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『砂の女』(読書メモ)

安部公房『砂の女』新潮文庫

抽象的で小難しい小説かと思ったが、予想に反して読みやすかった。推理・ホラー小説といってもいいくらいだ。

昆虫採集に訪れた主人公は、砂の穴の底にある家で一晩の宿をとる。しかし、未亡人が一人住むその家に軟禁されてしまう。砂をかき出すのに男手が必要だからである。いろいろな手を使って脱出を試みるが、ことごとく失敗。しかし、主人公は、砂をかき出すだけの単調な生活や、何もない村の中に愛着と生きがいを見いだしていく。

われわれは、自分の生活の枠からなかなか抜け出すことはできない。自由な外の世界にあこがれるが、実はそんなに自由ではないこともわかってくる。

本書を読み進めるうちに、自分と主人公の姿が重なり合っていくことに気づいた。自分の生活の意味を振り返るためにも活用できる書である。
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5勝4敗1分け

作詞家の秋元康さんは、人生について次のように持論を述べている。

「20代、30代は人生の全試合に勝てるような気がしていました。今思えば何て生意気だったのだろうと恥ずかしくなります。ところが、40代を過ぎていろいろなことが分かってくると、当たり前のことですが、人生は全勝できないと気づくのです。負けや引き分けがあるから人生なんだと。10勝0敗を目指すのではなく、5勝4敗1分けでいい。そう考えたら気が楽になりました。全勝を目指していた頃は精神的にいつもピリピリしていたのですが、4敗1分けしてもいいのだと思うと、スタッフのミスも「ドンマイ!」と言えるのです。もちろん、本当は人生に勝ちも負けもありません。ただ、自分の仕事を採点する時に、目標を超えたのか越えられなかったのかを、勝ったか負けたかという言い方でしていたのです。」

普段の生活をあまり勝ち負けで考えていなかったが、たしかに「45%くらい失敗してもいい」と思うと気が楽になる。もっといえば、野球の打率のように「3割くらい成功すればいいんだ」と考えると肩の力を抜いて生活できそうだ、と思った。

出所:朝日新聞社編『仕事力:金版』朝日文庫
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甘ったれるな

音楽家の坂本龍一さんは、温厚なイメージがある。しかし、けっこう厳しい人であることがわかった。坂本さんは、ある出来事を次のように振り返っている。

「2年ほど前に、ある大学に招かれて行った時のことです。学生たちが僕に、自分たちを元気づけてくれと発言したのですね。モチベーションをあげるための言葉を聞きたいということでした。僕は、普段あまり語気の強い話し方をしないし、音楽の仕事にしていることもあって柔らかいイメージを持たれているかもしれませんが、この時ばかりは頭にきて、「甘ったれるな!」と思わず怒鳴りつけていました。なぜ自分でやらないのか、なぜ自分のチカラを振り絞って少しでも前へ進んでいかないのか。情けなかった。」

「ただそこに待っていたら、誰かが自分を見つけてくれて、行く先を示して背中を押してくれるなんて、おかしいと思いませんか。自分のやりたい本当のところは、自分にしか分からない。自分でしか探し出せないからこそ、その仕事は輝くのだと思うのです。」

かなり頑固オヤジである。

生きていると、落ち込んだり、自信を失うことが多い。そんなときに、励ましてくれる人は貴重である。しかし、よく考えると、頑張っているから誰かが助けてくれるのであって、努力せずに誰かに頼ろうとしてもあまり成長につながらないのかもしれない、と思った。

出所:朝日新聞社編『仕事力:金版』朝日文庫

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わたしは悪人が死ぬのを喜ばない

わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。
(エゼキエル書33章11節)
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私の存在

昨日紹介した『半生の記』の中で、松本清張氏は軍隊生活を、次のように振り返っている。

「この兵隊生活は私に思わぬことを発見させた。「ここにくれば、社会的な地位も、貧富も、年齢の差も全く帳消しである。みんなが同じレベルだ」という通り、新兵の平等が奇妙な生甲斐を私に持たせた。朝日新聞社では、どうもがいても、その差別的な待遇からは脱けきれなかった。歯車のネジという譬はあるが、私の場合はそのネジにすら価しなかったのである。ところが、兵隊生活だと、仕事に精を出したり、勉強したり、又は班長や古い兵隊の機嫌をとったりすることでともかく個人的顕示が可能なのである。新聞社では絶対に私の存在は認められないが、ここではとにかく個の働きが成績に出るのである。私が兵隊生活に奇妙な新鮮さを覚えたのは、職場には無い「人間存在」を見い出したからだった。」(p.97)

