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縄文のビーナスは世界遺産に

2011-12-25 02:02:07 | Weblog
「縄文のビーナス」は、世界遺産にならないか。
優れた「縄文文化」を生んだ。
ほかの「縄文文化」と群で世界遺産にならないか。

縄文王国」諏訪は、
鏃(やじり)を作って交易し、集落をつくって祭祀をし、
「縄文のビーナス」という優れた芸術を生んだ。
「縄文王国」諏訪の「縄文の文化」、「生活様式」は、
世界遺産にならないか。

土偶の時代と地域」の表を作成した。


土偶の「地域」は東日本である。
西日本に、土偶はない。

土偶の「時代」は縄文時代で、弥生時代になると極端に減る。
東日本には縄文人はいたが、西日本に縄文人はいなかった。
西日本は火山活動が盛んで、人が住めなかったことによる。

最初の土偶は板状だった。
縄文時代中期から、立像になった。

「土偶の時代と地域」の表の土偶は、
大英博物館の「土偶のパワー」で展示された。
大英博物館から帰国して、
東京国立博物館の「土偶展」でも、展示された。

土偶が1万5千個ある中で、「国宝」はつぎの3つである。
「縄文のビーナス」、茅野市の棚畑(たなばたけ)遺跡。1995年、国宝に指定。
「中空土偶」、函館市の著保内野(ちょぼないの)。2007年、国宝に指定。
「合掌土偶」、青森県八戸市の風張(かざはり)1遺跡。2009年、国宝に指定。

国宝の土偶を写真で見る。
縄文のビーナス」。茅野市の棚畑(たなばたけ)遺跡。

「尖石(とがりいし)縄文考古館」で撮影。
1995年、国宝に指定。

「縄文のビーナス」は、日本最古の「国宝」になった。
美の極致「縄文のビーナス」は、縄文時代中期に生まれた。

「縄文のビーナス」は、妊娠した女性。
「どっしりしていたな!」
「うしろを見ると、尻が大きく、ハート型だった」

「縄文のビーナス」は、
環状集落の中央広場から出土したことや、
27センチと大きいことから、
個人が所有するものではなく、
安産と子孫繁栄の女神像だった。
村の祭祀(さいし)に使われたとされている。

中空土偶」、函館市の著保内野(ちょぼないの)。

函館市公式観光情報サイトから。
縄文時代後期。
2007年、国宝に指定。

合掌土偶」、青森県八戸市の風張1遺跡。

八戸市から。
縄文時代後期。出産を示している。
2009年、国宝に指定。

つぎに、諏訪地方の重要文化財の「土偶」を見る。
巳を戴く神子」(へびをいただくみこ)。藤内(とうない)遺跡。

井戸尻(いどじり)考古館の絵はがきから。
縄文時代中期。

ヘビが頭にいた。
「飛びかかってきそうだ」
ヘビは男性のシンボルであったり、
春になると出てくる生命力の強さでもある。
ヘビは神であるともいわれている。
後部に3か所、穴があって、鳥の羽をさしてあった。

エジプトの王(ファラオ)は、
コブラは守護神であり、王権のシンボルとして、
頭につけたり、王冠につけている。
ヘビを神とする共通を思わせる。

仮面の女神」。中ッ原(なかっぱら)遺跡。

「尖石縄文考古館」で撮影。
縄文時代後期。
「歩き出しそうだ」
「堂々としていたな!」

「縄文のビーナス」が出た棚畑(たなばたけ)遺跡、
「仮面の女神」頭に中ッ原(なかっぱら)遺跡、
「巳を戴く神子」頭に藤内(とうない)遺跡、
は、八ヶ岳のふもとにある。

富士山はこの写真の右、八ヶ岳のすそのから頭だけ出す。

「棚畑遺跡」⇔「中ッ原遺跡」は、
車のメーターで4.7キロ、
「中ッ原遺跡」⇔「尖石・与助尾根(よすけおね)遺跡」は、
車のメーターで4.6キロ、
「尖石・与助尾根遺跡」⇔「藤内(とうない)遺跡」は、
直線距離で15キロである。

