まつたけ山復活させ隊運動ニュース

 松茸は奈良時代から珍重されてきたが、絶滅が心配される.松茸山づくりは里山復活の近道であり里山の再生は松茸復活に繋がる.

まつたけ山復活させ隊NEWSLETTER 635

2011年08月30日 |  マツタケの林地栽培 

まつたけ産業で地域おこしを! 京まつたけ復活・里山再生市民運動

 9月3日(土)午前10時、岩倉香川山にて 第302回マツタケ山づくりを行います.第303回は、同じく9日(金)の10時の開催です。 開催日の連絡が変則になっています。

 中国は昆明で、マツタケの生態研究者とその食文化の研究者が一堂に会して マツタケの起源と伝搬を探る国際会議を開きます。その間、残念ながら、岩倉の活動を欠席せざるを得ないためです。  
 マツタケのシロに復活してくる細菌のことを知るために、上から供給されるバクテリアのトラップになる葉面で生活する細菌を調べていたころ、マツタケのルーツ、チベット高原からシャングリラを探検しようと、応用植物学研究室下等グループの先輩達と時に触れ話し合ったものである。

 その実現には、思いも一入のものがある。 そんな経緯を、ごく簡単に載せます。

まつたけ山復活させ隊参加者の皆さん!
支援者の皆さん! 読者の皆さん!
   
 京都では、古くから、秋になったら季節と親しむ松茸狩りをしたい、また、まつたけが、食べてみたい食材の一番手と位置づけられ、特別視されてきた.そのため、京都市左京区岩倉尼吹山をマツタケ研究のフィールドとし、濱田 稔先生や弟子たちの多様な調査・研究がなされた.そんなことから、京都はマツタケ研究の聖地、また、まつたけの聖地といわれる.

 日本の復興と経済成長の象徴として開催された東京オリンピック開催年である1964年10月に、故濱田先生が代表を務めるマツタケ研究懇話会が、『マツタケ-研究と増産-』と題して総合的な研究の成果を京都で出版した.
 この本には、高度経済成長期の乱開発よるアカマツ林の減少と、その一方で進む農業技術の変遷と林業不振でアカマツ林の質の劣化に拍車がかかり、マツタケの生産量が如実に落ちてきた事実とそれへの対応について議論がなされている.さらに、濱田門下生たちによる科学的な研究・調査に基づくデータの集積によって、生理・生態など謎の多いマツタケのベールが少しずつ剥がされて来たことが分かる.
 マツタケ研究は、微生物生態学、根圏研究、外生菌根研究の展開を背景としてその影響下に発展を見てきたと言える.
 微視的生物を「見る」、「培養する」という欲望は、濱田 稔によって、マツタケの襞部分の組織培養法確立として1955年に結実した.マツタケのシロを、解析を意識して、最初に掘ったのは田代であったが、その後は、濱田稔主導で「根を掘らない菌根研究」が続いていた.
 小川 眞と相良直彦らはシロの試掘を試みていた.本格的なマツタケのシロ掘りは、1964年10月、京都市左京区の京都大学上賀茂演習林でなされた.参加者は濱田 稔、小原弘之、小川 眞、土居祥悦で、マツタケのシロで、幅30cm、深さ70cmの溝を掘り、シロ解析調査を多角的に始めたのである.世界で初のことだった.小川は真菌類の、小原は細菌類の生態調査を、土居は土壌構造調査を目的としていた.  
 この予備研究から、一つの完全な輪状のシロを掘って微生物生態学的調査をする必要性と重要性が認識され、(a)年間を通じて一つのシロの定点観察、(b)気候風土の異なるマツタケのシロの比較研究、(c)宿主植物の異なるマツタケのシロの比較研究、(d)マツタケ近縁種のシロの微生物の生態調査、(e)ほかの外生菌根性担子菌類のシロの比較などが計画された. 
 その計画は、日本中のアカマツ林で実行され、その知識の蓄積は必然的に海外調査を要求もした.マツタケのシロの生理生態学的研究の始まりである.一連のマツタケのシロの微生物学的研究は、子実体形成に関与する菌根を含む部位を、Zone of physiologically Active Mycorrhizae(AMZ;活性菌根帯) と名付け、細菌が完全に消失し、シロの形態は時間と共に菌根未形成の宿主根圏と活性菌根圏、脱離菌根圏と枯死菌根圏などの部位に区別できることなどを明らかにした.
 シロを細菌相の変化で見ると、土壌固有の細菌が、菌根形成という微生態系の大きな変化に伴い排除され、その後の空中や腐植層由来の細菌の侵入定着という一連の流れが見える.また、活性菌根を微生態系の中心に据えることにより、茸輪を作らない菌根菌にもシロという概念で比較研究ができるようになった(小原弘之;吉村改変)。
 

