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『歎異抄』(読書メモ)

千葉乗隆訳注『歎異抄』角川ソフィア文庫

歎異抄は、親鸞聖人の教えをその弟子がまとめたものらしい。本書を読み(もちろん現代語訳だが)、浄土真宗の考え方がわかったような気がした。

まず「本願」の意味。

本願とは「すべてのいのちあるものを救うという阿弥陀さまの不思議な誓願(本願)」(p.75)のことである。

老人も若者も、善人も悪人も、わけへだてをせずに必ず浄土に生まれさせてくださるという阿弥陀様の本願を信じて、念仏をとなえようという心がおこるとき、阿弥陀様は救ってくださるという。

なお、自分の努力で善を行いつみかさねても、決して浄土には行けない。罪や煩悩にまみれている我々には、自分の力でそれを消す力はないのである。つまり、浄土真宗は、「自力」を否定し、徹底的に「他力」を重視する

南無阿弥陀仏」の「南無」とは「帰依する」という意味らしいので、この念仏は「阿弥陀様の本願を信じます」という意味になる。

聞いてはいたが、浄土真宗の教えは、驚くほどキリスト教の考え方に似ている

キリスト教では、「神の子であるキリストが十字架にかかることで人間の罪が赦される」という不思議な考えを受け入れるとき人が救われる、と考える。人間には自分を救う力はなく、神のみにその力があること、すなわち自力を捨て、他力を受け入れるときに天国に行けるのだ。

本書を読んで少し不思議だったことは、浄土真宗が多い日本において「自分で何とかしよう」という「自力」の考え方が強いということ。

仏教が日本文化に与えた影響を知りたくなった。
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