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ミュシャがプラハから松本へ

2020-10-18 00:02:05 | Weblog
アルフォンス・ミュシャが、
プラハから松本へやってくる。
これまでに2回、ミュシャの作品を観ることができた。

最初は、2006年にプラハで。
「聖ヴィート大聖堂」のステンドグラス。
プラハ城」。

モルダウ川にかかるカレル橋から。
プラハ城内に、黒くそびえる尖塔が、「聖ヴィート大聖堂」。

2回目は、2013年に東京、森アーツセンターギャラリーで、
ミュシャ展」。

あなたが知らない本当のミュシャ

夢想」、1898年を使用したポスター。
花で装飾した円環に、花で髪を飾った少女。

そして、今回は3回目、2020年に、松本市美術館で、
みんなの ミュシャ」。

ミュシャからマンガへ ― 線の魔術

モナコ・モンテカルロ」、1897年を使用したポスター。
輪郭線で描かれた少女。小鳥を見ている。
髪には花。花で表現した車輪。

2019年7月に東京から始まった巡回展は ⇒ 京都 ⇒
2020年1月に札幌 ⇒名古屋 ⇒ 静岡 ⇒ そして、
2020年9月、最後の開催地、松本へやってきた。

これまでの2006年のプラハ、2013年の東京を振り返り、
そして、今回の2020年松本のミュシャを観る。

プラハ、2006年。
ミュシャがデザインしたステンドグラス
聖キリルと聖メトディウス」。1931年。

「聖ヴィート大聖堂」のステンドグラス。
中央のの下、幼い顔は、ミュシャの息子、
イジーをモデルにした、チェコの守護聖人、聖ヴァツラフ。

聖ヴィート大聖堂」。

入場料のほかに、撮影料金を払うと、
内部のステンドグラスを撮ることができた。

ミュシャ美術館」、プラハ。
黄道十二宮」。1896年

絵はがきから。
小さな美術館だったが、ミュシャに逢えた。

揺れる髪の少女。円環に黄道十二宮を配置。
円環の周囲には、葉っぱ。下の円は、左が太陽にヒマワリ、
右が月にアザミと、自然を採り入れている。

東京、2013年。
ミュシャ展」、森アーツセンターギャラリー。

ジスモンダ」。1894年。
 
絵はがきから。

ミュシャが、初めて手掛けたポスター。34歳。
それまでは、本の挿絵を描いて生活していた。

「ジスモンダ」の再演が、急に決まって、
新しいポスターが必要になった。ポスターの担当は、
クリスマス休暇で不在。代わりに、ミュシャが担当した。

平面的で、輪郭線を描く、ジャポニスム(日本趣味)の手法。
日本の掛け軸のように、細長くしたポスター。

ビザンティン風のローブをまとい、髪を蘭で飾った、
サラ・ベルナールが、手にした「なつめやし」を見つめている。
奥には、サラ・ベルナールと、半円状に文字を配置。
「なつめやし」の先には、演目「ジスモンダ」があり、
それから、下の「ルネサンス劇場」へと誘導される。
ミュシャの名声が確立した作品。

サラ・ベルナールは、このポスターが大いに気に入って、
以後6年、ミュシャとポスターの専属契約を結ぶ。
ほかにも多くのポスターを手掛けた、この6年は、
ミュシャの黄金時代」になった。

そして、松本、2020年。
約250点を展示する、注目の展覧会、
没後80年、時代を超えて、今もミュシャは生きている

「ジスモンダ」は、来ているだろうか?
プラハを、1年以上も、留守にしているが。
しかし、松本に来た。サラ・ベルナールに逢えた!

サラ・ベルナールの、ほかのポスターもある。
メディア」。1898年。

カタログ「TIMELESS MUCHA」から。

王女メディアが、激情から2人の息子を殺害してしまう。
戦慄におののいて「凍りつく」表情は、
のちのマンガに影響した。

ミュシャは、「ジスモンダ」を描く前には、表紙画を描いていた。
おばあちゃんのお伽話」。1892年。

カタログ「TIMELESS MUCHA」から。
グザヴィエ・マルミエ著。

まだ、ミュシャらしさはない。曲線も、花鳥風月もない。
遠近法で描かれているが、ゴチャゴチャしている。
ジャポニスムを採り入れる前の作品で、
丸み、自然、柔らかさ、はない。

ミュシャの、ポスターを観る。
ジョブ」。1898年。

カタログ「TIMELESS MUCHA」から。

“JOB”とは、なじみがないが、「タバコの巻紙」。
女性は、みだれ髪。煙を、奥にくゆらせている。

ジャポニスムを採り入れている。
平面的で、輪郭をハッキリ描いている。
みだれ髪と、うっとりした女性に目が行く。
柔らかさ、優しさが出ている。

ミュシャのポスターは、時代を超えて、日本へも影響。
新声」の表紙。1902年。

カタログ「TIMELESS MUCHA」から。
松本出身の一條成美作。
作者の出身地松本で開催された、ミュシャ展。

髪は花で飾られている。背景は渦巻いている。
ミュシャ風を、文芸誌の表紙に採り入れた。

与謝野晶子、「みだれ髪」の表紙。1901年。

カタログ「TIMELESS MUCHA」から。
藤島武二作。
「みだれ髪」といえば、ミュシャの“JOB”。

ミュシャは、ジャポニスム(日本趣味)を採り入れた。
「ジスモンダ」の1894年から6年は、ミュシャの黄金時代。
平面的な構図に、輪郭を描き、花や自然を採り入れ、柔らかさを表現した。
舞踏」。1898年。

カタログ「TIMELESS MUCHA」から。

Q型の大きな円環の中に、躍動するダンサー。
髪が振り乱れ、ドレスが舞う。

ミュシャのみだれ髪、曲線、円環、花鳥風月は、
女性の優しさ、柔らかさを表わす手法として、
ポスター、挿絵、マンガへと、世界に広がった。

「没後80年、時代を超えて、今もミュシャは生きている」
2006年のプラハから、14年かけて、松本までやって来てくれた。
揺れる髪、花飾り、花鳥風月、円環、輪郭線… ミュシャに逢えた!
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