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「縄文王国」諏訪を眺める

2012-01-01 00:01:01 | Weblog
諏訪湖から八ヶ岳に広がる「縄文王国諏訪を眺める。
「縄文王国」諏訪は、地図と写真から眺めることができる。

最初に、地図から「縄文王国」諏訪を眺める。Google earthから。


左上(北西)に諏訪湖がある。
諏訪湖を囲むように、岡谷市、下諏訪町、諏訪市があり、
諏訪市の南に茅野市、原村、富士見町が続く。
「御柱祭」を繰り広げる6市町村である。

東に主峰、赤岳の八ヶ岳が、諏訪を包むようにあり、
八ヶ岳の北には、北八ヶ岳の北横岳、蓼科山が続き、
その西には、黒曜石が出る霧が峰(車山)がある。

「縄文遺跡」の場所は、黄色のピンで示した。
1) 国宝「縄文のビーナス」の「棚畑(たなばたけ)遺跡」は、
ほぼ中央にある。八ヶ岳のふもとになる。

縄文時代中期。日本最古の国宝である。

2) 重要文化財「仮面の女神」の「中ッ原(なかっぱら)遺跡」は、
「棚畑遺跡」の東にある。

縄文時代後期。

2014年に、「仮面の女神」は国宝になる。
「仮面の女神が国宝に」、2014年3月23日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/a8194a1ab90005aefe42b78723a0e913
を参照してください。

3) 国の「特別史跡」、「尖石・与助尾根遺跡」(とがりいし・よすけおね)は、
「中ッ原遺跡」の南東にある。

尖石」(とがりいし)。

先端のカールは、石斧(せきふ)を作るときに磨いたくぼみだという。
それと、信仰に使われたともいわれている。

「縄文のビーナス」と「仮面の女神」は、
尖石縄文考古館」に展示されているから、同時に見ることができる。

手前は「与助尾根(よすけおね)遺跡」、先が「尖石縄文考古館」。

4) 直径120メートルの桁外れの規模の「祭祀(さいし)場」縄文時代前期が見つかって、
縄文の時代観をくつがえすものとなった国の「史跡」、「阿久(あきゅう)遺蹟」。

阿久遺跡から八ヶ岳を望む。

「阿久遺跡と縄文人の世界」、長野県立歴史館発行から。

5-a) 重要文化財「巳を戴く神子」(へびをいただくみこ)の、
「藤内(とうない)遺跡」は、「尖石・与助尾根遺跡」の南にある。

縄文時代中期。「井戸尻考古館」の絵はがきから。

「藤内遺跡」は、すぐ南にある「井戸尻(いどじり)遺跡」や、
「曽利(そり)遺跡」ほかとともに、「井戸尻遺跡群」を形成している。

「巳を戴く神子」を含めて、
「井戸尻遺跡群」の重要文化財は、
「井戸尻遺跡」の脇にある「井戸尻考古館」に展示されている。

5-b) 重要文化財「神像筒型土器」(しんぞうつつがたどき)。「藤内遺跡」。

縄文時代中期。「井戸尻考古館」の絵はがきから。
重要な作品は撮影禁止になっていたので。

「藤内遺跡」の重要文化財199点の一つである。
土偶ではないが、特徴のある土器だったので掲載した。
鎧(よろい)を着たような肩をしているが、
「神像筒型土器」という名前から、
縄文人はをイメージした。

5-c)「人面香炉形土器」(じんめんこうろがたどき)。「曽利遺跡」。

縄文時代中期。「井戸尻考古館」の絵はがきから。

表(左)から見ると、吊り上った目の「土偶」だったが、
裏から見ると、「どくろ」に変わった。

まわりに、たくさん付いているのは「うり坊」のようだ。
いのししの多産にあやかったのだろうか?

