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100年たっても世界が忘れない日露戦争

2008-10-22 03:33:48 | Weblog
日露戦争を、“日本の存亡の危機”として、
重要に考えている国々があることに触れてきた。
フィンランドトルコで、どちらもロシアと国境を接して、
戦争状態にあり、長い間、抑圧されていたり、仇敵であった。

フィンランド人は、つぎのように言っていた。
「ロシアのバルチック艦隊が日本へ向かったときに、
これで、日本は敗れて、ロシアの植民地になるものと思っていた。
ところが、日本は勝ったから(1905年)、フィンランド人は喜び、
大いに勇気づけられました」
そして、帝政ロシアが弱体化して倒れた1917年独立宣言をした。

トルコ人は、つぎのように言っていた。
日露戦争を単なる戦争の勝利だけではなく、
「日本がロシアの植民地になることを防いだ歴史の転換であり、
あわせて、中国、韓国への侵出による植民地化をくい止めた。
アドミラル・トーゴーが有名になって、
多くの子どもにトーゴーという名前がつけられました」
アドミラル・トーゴーとは、
日本海海戦を指揮した提督、東郷平八郎である。

日露戦争を、“日本の存亡の危機”として、
重要に考えている国は、まだ、ある……イギリスである。
イギリス人のジェフに言われた。
「今度は、日本がイギリスを助けて、“100年前の恩返し”をする番だ!」
――100年前の恩返し? いったいなんのことだろう。
“日露戦争”のことだった。

“100年前の恩返し”とは、こうである。
「日本が日露戦争に勝って(1905年)、
ロシアの植民地にならずにすんだのは、イギリスのおかげだ。
日露戦争に負けていたら、こんにちの日本はなかった」

「日本海海戦で、日本艦隊はバルチック艦隊を破ったが、
その日本艦隊の軍艦は、ほとんどがイギリス製だ。
イングランド西部のバロー、東部のニューカッスルで建造した。
アドミラル・トーゴーの乗った旗艦“三笠”はバロー製だ」

「アドミラル・トーゴーがイギリスに留学して、
軍艦や兵器、軍事作戦などの軍事力を学んだ。
イギリスから買いつけた軍艦兵器と学んだ戦術を使って、
日本はロシアに勝つことができた。
有名な“トーゴー・ターン”は、
イギリスに留学したときに学んだ戦術だ」

それで、戦艦“三笠”がある横須賀の記念艦「三笠」に行ってみた。


つぎのような説明がある。
「明治時代の日本には、戦艦を建造する能力がなかったために、
イギリスに“三笠”の建造を発注した。
イングランド西部のバローにあるヴィッカース造船所で造られた」
――ジェフの言うとおりだ、三笠はイギリス製だ。

日本は、「海軍はイギリス式」とする国策によって、
世界一の海軍国イギリスから戦術を学び、軍艦を買っていた。
“トーゴー・ターン”とはT字作戦で、動く模型がある。
直進してくるバルチック艦隊に、日本艦隊は平行になって
撃ち合うのではなく、艦砲が届く8千メートルのところで、
急旋回して横一列になって進路を防ぎ、“T”の字になって、
直進してくるバルチック艦隊をつぎつぎと攻撃して、せん滅した。

売るものは、絹しかなかった貧乏な日本が、
イギリスやアメリカから戦費を調達して、その金で、
イギリスから軍艦や大砲などの近代兵器を買って、
国の興亡をかけて、大国ロシアと戦争をして、
日露戦争に勝ったが、それには、イギリスの貢献があった。

日露戦争に負けていれば、ロシアの植民地か、
国土の割譲を、覚悟しなければならなかった。
――たしかに、日露戦争は、日本の“国存亡”の危機であった。
当時のアジアは、列強によって財産を奪われ、
国土をむしばまれ、植民地化が進んでいた。
もし、日本が負けていれば、同じ運命をたどっていた。

日本の勝利に勇気づけられ、希望が得られた国々の説明がある。
蔑視(べっし)されていた有色人種が、
初めて白色人種を打ち負かしたから、
虐げられていたインド中国などのアジアが勇気づけられた。

「のちに、インドの初代首相になったネルーは、
日本の勝利に血が逆流するほど歓喜し、
インド独立のため命を捧げる決意をした」

「中国の“建国の父孫文は、
アジア人の欧州人に対する最初の勝利であった。
この日本の勝利は全アジアに影響を及ぼし、
アジアの民族は極めて大きな希望を抱くに至った」

フィンランドには、“東郷ビール”があると聞いていた。
提督シリーズの一つとして、東郷平八郎を称えたものだ。
それで、デパートメント・ストア、ストックマンを
探してみたが、“東郷ビール”は見つからなかった。
日本料理レストラン“古都”、“歌舞伎”にもなかった。
――東郷ビールがあれば、売れるのに。話題にもなるし。
東郷ビールは、記念艦「三笠」の売店で復刻版が売っていた。

――日本に親しみを感じる商品だ。芸者チョコレートのように。

日露戦争は、中学生のときに、年号と東郷平八郎を覚えたが、
世界を歩いて、見て、聞いてみると、
世界は日露戦争を重要なできごととして考えていた。
日本存亡の危機だった、
―「海軍はイギリス式」とした、
軍艦兵器をイギリスから買った、
大国ロシア小国日本が破った、
東洋人西洋人に初めて勝利した、
ロシア列強から独立するきっかけになった、
と、100年たっても世界が忘れない日露戦争となっている。

イギリス人が求めた“100年前の恩返し”は、
自費出版した『世界がみる日本の魅了と通知表』
を参考にしてください。
日本からの恩返しで、イギリスが再興できたことを含めて、
“100年後の恩返し”を求めたイギリス人、
を載せてある。さらに、
“100年後の恩返し”をしてくれたトルコ人、
“世界一の学力”で国を復興するフィンランド人、
“モデルは日本”と近代化を進め、幸せを感じている中国人、
についても、記載してある。
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