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井戸尻遺跡群の土偶が重要文化財に

2015-03-29 00:00:55 | Weblog
井戸尻遺跡群の坂上遺跡から出土した土偶が、重要文化財になる。
「造形が優れ、保存状態も良好で、縄文中期の土偶として貴重」と評価された。

高さ23センチ。井戸尻考古館所蔵。絵はがきから、2011年。

「さァ、明るい、陽を迎えよう!」
と、大らかに、両手を広げ、上向きが、いいではないか!
造形バランスや細密な文様も評価された。
この土偶の愛称はない。

八ヶ岳山麓の土偶とその仲間は、
国宝が2点、重要文化財が2点になる。
国宝は、「縄文のビーナス」と「仮面の女神」、
重要文化財は、「土偶」(坂上遺跡)、
土偶の仲間として、井戸尻遺跡群の藤内遺跡から出土した、
「巳を戴く神子」(へびをいだくみこ)がある。

土偶の時代と地域2015年の表を作成した。


土偶の「」をみると、最初は破片だったり、十字形の板状だった。
それが、「縄文のビーナス」に見るように、
縄文時代中期から、立像になった。

土偶の「地域」をみると、東日本である。
西日本からは、縄文時代晩期にわずかにある。
これは海底火山が大爆発して、火山灰が積もり、
植生がなくなって、縄文人が住むことができなかった。
6300年前の「鬼界カルデラ」(きかい)の大爆発である。

八ヶ岳山麓からは、
「縄文のビーナス」国宝、
「巳を戴く神子」重要文化財、
「土偶」(坂上遺跡) 重要文化財、
「仮面の女神」国宝、
と、造形美に優れ、精神性の高い土偶が、
1,000年~1,500年にわたって生まれている。

縄文のビーナス」、日本最古の国宝。

高さ27センチ。棚畑(たなばたけ)、遺跡。尖石(とがりいし)縄文考古館所蔵、茅野市。
「ふくよかで、どっしりしていた!」

仮面の女神」、国宝。

高さ34センチ。中ッ原(なかっぱら)遺跡。尖石縄文考古館所蔵、茅野市。
「堂々として、歩きだしそうだ!」

井戸尻考古館へ行った。富士見町。2015年3月25日。

入口にある⇒黒曜石は、そのままだった。

八ヶ岳山麓から出る黒曜石から、狩猟生活には欠かせない矢じりを作った。
矢の先に着ける石鏃(せきぞく)は、生活必需品である。

井戸尻考古館が変わっていたのは、
坂上遺跡の土偶が重要文化財になることを祝う、ポスターがあった。


国重要文化財に指定されます!
と、喜びにあふれている。
「坂上(さかうえ)遺跡出土 土偶」

スタッフが土偶の説明をしてくれた。
「坂上遺跡は、井戸尻遺跡群の一つです」
井戸尻遺跡群」。富士見町井戸尻考古館発行の「井戸尻」から。

色で囲われたところが縄文遺跡。
土偶が出土したS坂上遺跡が載っている。
こうして、きちんと調査をしてあった。
出どころがはっきりしている。

「S坂上遺跡は、JR中央東線の西で、国道20号線の間にある」
「現地に坂上遺跡の標識はないから、知っている人でないとわからない」
「反対側の、JR中央東線の東で、中央自動車道の間には、T藤内遺跡がある」

「T藤内遺跡からは、199点の土器類が重要文化財に指定されている」
巳を戴く神子」(へびをいだくみこ)、重要文化財。

藤内遺跡(とうない)。井戸尻考古館所蔵。絵はがきから、2011年。
土偶の仲間としたが、どうでしょうか? 祭祀に使われた。

神像筒形土器」(しんぞうつつがたどき)、重要文化財。

縄文時代中期(約4700年前)、藤内遺跡。井戸尻考古館所蔵。絵はがきから、2011年。
単なる入れ物ではなく、祭祀に使われた。

スタッフは、さらに説明してくれた。
「S坂上遺跡は、◆井戸尻考古館の近くにあるI井戸尻遺跡、
R曽利遺跡などとともに、井戸尻遺跡群を形成している」
井戸尻遺跡。2011年12月撮影。

竪穴住居の先に富士山Fが見える。Hは鳳凰三山。

「土偶は、頭、胴、下半身の3つに分かれていた」
「農面道路を拡張、整備しているとき(1974年)に、
の跡とみられるくぼみから見つかった」
このことから、「土偶」は祭祀(さいし)に使われた。
「4500年前で、縄文時代中期になります」

坂上遺跡の土偶が、「縄文のビーナス」や「仮面の女神」に共通するのは、
集落から一つだけ出土する大型の土偶で、シャーマンが保有した。
「縄文のビーナス」は安産や子孫繁栄、豊穣、
「仮面の女神」は、死や再生の祀りに使われた、
シャーマンが亡くなり、副葬品として埋葬された。

「重要文化財に指定されるニュースで、問い合わせや訪問者が増えている」
「4月21日~5月10日まで、上野の国立博物館に展示される」
「5月中旬から、井戸尻考古館に展示される」