軍隊というと非人間的なイメージがあるが、清張氏から見れば、逆に企業の方が非人間的であった。

「私の存在」が認められることこそ、やりがいや生きがいの源泉なのだろう。

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『半生の記』(読書メモ)

松本清張『半生の記』新潮文庫

本書は松本清張の半生を描いた自伝である。

清張氏は、小学校卒業後、給仕、印刷工を経て、朝日新聞社西部本社にデザイナーとして入社し、40歳を過ぎて書いた小説が直木賞候補となる。

わくわくどきどきのアメリカンドリーム型の人生を期待して読んだが、内容はかなり地味である。まず、この本には、小説家になる前の部分しか書かれていない。「あとがき」で清張氏は次のように振り返っている。

「『文芸』から執筆をすすめられた。つい、筆をとったが、連載の終わったところで読み返してみて、やはり気に入らなかった。書くのではなかったと後悔した。自分の半生がいかに面白くなかったかが分かった。変化がないのである。」

たしかに、変化はない。仕事をしながら小説を書いていたわけでもなく、ただ生きることに必死だった清張氏。40年の半生に「小説家になりたい」という意思がまったく感じられないのが不思議だった。

ふつうの人だった清張氏は、40歳を過ぎて突然小説家になり、社会にインパクトを与える作品を猛烈に書き出す。沈黙の40年間は、小説家になるためのインプットの時期だったといえる。

それにしても、小説家になる「前」と「後」が違いすぎる。そのギャップの大きさから、「もしかしたら自分もすごい小説が書けるかも」と思ってしまうくらいだ。

偶然と思えることの中に必然がある。それを感じさせる本であった。
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超粘着質

『帝銀事件 死刑囚』『日本列島』などの社会派映画で知られる熊井啓監督。徹底した取材に基づいて、粘り強く映画をつくられた方らしい(故人)。

その熊井監督のエピソードを映画評論家の西村雄一郎氏が紹介している。

ある日、西村氏は、熊井監督と飲みに行った。時計を見ると朝の5時。さすがに限界だと思い、タクシーに熊井監督を押し込んで帰った。

家に帰って寝ると、朝10時頃に電話が鳴り「バカヤロウ。お前が帰ったので、タクシーに行き先を変更させて、朝まで開けている浅草の飲み屋に行ったんだ。今新宿にいる。今すぐ新宿に来い。」と熊井監督。

朝まで飲むのを通り越して、昼まで飲んでいたのである。

その後がすごい。やってられないと思った西村氏はまた電話がかかってくるのを恐れて外出。すると、監督は、西村氏の佐賀の実家に電話をかけて「監督の熊井だが、西村雄一郎に熊井が今、新宿一丁目の角で待っていると伝えてくれ。」と伝言したらしい。

この超粘着質の性格こそ、骨太の社会派映画を創る源なのだろう。あきらめずに何かを成し遂げるためには「しつこい」という性格も大切になる、と思った。

出所:西村雄一郎『ぶれない男 熊井啓』新潮社
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わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから

わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。
(ヨブ記2章10節)
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『イノック・アーデン』(読書メモ)

アルフレッド・テニスン(原田宗典訳)『イノック・アーデン』岩波書店

英国の詩人テニスンが1864年に発表した物語詩である。

主人公のイノック・アーデンは船乗り。愛する妻と子供たちを置いて船旅に出るが遭難してしまい、無人島に一人取り残される。一方、イノックを10年待ち続けていた妻だったが、ついに幼馴染と再婚してしまう。

運よく助けられたイノックが故郷で見たのは、幸せな家庭を築いた妻と子供たちの姿であった。そこでイノックが取った行動は?

久しぶりに本を読んで感動した。
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