万里の長城の終わりは、山の自然の要塞につなげていた、
ことを、前回の『オアシス都市の写真を撮りたい』で書いた。
万里の長城の終わりを見たい。
嘉峪関城の北7キロメートルにある懸壁長城。
近くの岩場に駆けあがって撮った。
――この先、万里の長城はない。
万里の長城の終わりは、急峻な山という、
自然の要塞につなげていた。
ただし、これは復元した懸壁長城で、本物はさらに西にある。
右後方には、砂漠の中の緑、オアシス集落があって、
山、万里の長城、ゴビ砂漠、オアシス集落は、
映画のセットのようだ。
つぎに、嘉峪関城の南7キロメートルでは、
万里の長城の終わりは、河という自然の要塞につなげていた。
左の岸壁の盛り上がりが、万里の長城の西のはて。
「万里長城、第一墩(とん)で、
万里の長城の一番目の烽火(のろし)台、という意味です」
と、ガイドは言う。
のろし台は、垂直の岩壁と一体になって建っている。
「討籟河(とうらいがわ)は、幅が200メートル、
岩壁の高さは80メートルあって、
“自然の要塞”になっています」
「14メートルあったのろし台は、
いまは8メートルに下がっています。
明の時代の、万里の長城の西の終わりです」
万里の長城の終わりは、
急峻な山や深い河の自然の要塞につなげている。
――こんな河の端まで、よくも、万里の長城をつくったもんだ。
のろし台は、討籟河をのぞきこむように終わっているから、
人は通れない。異民族からの防衛は、徹底している。
よっぽど、襲撃が怖かったんだろう。
この討籟河に、ターザン気分が味わえるロープウェイがある。
子どもを背負うような布に命を託し、
討籟河を真下に見る自然落下。希望者のみ。
――対岸から、万里の長城の終わりを見たい。
落下するのは私。右側は、たたまれて、もどされてきた布。
布に座り、下がっているひもにしがみついて、
飛ばされないように帽子を取り、顔で風を切って、
対岸まで落ちていく。対岸にはスプリングがあって、
衝撃を吸収して止まる。スリリングつき落下料600円。
帰りは、吊り橋をのこのこと渡ってくる。
その吊り橋から対岸の盛り上がりを見たのが、
さきの万里長城、第一墩の写真。
これは、嘉峪関城から南に延びている万里の長城。
「ここはゴビ砂漠で、石がありません。万里の長城は、
土にタマリスクの枯草を混ぜて、強度を上げています」
と、ガイドが言うように、万里の長城は層になっている。
万里の長城の先には、ちょうど貨車が横切っていた。
いまは、鉄道によって、分断されている。
この嘉峪関城から、南7キロメートル先にあるのが、
さきの万里長城、第一墩で、討籟河につなげて終わっていた。
後方は、雪を抱く祁連(きれん)山脈。
嘉峪関城の中。
左の台形が、のろし台。
「のろし台は、日干しレンガを積み上げたものです。
2.5キロメートル~6キロメートル間隔に築いて、
モンゴル族や隊商の動きを、絶えず監視していました」
「のろしはタマリスクを乾燥させて、束ねたものを燃やします」
タマリスクの束は、人が抱え、長さは2メートルほど。
「1人~100人を見つけたら、のろしを1つ上げます。
500人以上ならば2つ、1千人以上ならば3つ、
5千人以上ならば4つ、1万人以上ならば5つ上げます」
「100キロ離れていても、10数分で伝えることができました。
動物の糞を混ぜてのろしの色を変え、
敵か味方の区別もできました」
――徹底した防衛対策だなァ。
交易でもうけた金は、防衛対策にそそぎ込んだ?
