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ウェストンの日本アルプス絶賛の地、保福寺峠

2016-10-23 00:02:00 | Weblog
ウォルター・ウェストンが、
日本アルプスを絶賛した地、保福寺峠
ウェストンは、1891年8月2日の夕方6時に、
保福寺峠(ほうふくじ)、1,350メートルに着いた。
そして、目の当たりにした日本アルプスに驚嘆した。

2016年10月15日、夕方5時9分。

N乗鞍岳、3,026メ-トル、S霞沢岳、2,646メ-トル、
M前穂高岳、3,090メ-トル、O奥穂高岳、3,190メ-トル、
R涸沢岳、3,110メ-トル、K北穂高岳、3,106メ-トル、
J常念岳、2,857メ-トル、Y槍ヶ岳、3,180メ-トル。

日本アルプス 登山と探検

ウォルター・ウェストン著。岡村精一訳。平凡社、1995年発行。

「大連峰の全景が始めて眺められたが、
われわれの心はひきつけられた」
「私たちは、思いがけなくその展望に接したので、
その壮麗さにはただ驚嘆するばかりだった」
「日本のマッターホルンである槍ヶ岳
「ペニンアルプスの女王ワイスホーンの、
縮図を想わせる優美な三角形の常念岳
「それより遥か南のほうには、
どっしりした双峰の乗鞍岳がそびえ、
それぞれ特徴のある横顔(プロフィールを見せている」
「この素晴しいパノラマに目を楽しませているあいだに、
午後の日はまもなく暮れて、夜の帳(とばり)がおりた」

「日本のマッターホルンである槍ヶ岳」
「ペニンアルプスの女王ワイスホーンの、
縮図を想わせる優美な三角形の常念岳」
常念岳~槍ヶ岳

2016年10月15日、夕方5時6分。

Y槍ヶ岳、J常念岳。
右端は、J常念岳に連なる横通岳、2,767メートル。
Y槍ヶ岳の左は、大喰岳(おおばみだけ)、3,101メート、
左端は、南岳3,033メートルで、その左は大キレットを経て北穂高岳に連なる。

穂高連峰

2016年10月15日、夕方5時6分。
M前穂高岳、O奥穂高岳、R涸沢岳、K北穂高岳。
北穂高岳の右は、大キレットを経て、大喰岳。
大キレットの手前の丸い山は、蝶ヶ岳の一部。

「遥か南のほうには、どっしりした双峰の乗鞍岳

2016年10月15日、夕方5時18分。
鞍のように見える双峰は、
左が大日(だいにち)岳、3,014メートル、
右が主峰の剣ヶ峰(けんがみね)、3,026メ-トル。

保福寺峠にある、ウォルター・ウェストンの碑。
「ウォルター ウェストン」
日本アルプス絶賛の地
"Walter Weston"

2016年10月6日。保福寺峠、松本市。

ウェストンは手前の上田から、保福寺峠を、人力車で上がってきた。
そして、奥の松本市街へ向かった。標識は、181号、松本市 保福寺峠。

左の白いポール、
「ウォルター ウェストン」
「日本アルプス絶賛の地 入口」
を右に上がると、円い丘の先に、
「日本アルプス絶賛の地」の碑がある。

昼の日本アルプス。保福寺峠から。

2016年10月。

ウェストンの、1891年8月の槍ヶ岳は、
雨と日没で、登頂できずに引き返している。
槍ヶ岳~常念岳

2016年10月。

翌年の1892年の槍ヶ岳は、
途中の徳本峠(とくごう)から見た、
穂高連峰の雄大な山塊がそびえ立つ絶景に、

N西穂高岳、O奥穂高岳、M前穂高岳。2016年10月。

強く心を動かされたが、その願いを抑えた。そして、
穂高連峰の奥にある槍ヶ岳を目指し、登頂に成功している。

穂高連峰には、ウェストンは1893年を手始めに、何度か登っている。

2016年10月。

乗鞍岳には、ウェストンは1892年ほかに登っている。

2016年10月。

1896年にイギリスで発行された、
Mountaineerig and Exploration in the Japanese Alps
によって、日本アルプスが、世界に知られることになった。。

日本で発行された、「日本アルプス 登山と探検」は、
日本人には、登山を教えてくれた。
それまでの山は、鹿や猪の猟、材木、炭焼き、
放牧、銀や銅、水晶を採取するところだった。
生活の糧や原材料を得るため、それと、
信仰や修行のために、山に入り、
山は、楽しむところではなかった。

それが、ウェストンによって、登山は、
探検になり、スポーツになり、行楽や観光になっていく。
装備も用具も改良されて、近代登山の幕開けとなった。
ウェストンの勧めで、日本山岳会が結成され(1906年)、
ウェストンは、日本山岳会の名誉会員になっている。

ウェストンの山岳ガイドとして、上條嘉門次(かもんじ)が案内している。
嘉門次のレリーフ。嘉門次小屋の前。


嘉門次小屋

明神池、上高地。2016年10月。

上高地は、釜トンネルの開通、バスの運行、宿泊設備、
中部山岳国立公園に指定され、多くの観光客が訪れている。
海外からのお客さんも多い。団体のほかに、個人でも訪れる。
2016年から、8月11日が「山の日」として、祝日となった。
ウェストンが槍ヶ岳に挑戦した1891年から、125年後になる。
第1回「山の日」記念大会が、上高地で開催されて、
皇太子殿下は、日本山岳会の会員でもあり、
ご一家で、記念式典に出席された。

夕暮れのウェストンの碑。

夕焼け雲の下の日本アルプスが映る。

ウェストンにとって、保福寺峠は、
日本アルプスに見惚(みと)れたところであり、
日本アルプスへ行き来する、ゲートウェイだった。
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