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『岩波茂雄と出版文化』(読書メモ)

村上一郎(竹内洋・解説)『岩波茂雄と出版文化:近代日本の教養主義』講談社学術文庫

独特の文体の村上一郎さんが、岩波書店の創始者である岩波茂雄を一刀両断にしたのが本書。竹内洋さんの解説とともに味わうと、より深みが増す。

一高を退学し、東大選科を修了した岩波茂雄は、古書店を経て、押しも押されぬ「岩波書店」を育て上げた人。そのきっかけは、夏目漱石の全集を出したことにあった。そういえば、『漱石の妻』を読んだときも、岩波茂雄が漱石を訪ねてきた場面が描かれていた。漱石が岩波書店をメジャーにした、ともいえるらしい。

本書を読んで心に残ったのは「日本型の教養」について。

著者・解説者いわく、欧米の教養が、家庭の中で培われた身体化された教養であるのに対し、日本の教養は、学校において詰め込まれた舶来型の教養である。

つまり、日本型教養とは「〇〇も知らないの、バカですね」(p.134)といったひけらかす教養に近い。こうした舶来型、知識詰め込み型の教養を売りにしているのが「岩波文化」であるという。

面白かったのは、パリの名門「エコール・ノルマル」の文系学生がパリを中心とした上流階級出身者が多いのに対し、東京・京都帝国大学の文系学生は貧乏な農村出身者が多かったという調査結果である。

つまり、西欧の文系エリート学生は、小さい頃からラテン語教育などを受けながら家庭の中で、身体的に教養を吸収していたのに対し、日本の文系エリートは、大学に入ってからいっしょうけんめい知識を詰め込んで教養を身につけていたということだ。こうした日本の文系エリートのサポートをしていたのが岩波書店、ということになる。

本書を読んで「なるほど」と思った点はあったが、ちょっと言い過ぎであるような気がした。

岩波文庫・岩波新書が、質の高い書籍を提供しているのは事実であるし、それを消化して、自分のものにできるかどうかは、個々人にかかっている。貧乏な田舎者が大学に入って一生懸命教養を身につけようとしたからといって、それが「詰め込み」や「表層的」とは限らないであろう。

ただし、「教養」の意味については、とても考えさせれらる書であった。









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