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小布施の葛飾北斎

2017-10-01 00:01:55 | Weblog
信州の小布施(おぶせ)には、葛飾北斎天井画がある。
八方睨み鳳凰図」。1848年。

絵はがきから。岩松院(がんしょういん)。
小布施の豪農商で文人、高井鴻山(こうざん)の求めに応じて、描き上げた。
葛飾北斎、88歳の作品。

本堂で天井画を、見上げる。
「八方睨み」というから、眼を見た。
鮮やかな赤の中に、目が浮き出ている。
確かに、睨んでいる、眼光鋭く。

葛飾北斎は老境というのに、すごいエネルギー、情熱だ!
精巧さがあって、鳳凰が生き生きとしている。迫力に魅せられる。
270年前の作品だが、鮮やかで、色があせていない。
そして、挑戦意欲が、ほとばしり出ている。

岩松院。奥の赤い屋根が本堂。

奥は雁田山(かりだやま)。2017年9月25日。

小布施に高井鴻山記念館がある。そこには、
高井鴻山の書斎、翛然楼(ゆうぜんろう)がある。

高井鴻山は、ここで書画や読書に専念するほか、
葛飾北斎と語り合い、松代藩士の佐久間象山と国事を論じた、
と案内板にある。

高井鴻山の妖怪画

高井鴻山記念館で。2017年9月25日。
夏季特別展、「高井鴻山の妖怪たち」を開催していた。

高井鴻山肖像画、翛然楼で。

1806年~1883年。

15歳~16歳、京都と江戸に遊学する。
1842年、葛飾北斎が、小布施に来訪。
 高井鴻山が36歳、葛飾北斎が83歳のときで、
 高井鴻山は、非常に喜んで、碧漪軒(へきいけん)を、
 葛飾北斎の居室として与える。翌春まで滞在。
1844年、葛飾北斎85歳、再び来訪。
 東町の祭屋台の天井絵、「」と「鳳凰」を完成する。
1845年、葛飾北斎86歳、3度目の来訪。
 上町の祭屋台の天井絵、「怒涛図」にとりかかり、翌年完成する。
 岩松院の「八方睨み鳳凰図」にとりかかる。
1847年、葛飾北斎88歳、4度目の来訪。
 岩松院の「八方睨み鳳凰図」を完成する。
1848年、葛飾北斎89歳、江戸に帰る。翌年、没する。
この高井鴻山と葛飾北斎の年譜は、
高井鴻山記念館に掲げられた略年譜を参考にしました。

葛飾北斎自画像、翛然楼で。

1760年~1849年。

葛飾北斎は70代のとき、江戸で、20代後半の高井鴻山と会っている。
葛飾北斎が江戸から小布施にやって来た1842年は、
水野忠邦の天保の改革で、ぜいたくが禁止され、
浮世絵は、役者、遊女を描くことが禁止された。
住みにくい江戸を離れて、小布施を訪れた。
小布施を4回訪れ、逗留しているが、岩松院の、
「八方睨み鳳凰図」は、4回目のときに完成した。

これまでに、葛飾北斎の浮世絵は、長野市の水野美術館で見ている。
四大浮世絵師展」のチケット。

2009年10月。

凱風快晴」(がいふうかいせい)。1831年。

絵はがきから、水野美術館で。
赤富士といわれ、「富嶽三十六景」の代表。日本を代表する芸術。

赤富士は、松本市の日本浮世絵博物館でも見ている。
イタリア人を案内したが、
「見たことがある」と言われて、
自分のことのように、うれしかった。

葛飾北斎は、1998年、「ライフ」誌の、
「この1000年間に偉大な業績をあげた世界の人物100人」で、
日本人で、ただ一人選ばれている。

神奈川沖浪裏」。1831年。

絵はがきから、水野美術館で。

「神奈川沖浪裏」は、大英博物館の企画展、「北斎-大波の彼方へ」
Hokusai: beyond the Great Waveに、展示されている。大英博物館の所蔵品。
タイトルは、”The Great Wave”。
赤富士も展示されている”Red Fuji”。大英博物館の所蔵品。
企画展は、2017年5月25日~8月13日。