この「縄文王国」諏訪の地図から、
「縄文遺跡」間の距離がわかる。

「縄文のビーナス」の「棚畑遺跡」から、
「仮面の女神」の「中ッ原遺跡」までは、
3.9キロである。39キロではない。
歩いて1時間ほどである。

「中ッ原遺跡」から、
国の特別史跡「尖石・与助尾根遺跡までは、
2.6キロである。

「尖石・与助尾根遺跡」から、
「巳を戴く神子」の「藤内遺跡」までは、
14.6キロである。

また、「藤内遺跡」から「井戸尻遺跡」までは、1キロである。
北の「棚畑遺跡」から、南の「井戸尻遺跡」まで、18.6キロ。
諏訪湖の北、岡谷から、南の「井戸尻遺跡」まで、29キロである。

6) 重要文化財「顔面把手付深鉢形土器」。
(がんめんとってつきふかばちがたどき)

縄文時代中期。岡谷の「海戸遺跡」から出た。
岡谷美術考古館から。

「縄文王国」諏訪の地図の西にカメラ・マークがある。
杖突峠(つえつきとうげ)である。
「縄文王国」諏訪を杖突峠から眺める。そして、
1)「八ヶ岳方面」と、2)「諏訪湖方面」の写真に、
「縄文遺跡」の場所を示す。

1)「八ヶ岳方面」。杖突峠から。

八ヶ岳は、左半分が北八ヶ岳で、Ⅰは蓼科山、Ⅱは北横岳。
右半分の八ヶ岳は、Ⅲは天狗岳、Ⅳは横岳、Ⅴは八ヶ岳の主峰、赤岳、Ⅵは権現岳。
左手前の街は茅野市。右(南)へ原村、富士見町と続く。

「縄文遺跡」の場所は、番号で示した(①、②、③・・・)。
杖突峠から、双眼鏡で「縄文遺跡」の場所を眺め、
「縄文遺跡」のそれぞれの現場へ行っては、
杖突峠を振り返ることをしながら、
番号を記入した。

縄文時代に、もっとも優れた芸術を生んだ、
「縄文王国」諏訪の「縄文遺跡」の場所が、
わかってもらえると思う。

①は国宝「縄文のビーナス」の「棚畑遺跡」。茅野市。

「縄文のビーナス」は、左の日本電産ニッシンの建設現場から見つかった。
右後方は八ヶ岳。

②は重要文化財「仮面の女神」の「中ッ原遺跡」。茅野市。
2014年に、「仮面の女神」は国宝になる。

「仮面の女神」は中央の小屋の中に、見つけた状態を再現してある。
手前の石模様は住居跡を示し、中央に炉がある。
後方は八ヶ岳。

③は特別史跡「尖石・与助尾根遺跡」。茅野市。

集落が見つかり、再現してある。

④は国の「史跡」、「阿久(あきゅう)遺蹟」。原村。
直径120メートルの「祭祀(さいし)場」縄文時代前期が見つかった。

⑤は重要文化財「巳を戴く神子」と、
重要文化財「神像筒型土器」の「藤内遺跡」、
重要文化財「人面香炉形土器」の「曽利遺跡」。富士見町。

井戸尻遺跡」。富士見町。

中央に富士山、右に鳳凰三山(南)アルプスを望む。
八ヶ岳は、左後方になる。

2)「諏訪湖方面」。杖突峠から。

Ⅶは諏訪湖。諏訪湖を囲うように、左奥から岡谷市、下諏訪町、諏訪市(手前)。
Ⅷは北アルプス、Ⅸは美ヶ原高原。
⑥は重要文化財「顔面把手付深鉢形土器」の「海戸遺跡」。岡谷市。

今から5000年前の縄文時代中期に、
長野県の「遺跡数」は、ダントツの日本一で、
長野県が2,700、岩手県が500弱、山梨県が300強だった。
長野県でも、特に諏訪が多かった。
遺跡数のほかに、技術、芸術性がすばらしい。

写真で示してきた土偶は、
大英博物館の「土偶のパワー」展、
2009年9月10日~11月22日と、
大英博物館帰国記念「国宝土偶展」、
2009年12月15日~2010年2月21日に出展された。

展示は、つぎのように構成されていた。
第1章「土偶のかたち」
第2章「土偶芸術のきわみ」
第3章「土偶の仲間たち」

「縄文王国」諏訪からは、
第1章「土偶のかたち」では、
重要文化財「仮面の女神」(棚畑遺跡)。
第2章「土偶芸術のきわみ」では、
国宝「縄文のビーナス」(中ッ原遺跡)。
第3章「土偶の仲間たち」では、
「人面香炉形土器」(曽利遺跡)と、
重要文化財「顔面把手付深鉢形土器」(海戸遺跡)と、
どれも、すばらしい芸術品が展示された。

「縄文王国」諏訪は、すばらしい「縄文文化」を築いた。
「縄文王国」諏訪は、「縄文文化のメッカ」だった。
日本文化の黎明(れいめい)であり、中心だった。
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