 濱田門下生達は、夜、それぞれの仕事が終わると一室に集まり、マツタケ論議を楽しんだものである.その中で、マツタケの起源は、チベットからシャングリラに掛けての高原にあり、将来必ずその調査をやろうと誓ったものである.今回、その夢が実現した思いである. 

 私は、その後、1990年から2005年まで、岩手県岩泉町でマツタケの生理生態を研究することになり、その成果を「ここまで来た!マツタケ栽培」(トロント刊)という本で世に問うた(2004).その本をトロントの福士義彦さんが、田辺直子さんに贈ったのである.田辺さんは、雲南まつたけについての報道番組を取材・制作した人だ.その番組もパートナーと2人で雲南まで出かけて作った力作だった. 
 
 懐かしい思い出のあるまつたけが出てくる私の本を読んだ田辺さんは、仕事で来日していた楊 慧霊さんにも渡してくれた.これがきっかけで、日本語の上手な楊さんは、ほとんど「待つだけ」「採るだけ」で、山の環境が荒れはじめていると感じていた雲南のまつたけ山の現状と、日本の国産まつたけが激減している厳しい状況、それに対する私の復活へ向けた考えや提案、実践を知り、「日本の失敗の轍を踏んではならない」と、中国の採集者や仲介者、商社、行政など関係者向けに翻訳、出版を思い立ったのだ. 
 eメールで訳語の検討などを何回も何回も重ねながら、ようやく2007年10月に翻訳本は完成.その後、昆明で出版記念会が行われることになり、出掛けることになっていたが、直前の2008年5月に起きた四川大地震で中止となった.2008年12月5日、東京都内のホテルで中国・雲南省の省政府商工部門と省都・昆明市にあるまつたけ専門商社の官民共催による、雲南省産まつたけの新ブランド名「グリーン松茸」を日本に大々的にアピールするプレゼンテーション、説明・発表会が開かれた.翻訳本の出版祝いと私の雲南省国際商会松茸分会「高級顧問」就任の披露も兼ねていた. 

 私は、マツタケ研究発祥の地、京都市岩倉で、市民と「マツタケ山復活させたい」活動を展開し、ところ構わずマツタケの起源調査を訴えていた.そこに、アメリカの文化人類学者AnnaTsingさんと佐塚志保さんが、マツタケの食文化を眺めたいという思いで取材にお越しになったことがある.彼らにも、雲南がマツタケ起源の地であり、調査を共同で行うことを話し合ったりもした.雲南で会うことになっている. 
 中国雲南省は、植物の多様性にも恵まれた地域で、多くの栽培植物の起源地でもある.マツタケにおいても、そのようで、多様な宿主のマツタケが見られる。このマツタケが東へ南へ西へと遺伝的変異を伴いながら伝搬したといえるだろう.その利用については、日本において、関西特に京都で特異な食文化を形成している.この切り口についても濱田や小原や小川が言及しているが、文化人類学的立場から議論が進行するだろうからその展開も楽しみである.

 この運動の共催者でもある京都大学マツタケ研究会の三代目代表の大石高典さん、彼は文化人類学の研究者だが、この研究会を主催し、今回の国際松茸学術会議開催にも大いに努力を戴いた.日本からは若いマツタケ研究者、山中高史さん(森総研)と林 剛平さん(京大農)が参加する.朴 一男さん(在日朝鮮人科学技術協会中四国支部会長)には、朝鮮科学院に呼びかけ、朝鮮研究者の参加に道を付けて戴いた.彼らの研究報告は、とりわけ、私たちのマツタケ研究で調査が不十分な朝鮮のマツタケの実態を国際的に明らかにしてくれるだろうから、大変興味が持てる.

