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『ひとはなぜ戦争をするのか』(読書メモ)

アインシュタイン/フロイト(浅見昇吾訳)『ひとはなぜ戦争をするのか』講談社学術文庫

アインシュタインとフロイトの往復書簡である。

アインシュタインは、フロイトに対し「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」という問いを投げかける。

これに対し、フロイトは「人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうもない!」(p.45)、ただし「文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩み出すことができる!」(p.55)と結論づけている。

なぜか?

それは、文化が発展すると、知性が強まり、攻撃本能が内に向かっていくからである。

「文化の発展が人間に押しつけたこうした心のあり方―これほど、戦争というものと対立するものはほかにありません。だからこそ、私たちは戦争に憤りを覚え、戦争に我慢がならないのではないでしょうか。戦争への拒絶は、単なる知性レベルのでの拒否、単なる感情レベルでの拒否ではないと思われるのです。少なくとも平和主義者なら、拒絶反応は体と心の奥底からわき上がってくるはずなのです」(p.54)

やや単純化しすぎだとは思うが、「攻撃本能の内面化」という考え方が面白い。攻撃が内面に向かっていくと、自己否定になり、他者に危害を与えるという気持ちが低下するということだろう。

しかし、フロイトは気になることも言っている。

「冒瀆的に聞こえるかもしれませんが、精神分析学者の目から見れば、人間の良心すら攻撃性の内面化ということから生まれているはずなのです。お気づきでしょう。このような攻撃性の内面化が強すぎれば、ゆゆしき問題となります。ですが、攻撃性が外部世界に向けられるなら、内面への攻撃が緩和され、生命体に良い影響を与えます」(p.44)

つまり、自分を守ろうとすると攻撃性が外部に向けられるが、その攻撃性が内面に向かうと自分を滅ぼしてしまうのである。

攻撃性の内面化が進みすぎると戦争が起きる可能性は低くなるかもしれないが、精神病や自殺が多くなるというジレンマに陥る可能性がある。

人間や社会を「攻撃性」の面から考えると、違った世界が見えてきた。


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