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『完全なる人間:魂のめざすもの【第2版】』(読書メモ)

アブラハム・H・マスロー(上田吉一訳)『完全なる人間:魂のめざすもの【第2版】』誠信書房

欲求階層説で有名なマスローの本。

理論書というより哲学書に近い内容だった。

意外なことに、経営学や心理学のテキストに出てくる「5段階の欲求階層説」についてはあまり書かれていない(少しだけ書かれてあるが)。

むしろ、「安全の欲求が満たされないと、自己実現できない」といった2段階の階層説が強調されている。

安全性がが確かめられると、より高い欲求や衝動を発現させ、優勢にする。安全が脅かされると、とりもなおさず、一段と基本的な基礎に退行する(中略)安全欲求は成長欲求よりも優勢なのである」(p.63)

これは、今流行りの「心理的安全」の考え方である。

もう一つ驚いたことは、自己実現の考え方。

「わたくしの見出したところでは、自己実現する人間の正常な知覚や、平均人の時折の至高経験にあっては、認知はどちらかといえば、自我超越的、自己忘却的で、無我であり得るということである。それは、不動、非人格的、無欲、無私で、求めずして超然たるものである。自我中心ではなく、むしろ対象中心である」(p. 99)

ここまで来ると「悟り」の状態に近い。

ただ、違う箇所では、次のように説明されている。

「自己実現はさまざまなかたちで規定されるが、確たる一致点もみられる。すべての定義には、(a)精神的な核心あるいは自己を受け容れ、これを表現すること、すなわち、潜在的な能力、可能性を実現すること、「完全にはたらくこと」、人間性や個人の本質を活用すること、の意味が含まられている」(p. 249)

こちらの説明のほうがわかりやすい。

しかし、次の一節には驚かされた。

「自己実現は、原理的には容易であるとしても、実際には、ほとんどおこるものではない(わたくしの基準では、大人の人口の1パーセントにもきたないことは確かである)」(p. 258)

そこまで難易度を高めなくていいように思うが、自己実現する人の創造性についての次の説明は良かった。

無教養で貧しく、終日家事に追いまわされている母親である一婦人を例にとると、彼女はこれらの慣習的な意味での創造的なことは、なにもしていなかった。にもかかわらず、素晴らしい料理人であり、母親であり、妻であり、主婦なのである。わずかのお金で、その家はともなくもつねに小綺麗であった。彼女は完全なおかみさんなのである。彼女の作る食事は御馳走である。彼女のリンネル、銀食器、ガラス食器、せともの、家具に対する好みは、間違いがない。彼女はこれらすべての領域で、独創的で、斬新で、器用で、思いもよらないで、発明的であった。わたくしはまさに彼女を、創造的と呼ばざるを得なかったのである」(p.172-173)

この例を見て、マスローが言いたかった自己実現の意味がわかったような気がした。

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