寄っては眺めていたらラーメン屋に変身した。
 昨日、奥さんが出かけていった昼、そろそろオープンしているころではと思い出かけてみた。「開店オープン」の旗が並んでいる。オープン初日であった。入ってみると満席に近いが、カウンター席が一つ空いていて、そこに案内された。
 初日だからだろう、客も多いが店員も多い。大きな声で「いらっしゃいませ~」「こちらにどうぞ」「お客さん2名入られます~」「ご注文入りました」などの声が店中を飛び交う。
 味噌ラーメンと5個の焼き餃子を注文した。私の定番の昼食メニューである。時間をおかず出てきた。う~ん、麺は太く妙に弾力があり、味噌の味は濃過ぎてからい。餃子を箸で挟むと、ふにゃっと柔らかく、こんがりとはしていない。
 口に入れてみてもカリカリした食感がない。何れもまずくはないが、私には向いていない。
 何よりも、焼き餃子のなよっと湿ったような感じを好まない。こんな焼き方を好む人がいるから、こんな状態で提供されるのか。それとも不本意にもこんな焼き方で出されたのか。
 今までいろいろな店で焼き餃子を食べてみたが、パリパリに焼かれたものを提供する店は少ない。私が唯一納得できる焼き餃子は、スーパーで売られている「味の素の冷凍餃子」を自分で焼いたやつか。これならパリパリのおいしい羽根つき餃子が確実に食べられる。
 それにしても、おいしいパリパリ餃子を出してくれる店、どこかにありませんかね~。「味の素の冷凍餃子」ばかりでもねぇ。

キャッチボール

2009年09月15日 | 生活・ニュース
 夕方、散歩して家の近くまで帰ってきたとき、男の子がグローブを持ってコンクリートの壁に向かってボールを投げているのに出会った。この子とは数ヶ月前に初めてキャッチボールをしたことがある。「キャッチボールやろうか」「はい」。話はすぐに決まった。
 グローブを持って遊んでいる人に出会うと「ちょっと私にもやらせて下さい」と、過去に何度も公園で遊んでいる親子のグローブを貸してもらったことがある。工場勤務の現役時代の昼休みには、夏であろうが冬であろうが毎日ソフトボールをやっていたほどの野球好きである。。
 28年前に買った私の分身のようなグローブを持ち出して、男の子と広場に行ってキャッチボールを始めた。この子には祖父はいるがお父さんがいない。「何年生になった?」「6年です」というが、まだ幼さが残るかわいい顔だ。
 「スポーツは何をしているの?」「水泳を習っています」。野球はあまりやっていないようだ。ボールの投げ方を見ても体を正面に向けてぎこちなく投げる。「体は横に向けて、こうやって投げるんだよ」と、にわかコーチをする。
 「ボールを取る時には、高いボールはグローブをこう向けて、低いボールはこう向けてとる」と、キャッチングの基本から教える。何とか投げてとる格好がつくようになった。ただ一人が壁に向かって投げているだけではキャッチボールにはならない。
 思い起こせば、私がこのグローブを買ったのは、息子が10歳と5歳の時。休みの日にはよくキャッチボールをして遊んでやった。いや私自身が楽しんでいたようにも思う。6年の男の子とキャッチボールをしながら、ずい分昔、自分の息子と遊んでいたころを懐かしんでいた。ちょうどその時、男の子の祖父が自転車で通りかかった。「遊んでもろうとるんか、ええのう」。子供が少し恥ずかしそうな顔をして笑った。
(写真は、28年前に買った「現役グローブ」)

面接試験

2009年09月14日 | 生活・ニュース
 昼すぎエッセイ同好会仲間のIさんが電話をしてきた。「今からちょっとお伺いしてよろしいですか。同好会に入りたいという人の面接試験をしていただきたいのですが……」という。
 会員は「面接試験」と言うが、入会を希望する人にはどの人とも一度顔を合わせて会の運営の実態をお話し、それに納得同意していただける人にだけ入会してもらうようにしている。
 入会した後で「こんな会なら入らなければよかった」というようなことのないように努めているつもりである。そんな狙いでやっている顔合わせが、誰が名付けたか内輪では「面接試験」と呼ばれている。
 30分後、まだ部屋の片づけが終わりきっていない中、インターホンが鳴った。奥さんも話に入り4人での歓談が始まった。このたびの入会希望者は年齢不詳だが、会員の平均年齢よりは少し若いだろうか。長年、短歌をたしなんでいる。先般お勤めを卒業したばかり。すらりとして知的な女性であった。
 勤めていた職場では、毎日新聞掲載の「はがき随筆」を愛読しており、会員のエッセイはよく読んでいましたと、嬉しい言葉。この一言を聞いただけで「面接試験」は問題なく無事合格。「一緒に楽しくやりましょう」と、目いっぱいの笑顔で言っておいた。
 訳あって古くからの会員が1名退会したため、代わる人を探していたが、いい人が入会してくれることとなった。「会のメンバーは、私以外はみんな優しくいい人ばかりです。勉強会よりも、どちらかというと親睦行事の多い会です」と、紹介しておいた。
 10月の定例会から出席とのこと。今からエッセイを書いてみようと胸ふくらませた新入会員のイメージを壊さないよう、会員の皆さん、どうかしばらくの間、少し真面目に勉強しましょう。秋の夜長、時にはテレビを消して鉛筆持って、さあ今宵はエッセイを書いてみませんか。
(写真は、新しく加わった「花水木のつぼみ」)