北斎漫画展」を江戸東京博物館で見た。

2008年2月。
北斎漫画は、55歳のときの作品。
力士、雀踊り、動物、妖怪…を描いている。

葛飾北斎の浮世絵は、
ジャポニスム、日本趣味として、
印象派のゴッホ、モネ、ドガ…に大きな影響を与えた。
葛飾北斎もまた、ヨーロッパから遠近法を学んでいる。

私は、葛飾北斎の浮世絵を持っている!
信州 諏訪湖」。1830年-1832年ころ。

「信州 諏訪湖」は、藍のグラデーション。

松本の古書店、青翰堂(せいかんどう)で見つけたもの。
「初摺りは、藍摺(あいずり)といって、藍の濃淡だけで摺ってある」
「後摺りでは、空や祠(ほこら)に色をつけた」
と、青翰堂の店主は説明してくれた。

「諏訪湖を藍にしなくて、周りの景観を藍にした」
「富士山を小さく描いて、遠近感をだしている」
 と、店主はつけ加えた。
前々から探していた「信州 諏訪湖」、
まよわずに買った。2014年11月。
藍摺は、私の宝物になっている。
つぎを参照してください。
「葛飾北斎の諏訪湖を見つけた」、2014年11月23日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/3a7dc9b12a1738147665e35569e47fc8

大英博物館の企画展「北斎-大波の彼方へ」には、
小布施の北斎館から、真筆を貸し出している。
上町の祭屋台の天井絵、「怒涛図」である。
葛飾北斎の波が描かれているから、
大英博物館の企画展には、欠かせない。

北斎館

企画展「北斎漫画の世界」が開催されていた。2017年9月25日。

上町の祭屋台、「男浪」と「女浪」。1845年。北斎館で。
男浪

絵はがきから、北斎館。
上町の祭屋台は、高井鴻山が私財を投じて作り上げた。
天井絵の制作には、葛飾北斎は意気に感じて、挑んだだろう。

女浪

周囲の縁絵は、下絵を葛飾北斎が描き、
高井鴻山が彩色したという。

「男浪」と「女浪」の真筆は貸し出し中で、複製品が展示されていたが、
2011年8月24日に訪れたときには、真筆を見ることができた。

北斎漫画には、波のスケッチがあるのだろうか?
企画展「北斎漫画の世界」で探した。2017年9月25日。

魚、動物、人物、昆虫、木、植物、風俗、妖怪…は、あったが、
波のスケッチは、なかった。

波は、上町の祭屋台の天井絵、「男浪」と「女浪」、
「富嶽三十六景」の「神奈川沖浪裏」、そして、つぎに掲載する、
東町の祭屋台の天井絵、「龍」に見ることができる。

小布施で最も古い、東町の祭屋台。
この祭屋台を、1844年に改造するとき、
高井鴻山の依頼で、葛飾北斎が天井絵を描いた。
「龍」と「鳳凰」。1844年。


絵はがきから、北斎館。縁絵は、波。

鳳凰

絵はがきから、北斎館。縁絵は、ない。
「龍」、「鳳凰」ともに、真筆が展示されていた。

信州の小布施へ行くと、
葛飾北斎が80歳のとき、
「100歳まで生きられたら、まさに神妙の域まで達するであろうか」
死ぬ間際の90歳では、
「天があと五年存命させてくれれば、本物の画家になれただろうに」
と言う、才能と衰えることのない制作意欲で生みだした、
気鋭に満ちた傑作、
鳳凰図の鋭い「睨み」と、
迫力のある怒涛図の「波」を、見ることができる。

葛飾北斎の80歳、90歳の旺盛な挑戦欲と創造力、気概は、
小布施の高井鴻山の援助で、さらに昂進して、
天井画、天井絵の傑作が生まれた、
と、考えてみた。

小布施へ行くと、
「この1000年間に偉大な業績をあげた世界の人物100人」
の、日本人に逢うことができる。
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