季節の変化

活動の状況

福島市と南相馬市の放射線量

2013-07-21 00:00:05 | Weblog
福島市の放射線量と南相馬市の放射線量を測った。
福島市も南相馬市も、ズボンのポケットに、
放射線量計を入れて街を歩くと、ピッピッ鳴る。
0.50マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]を超えた!
「この場所から、すぐに退避しろ!」の警告である。

それで、立ち止まって放射線量を測った結果が、
福島市の放射線量 2011年~2013年」と、
南相馬市の放射線量 2011年~2012年」である。






南相馬市の「原ノ町駅」は、福島第一原発から北へ24キロになり、
「福島駅」は、福島第一原発から北西へ63キロになる。しかし、
上表で、福島市と南相馬市の放射線量を比べると、
大差がないように思う。距離では大きな差がでていない。

南相馬市では、たくさんの漁船が国道6号まで押し流されてきた。

鹿島駅と原ノ町駅間で。2011年6月29日。

海岸から国道6号まで3.5kキロほどある。
家も田畑も、地震と津波で破壊された。
これらの漁船は、1年後の2012年6月18日には、
取り除かれていた。

福島市と南相馬市の放射線量には大差がないが、
生活ぶりが違っていた。
南相馬市の2011年6月はひっそりとしていた。
災害ボランティア・センターのある福祉会館へは、
原ノ町の駅前通りを行くが、歩いている人がいない。
図書館」。原ノ町の駅前通り。2011年6月29日。

街を歩いているのは私だけだった。
商店のシャッターは降りていた。
開けても、お客さんがいない。

南相馬市の市民は車で移動する。
人は車の中にいて、放射線を浴びないように自衛している。
パトロール・カーが走る。警察官は、2人ともマスクをしていた。
南相馬市の放射線量が高いことは、住人も警察官も、十分知っている。

自衛隊の「災害派遣」車が走る。2011年6月29日。

奥の白い建物は南相馬市役所。

南相馬市の災害ボランティア・センターの案内を読むと、
「各自で宿泊・食事・移動手段等を確保する」ほかに、
「原発問題での知識・理解を得たうえで、現地入りしてください」
とあった。
これは、国際放射線防護委員会(ICRP)による毎時の被曝限度、
0.52マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]を、超えることを示している。

一方、福島市はマスクなし、半そで。
福島市の駅前通り。2011年9月6日。

普段の生活とかわりがないように見えた。
学童も普通に見かける。

最初に南相馬市を訪れた2011年6月から、
1年経った2012に年6月に訪れると、
街では歩いている人を見た、まばらだが。
原ノ町の駅前通りの図書館。

人が歩いている。それも、ゆうぜんと。
警戒しながら、素早く通り去るというふうではない。

でも、南相馬市内では放射線量計がピッピッ鳴り続ける。
図書館の植え込みには、人が入らないように、
ロープが張ってあった。
1年前の2011年6月にはなかったロープだ。
図書館の放射線量は、この植え込みで測った。

商店やレストランも開いていた。ちらほらと。
酒屋さんが開いていた。目についた「元気!東北」を買った。

1年前の2011年6月には、この酒屋さんは開いていなかった。
「去年は避難をしていたのですか?」
と聞いてみた。
「避難はしていなかったです」
「店は閉めていました」
と言う。

こうして、新しいビールが入っているというのは、
お客さんがもどってきているということだろう。
木陰で飲んだ「元気!東北」はうまかった!

小学校から児童の声が聞こえてきた。
原町第一小学校」。2012年6月。

外でボールを追いかけていた。

2011年6月に訪れているが、そのときはひっそりしていた。
南相馬市の市民に、いつから再開したのか? 聞いてみた。
「2011年の10月に再開しました」
「4割ほどの児童がもどった」
まだ周囲の放射線量は高いが、
南相馬市の選択である。

原町第一小学校にあった感謝の「横断幕」。2012年6月。

「自衛隊・警察・消防団・ボランティアの皆さん ありがとう!!

