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つながりの強さ

松谷みよ子さんの自伝を読んでいて感じるのは、友人との強いつながり

たとえば、結核が再発したときのこと。

「当時、手には入ったらなあと多くの患者が嘆息する結核の特効薬があった。ストレプトマイシンである。保険は利かず入手も困難で高価な薬だった。私たちには手の届かぬ夢の薬だった。ところがある日、北信病院時代の友人、斎藤ときさんが、ひょっこり病院に現われた。枕元に、ストレプトマイシン四十本を置いてひとこといった。「これ、使って」」(p.186)

このほかにも、みよ子さんが窮地に陥ると、必ず友人からの支援がある。「あとがき」でも、みよ子さんは次のように語っている。

「私は、なんとすばらしい師や先輩と出会うことができたのだろう。その後、病に倒れ、ようやく退院、結婚の日を迎えたとき、結婚衣装を縫いあげてくれた友人がいた。私がアンデルセン賞を受賞したとき、ハンブルクの授賞式で着るようにと手を通していない自分の訪問着を持たせてくれた友人。檄をとばし、ハンブルクへの旅費など一切を用意してくれた友人。思えば多くの人々に支えられた人生だった」(p.252)

人生の価値を測る指標があるとしたら、その一つは「他者とのつながりの強さ」かもしれない、と思った。

出所:松谷みよ子『自伝じょうちゃん』朝日文庫



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『自伝じょうちゃん』(読書メモ)

松谷みよ子『自伝じょうちゃん』朝日文庫

「龍の子太郎」「ももちゃんシリーズ」で有名な童話作家・松谷みよ子さんの自伝。

有名な弁護士のお父さんの下でお嬢さんとして育ったみよ子さんだが、交通事故でお父さんを亡くしてからはいろいろと苦労を重ねる

松谷さんが作家になれたのは、なんと言っても師匠である坪田譲治さんの導きが大きい。デビュー作『貝になった子供』が賞をとった夜、師匠は次のような手紙をくれたという。

「文芸家の道といふのは、マラソン競走のやうなもので、出発したら生涯とまることのない競争です。だから決して急いではなりません。但し止まったり、休んだり、列外に出たり、道草をくったりしてはなりません。もう精進一途、その道に身命をつくさなくてはなりません。そこで心掛くべきことは駄作を書かないこと。年に一つの短編でもよろしい。傑作だけを発表すること」(p.166)

急いではいけないが、止まってはいけないという教えは深いが、傑作だけを書き続けることは難しい。

もう一つ印象に残ったことは、松谷さんが作品を書く姿勢である。童話作家の新人が集まる会でのこと。

「新人会にはいまは亡き関英雄さんや狩野省三さんなども見えて、私たちを指導してくださったが、あるとき狩野さんい「あなたはなぜ書いているのですか」と聞かれた。私は消え入るような声で、「書きたいから書いています」と答えた。気のせいか新人会の人たちの間に苦笑が洩れたような気がした」(p.152)

書きたいから書く。これがもっとも大きなエネルギーとなるだろう。

内からあふれるやる気と、それを支える師匠の存在。これらが組み合わさった結果、優れた作品が世に出たといえるかもしれない。

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あなたのまことにわたしを導いて下さい

あなたのまことにわたしを導いて下さい
(詩編25章5節)

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