「縄文のビーナス」の棚畑(たなばたけ)遺跡は後方、
「仮面の女神」の中ッ原(なかっぱら) 遺跡は左前方、
国の「特別史跡」、「尖石・与助尾根遺跡」は前方、
「巳を戴く神子」の「藤内遺跡」は、八ヶ岳の裾野の右になる。
八ヶ岳のふもとは、すばらしい「縄文文化」を生んだ。

縄文時代中期の諏訪地方の人口は日本一で、
日本の人口の約10パーセントを占めていた。
八ヶ岳のふもとには、縄文人が住むに必要な、
太陽が注ぎ、水が湧き、食料があった。

それに、縄文時代中期の「遺跡数」は、長野県が日本一だった。
長野県が2,700で、岩手県が500弱、山梨県が300強だから、
長野県は突出している。長野県でも、特に諏訪が多かった。

優れた「縄文文化」を生む諏訪は、
日本の文化の中心、「縄文文化のメッカ」だった。

なお、「御柱祭」はこの八ヶ岳山麓が舞台である。
八ヶ岳山麓から切り出した「御柱」は、
「尖石縄文考古館」の南(写真では右)を走る、
「御柱街道」を通って、里の「諏訪大社」の上社まで、
20キロを人力だけで曳いて、「諏訪大社」の4隅に建てる。

山梨県の釈迦堂遺跡博物館と、
山梨県立考古博物館を訪れた。

山梨県の重要文化財の「土偶」を見る。
土偶の破片」。釈迦堂遺跡。

釈迦堂遺跡博物館で撮影。縄文時代前期。
1,116個の土偶が見つかり、一括して、重要文化財になった。

円錐形中空土偶」。鋳物師屋(いもじや)遺跡。

残念、複製でした。山梨県立考古博物館で。
現物は南アルプス市が所蔵。

諏訪の和田峠から黒曜石が出る。

黒曜石。尖石縄文考古館の前庭で。

この黒曜石から、矢の先の(やじり)を作った。
さらに、作った鏃(やじり)を各地と交易している。

青森の三内丸山(さんないまるやま)遺跡(縄文時代中期)では、
諏訪の鏃(やじり)が、完成品として入っている。

「縄文遊々学」、第31回 キラリ!黒曜石の話。
http://aomori-jomon.jp/essay/?p=1101
鋭い先である。なかなかの腕前だ。
技術のほかに、形が美しい。芸術品だ。

また、山梨県の釈迦堂遺跡でも、
諏訪から鏃(やじり)が入ってきた説明がある。

縄文人にとって、鏃は生活必需品であった。
狩猟生活に欠かせない。今の猟銃である。

諏訪の縄文人は、黒曜石という土地の産物を、
加工、製造して鏃をつくるという産業を興した。
製品を交易するという、加工貿易のビジネス・モデルをつくった。

「縄文王国」諏訪は、
産業を興し、集落をつくって祭祀をし、
「縄文のビーナス」という優れた芸術を生んだ。

「縄文王国」諏訪は、世界遺産にならないか。
諏訪の歴史学者は、きちんと調査をして、保存してきた。
つぎは、世界遺産に取り組む出番がきた。

史実を調査したあとは、世界遺産として、
若者に、「すごい文化だ!」と思わせてほしい。
「日本の文化の黎明だった」
と、自信が持てるし、郷土に誇りが持てる。

ほかの地域と連携して、
「縄文文化」を群で世界遺産にすることもある。

岡本太郎は、「縄文王国」諏訪に血がたぎった。
「諏訪は、渇仰(かつごう)の地」だった。
渇仰とは、あこがれである。
渇いた者が水を切望するような。

そして、諏訪を40回近く訪れた。
「諏訪に来て、芸術が変った」
「諏訪は、心のふるさとだ」

「諏訪で大切なのは、歴史文化だ」
「諏訪の歴史を語らずして 日本の歴史を語れなくなるかも」
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