 今回、マツタケの専門家が、針葉樹・広葉樹に発生するマツタケのシロの調査をし、貴重な試料の採取も行えるだろう.国際ワークショップの発表者・参加者それぞれの専門的立場から討論が深化し、また、今後、採取試料の分析も進むだろう.新しいマツタケ学が、一歩を踏み出すように思いたい. 

最後になりますが、京都大学地域研究統合情報センターからは、われわれの渡航費等の援助をいただきました.ここに記して御礼といたします.                           

                                                  2011年8月30日
                                                   吉 村 文 彦
                                         マツタケの起源を探る国際学術調査団
                                        


☆カンパありがとう!
 
京都の文化・景観を守るために、里山林整備に 努力しています.

☆カンパお願い: 運営は皆さんのカンパで成り立っています! 
カンパの振込先
 氏名:  まつたけ十字軍 代表 吉村文彦
 銀行名: 京都銀行 山科中央支店 口座No. 普通預金 3698173

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§開催予定日 2011年9月-2012年1月
回               報告
304    2011年09月03日    土    池内   
305    2011年09月09日    金    榎本   
306    2011年09月17日    土    三輪   
307    2011年09月23日 金    宮崎     食当:男厨派 杉山廣行さん(予定)

308    2011年10月01日    土    榎本   
309    2011年10月07日    金    三輪   
310    2011年10月15日    土    池内   
311    2011年10月21日    金    榎本    食当:男厨派
312    2011年10月29日    土    宮崎 京都造形芸術大学生参加 

313    2011年11月04日    金    三輪   
314    2011年11月12日    土    池内   
315    2011年11月18日    金    宮崎   
316    2011年11月26日    土    榎本     食当:男厨派   

317    2011年12月02日    金    三輪   
318    2011年12月10日    土    宮崎   
319    2011年12月16日    金    榎本    忘年会

320    2012年01月07日    土    池内
321    2012年01月13日    金     宮崎       
322    2012年01月21日    土    三輪
323     2012年01月27日    金    榎本     食当:男厨派


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§活動拠点へのアクセスなど
(参加ご希望の方は事前に電話下さい、090-6227-4305.また2011年1月1日付ブログ565号を読んでおく必要があ

ります.)
活動場所:京都市左京区岩倉村松町138-20 京都バス停留所「岩倉村松」から北東へ450m徒歩6分) 活動開始は

,午前10時頃から終わりは午後4時頃.自由参加可能 ただしコアータイム昼食時は参加のこと.
アクセス:
京都バスの「岩倉 村松行き」に乗車.
このバスに乗車するには、
ア)JR京都駅七条口から(バス停「C6」番、所要時間約60分)
イ)阪急京都線四条河原町駅から(四条河原町交差点河原町通り北へ上ル東側(40分)
ウ)京阪本線出町柳駅から(加茂大橋東詰め北へ上ル西側、約30分)
エ)京都地下鉄烏丸線国際会館から(3番出口からバスターミナル1番)約15分
(地下鉄烏丸線はJR京都駅、烏丸四条、烏丸御池、国際会館などに停車)
§参加費は無料;ただし、消耗品費は皆さんの浄財カンパで成り立つ、或いは必要に応じて徴收.食材費(実費)+
消耗品費として現在 400円を徴収.

参加や見学希望の方(見学するためには)、2011年3月8日付ブログをお読み下さい.
○まつたけ十字軍運動とは何をする?
○まつたけ山復活させ隊活動への参加方法は
○私達のマツタケ山造り(作業方法)の特徴
 作業内容と作業区の紹介
○今年の予定と目標?

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§主 催
まつたけ十字軍運動
代表 吉村 文彦(マツタケ生態学)
京都市山科区御陵岡ノ西町38-27
090-6227-4305 matsutake10@gmail.com

香川理化学研究所
代表 香川 晴男

§共 催
京都大学マツタケ研究会
代表 大石 高典

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