福島市と南相馬市は、同じような放射線量である。
それなのに、避難した人が多い南相馬市と、
避難をしていない福島市とのちがいは、
どこからくるのだろうか?
放射線量の差ではない。

最初は、つぎのように考えていた。
福島市は福島県の県庁所在地である。
県庁所在地をつぶすわけにはいかない。
福島県の崩壊になるし、日本の崩壊につながる。
それは、できない。それに、福島市民28万人を、
受け入れるところがない。

まだある。
福島市は日本の交通網の大動脈が走っている。
東北新幹線があり、東北自動車道が走っている。
福島市がなくなれば、東日本の交通網がマヒする。
交通網の大動脈をなくすわけにはいかない。

これらは、福島市をつぶせない大きな理由で、当たっているだろう。
だが、南相馬市と福島市の大きな違いは、
実際に街を歩いて気がついた。
写真を見てください。

南相馬市では、津波で漁船が流れ着き、家屋や田畑が破壊された。
福島市では、強い地震はあったが、家屋の倒壊や田畑の破壊はなかった。

南相馬市では、地震、津波で死者が650人以上出た。
福島市では、強い地震はあったが、犠牲者はでなかった。
もちろん、津波はない。

南相馬市は、地震と津波のほかに原発災害で、
強制避難、自主避難で、多くの人が避難した。
福島市では、強い地震はあったが、避難した人はいない。
それに、原発災害で避難した人もいないだろう。

南相馬市では、福島原発の爆発により、とるものも取り合えずに逃げた。
「つてを頼って、北は北海道から、南は沖縄まで、避難した」
福島市では、福島原発の爆発で避難はしなかった。

南相馬市では、行方不明者の捜索は、身内であっても、
福島第一原発から半径20キロの避難地域では、
あきらめざるを得なかった。
福島市では、地震と津波による犠牲者はいなかった。

南相馬市では、自衛隊が出動して、災害救助をした。
福島市では、災害救助に出動する自衛隊は見かけなかった。

南相馬市では、感謝の「横断幕」を見た。
福島市では、感謝の「横断幕」を見なかった。

南相馬市では、住む家、職、田畑を失い、避難した。
これまでの生活基盤、生活設計を崩された。
福島市では、住む家、職、田畑は奪われず、
これまでの生活を継続できた、除染すればいい。

家が崩壊し、田畑を失い、身内に死者が出て、
被曝を避けるために避難しなければならなかった南相馬市。
南相馬市では、新たな職を探して、生活の基盤を変えなければならない、
これは、容易なことではない。

一方、これまでの生活基盤をなんとか変えずに、
放射能による汚染は、除染で対処したい福島市。
南相馬市と福島市では、同じ放射線量でも、
避難する、避難しないの違いは、
生活基盤を変えざるを得ないか、
変えずに除染に頼ろう、
の違いに出ている。

福島市の中心街では、「除染」を進めている看板を見かける。
街なか広場」、福島市。2013年6月。

「ご迷惑をおかけします」
除染をしています
「平成25年12月20日まで」

県庁前公園」、福島市。2013年6月。

上の看板。
お知らせ
「この公園は、
除染作業が完了しました。」
(問い合わせ先)  福島市公園緑地課 TEL

下の看板。
県庁前公園 空間放射線量
測定日時 H25 5月1日(水) 午後1時00分頃
 空間線量 0.53μSv/h (地上50cmで測定)
  この数値は1時間当たりの放射線量です。(単位:マイクロシーベルト)
 福島市公園緑地課

福島第一原発の事故から2年以上たった。
福島市の除染はこの先、何十年、半世紀? の戦いが続く。
それに、何兆円、何十兆円? という巨額がかかる。

気が遠くなりそうだが、
元気!東北」で、
生きていてよかった!
耐えてよかった!
を目指している。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
« 福島市の放射線量2013年 | トップ | 高校野球は背中が熱い »
最近の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事