そして、万里の長城の終わりは、
懸壁長城でも、万里長城、第一墩でも、
山や河の自然の要塞につなげていた。
嘉峪関城の北7キロメートルにある懸壁長城では、
急峻な山につなげていたし、
嘉峪関城の南7キロメートルにある万里長城、第一墩では、
深い討籟河につなげて、終わっていた。
――“万里の長城”の終わりは、自然の要塞とつなげるまで、
手を抜いていない。
さらに、“嘉峪関城”のような城を築き、
数キロメートルごとに“のろし台”を築いている。
よくまァ、こんな気の遠くなる建設をしたもんだ。
金と時間をそそぎこんだ、
壁(万里の長城)、城(嘉峪関)、のろし台の“防衛施設”は、
異民族との抗争、出入国の管理、交易による税の徴収に、
国家の存亡をかけた大プロジェクトだ。
ことを、前回の『オアシス都市の写真を撮りたい』で書いた。
万里の長城の終わりを見たい。
嘉峪関城の北7キロメートルにある懸壁長城。
近くの岩場に駆けあがって撮った。
――この先、万里の長城はない。
万里の長城の終わりは、急峻な山という、
自然の要塞につなげていた。
ただし、これは復元した懸壁長城で、本物はさらに西にある。
右後方には、砂漠の中の緑、オアシス集落があって、
山、万里の長城、ゴビ砂漠、オアシス集落は、
映画のセットのようだ。
つぎに、嘉峪関城の南7キロメートルでは、
万里の長城の終わりは、河という自然の要塞につなげていた。
左の岸壁の盛り上がりが、万里の長城の西のはて。
「万里長城、第一墩(とん)で、
万里の長城の一番目の烽火(のろし)台、という意味です」
と、ガイドは言う。
のろし台は、垂直の岩壁と一体になって建っている。
「討籟河(とうらいがわ)は、幅が200メートル、
岩壁の高さは80メートルあって、
“自然の要塞”になっています」
「14メートルあったのろし台は、
いまは8メートルに下がっています。
明の時代の、万里の長城の西の終わりです」
万里の長城の終わりは、
急峻な山や深い河の自然の要塞につなげている。
――こんな河の端まで、よくも、万里の長城をつくったもんだ。
のろし台は、討籟河をのぞきこむように終わっているから、
人は通れない。異民族からの防衛は、徹底している。
よっぽど、襲撃が怖かったんだろう。
この討籟河に、ターザン気分が味わえるロープウェイがある。
子どもを背負うような布に命を託し、
討籟河を真下に見る自然落下。希望者のみ。
――対岸から、万里の長城の終わりを見たい。
落下するのは私。右側は、たたまれて、もどされてきた布。
布に座り、下がっているひもにしがみついて、
飛ばされないように帽子を取り、顔で風を切って、
対岸まで落ちていく。対岸にはスプリングがあって、
衝撃を吸収して止まる。スリリングつき落下料600円。
帰りは、吊り橋をのこのこと渡ってくる。
その吊り橋から対岸の盛り上がりを見たのが、
さきの万里長城、第一墩の写真。
これは、嘉峪関城から南に延びている万里の長城。
「ここはゴビ砂漠で、石がありません。万里の長城は、
土にタマリスクの枯草を混ぜて、強度を上げています」
と、ガイドが言うように、万里の長城は層になっている。
万里の長城の先には、ちょうど貨車が横切っていた。
いまは、鉄道によって、分断されている。
この嘉峪関城から、南7キロメートル先にあるのが、
さきの万里長城、第一墩で、討籟河につなげて終わっていた。
後方は、雪を抱く祁連(きれん)山脈。
嘉峪関城の中。
左の台形が、のろし台。
「のろし台は、日干しレンガを積み上げたものです。
2.5キロメートル~6キロメートル間隔に築いて、
モンゴル族や隊商の動きを、絶えず監視していました」
「のろしはタマリスクを乾燥させて、束ねたものを燃やします」
タマリスクの束は、人が抱え、長さは2メートルほど。
「1人~100人を見つけたら、のろしを1つ上げます。
500人以上ならば2つ、1千人以上ならば3つ、
5千人以上ならば4つ、1万人以上ならば5つ上げます」
「100キロ離れていても、10数分で伝えることができました。
動物の糞を混ぜてのろしの色を変え、
敵か味方の区別もできました」
――徹底した防衛対策だなァ。
交易でもうけた金は、防衛対策にそそぎ込んだ?
そして、万里の長城の終わりは、
懸壁長城でも、万里長城、第一墩でも、
山や河の自然の要塞につなげていた。
嘉峪関城の北7キロメートルにある懸壁長城では、
急峻な山につなげていたし、
嘉峪関城の南7キロメートルにある万里長城、第一墩では、
深い討籟河につなげて、終わっていた。
――“万里の長城”の終わりは、自然の要塞とつなげるまで、
手を抜いていない。
さらに、“嘉峪関城”のような城を築き、
数キロメートルごとに“のろし台”を築いている。
よくまァ、こんな気の遠くなる建設をしたもんだ。
金と時間をそそぎこんだ、
壁(万里の長城)、城(嘉峪関)、のろし台の“防衛施設”は、
異民族との抗争、出入国の管理、交易による税の徴収に、
国家の存亡をかけた大プロジェクトだ。