「井戸尻遺跡群」の東北は八ヶ岳、南は富士山になる。
八ヶ岳

中央は編笠岳。井戸尻考古館付近から。2015年3月25日。

富士山南アルプス

富士山F、鳳凰三山H、甲斐駒ヶ岳K。井戸尻考古館から。2015年3月25日。

「井戸尻遺跡群」は八ヶ岳山麓にあって、
富士山を望み、付近には湧水が豊富だった。
井戸尻とは井戸が湧き出す終端という意味です。
縄文人には、生活しやすいところだった。
と、スタッフは説明する。

縄文時代に、もっとも優れた芸術を生んだ、八ヶ岳山麓の、
縄文王国諏訪を上から眺める。杖突峠(つえつきとうげ)から。

八ヶ岳は、北八ヶ岳の蓼科山T、北横岳K、
南八ヶ岳の天狗岳N、横岳Y、主峰の赤岳A、権現岳Gなどが見える。
蓼科山Tの左は、黒曜石の出る和田峠~霧ヶ峰に連なる。
街は、左が茅野市で茅野駅C、右(南)へ原村、富士見町と続く。その先は山梨県。
茅野駅Cの手前には、中央自動車道が左から右に伸びている。

土偶の遺跡の位置
①は、国宝「縄文のビーナス」の「棚畑遺跡」、茅野市。
②は、国宝「仮面の女神」の「中ッ原遺跡」、茅野市。
③は、「縄文のビーナス」と「仮面の女神」を所蔵する、
 「尖石縄文考古館」、茅野市。
 標高は1,085メートル(EPSONのWristable GPSで)。
④は、重要文化財「土偶」の「坂上遺跡」、
 重要文化財「巳を戴く神子」の「藤内遺跡」、標高は973メートルと、
 所蔵する「井戸尻考古館」、富士見町。

①~④の距離を測った。
①「縄文のビーナス」の棚畑遺跡 ⇒ ②「仮面の女神」の中ッ原遺跡は、
 車のメーターで4.7キロメートル、
②「仮面の女神」の中ッ原遺跡 ⇒ ③「尖石縄文考古館」は、
 車のメーターで4.6キロメートル、
③「尖石縄文考古館」 ⇒ ④「井戸尻考古館」は、
 地図上から15キロメートル。
八ヶ岳山麓から、優れた芸術性を持つ土偶、精神の「道具」が創造された。

①~④の土偶や土器は「祭祀」に使われた。
祭祀として、目ざましいものに「阿久(あきゅう)遺跡」がある。
巨大な「祭祀場」は、縄文の時代観をくつがえすものとなっている。
⑤は、国の史跡、「阿久遺跡」。5000年~6500年前の縄文時代前期

「阿久遺跡と縄文人の世界」、長野県立歴史館発行から。
阿久遺跡の後方は八ヶ岳。

⑤「阿久遺跡」原村、6500年前は、
北の③「尖石縄文考古館」、茅野市と
南の④「井戸尻考古館」、富士見町の間にある。そして、
⑤「阿久遺跡」の文化は、北の①「棚畑遺跡」と②「中ッ原遺跡」や、
南の④「井戸尻遺跡群」の縄文時代中期~後期、5000年~4000年前の、
文化の隆盛へと、つながれていった。

直径120メートルの桁外れの規模の「祭祀場」が見つかって、
縄文の時代観をくつがえすものとなった。
規模が、あまりに大きいことから、
阿久遺跡だけにととまらずに、八ヶ岳山麓一帯の、
「祭祀場」であり、人が集まって交流したところとされている。
広場には、シンボルとして、高さ1.2メートルの立石と、
蓼科山に向かって、直線的に並ぶ8つの列石があった。

「阿久遺跡」には、
大環状集石群(ストーンサークル)のほかにも、
縄文の時代観をくつがえすものがある。
高床式掘立柱建物である。

長野県立歴史館(千曲市)に、阿久遺跡を復元した阿久ムラがある。2012年撮影。
高床式の掘立柱建物が、縄文時代前期に存在していたことは、全国から注目された。

縄文時代中期の日本の人口は27万人で、
八ヶ岳山麓は山梨県を含めて17万人だった。
諏訪地方は日本一で、全体の10パーセントを占めていた。

八ヶ岳山麓は、縄文人が住むのに必要な、
太陽が注ぎ、水が湧き、食料が豊富にあった、
それに、道具「やじり」を創る「黒曜石」が、
和田峠、霧ヶ峰、八ヶ岳山麓から出た。

人口のほかに、縄文時代中期の「遺跡数」は、長野県が日本一だった。
長野県が2,700で、岩手県が500弱、山梨県が300強だから、
長野県は突出している。長野県でも、
特に八ヶ岳山麓の諏訪が多い。

八ヶ岳山麓の縄文人は、
生活の「道具」を作り、
精神の「道具」を作った。
ともに画期的で、美的に優れ、
国宝になり、重要文化財になっている。

優れた「縄文文化」を生んだ「縄文王国」諏訪は、
2500年、すばらしい美術品を創造して、
日本の文化の中心地だった。
縄文時代の文化の頂点を極めた八ヶ岳山麓の、
「縄文王国」は、世界遺産にしてほしい。
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