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『森の生活:ウォールデン』(読書メモ)

ヘンリー・D・ソロー『森の生活:ウォールデン』講談社学術文庫

19世紀の思想家ソローの代表作である。

1845年の7月、ボストン近郊コンコード町にあるウォールデン湖畔に小屋を建てたソローは、自然の中で実験生活を始め、2年2ヶ月の間、人生とは何か、人間とは何かについて思索する。

ソローの凄いところは、本質を追究するところである。森の生活についてのやや退屈な記述の合間に、鋭い指摘をしてくる。例えば、衣服、家、財産にとらわれがちな人間の愚かさを次のように述べている。

「われわれは人間のことなどほとんど何も知らないくせに、コートやズボンのことなら何でも知っている」(p.38)

「われわれは贅沢品に取りかこまれてはいるものの、質素な楽しみがいくらでもあることに気づかないで、心の貧しい生き方をしているのである」(p.52)

「われわれの家というのは非常に扱いにくい財産であるから、その中に住むというより、しばしば監禁されているようなものだ」(p.53)

ところで、ソローはなぜ森に行ったのか?

「私が森へ赴いたのは、人生の重要な諸事実に臨むことで、慎重に生きたいと望んだからである。さらに、人生が教示するものを学び取ることができないものか、私が死を目前にした時、私が本当の人生を生きたいということを発見したいと望んだからである。人生でないものを生きたくはない」(p.139)

ウォールデンの森の中で、ソローは自然を満喫する。

「私は金銭の持ち合わせがなくとも金持ちだった。というのは陽の当たる時間と夏の日々にはそれを贅沢に使っていたからだ」(p.285)

「ある日の午後、私は一羽の横縞梟がストローブ松の幹の近くの低い枯枝に、この真昼に、止まっているのを楽しんでいた(中略)。梟がこんなふうにして、猫のように、まさしく翼をつけた猫の兄弟のように、薄目をあてたまま木に止まっているのを私が三十分も見ていたものだから、こんどは私の方が眠気をさしてきたのだった」(p.385)

しかし、ソローは森を出る決意をする。なぜか?

「私は森に入った時と同じ理由でそこを去ったのである。どうやら、私には生きるためには、もっと別な生活をしなければいけないように思えた。だから、森の生活のためにのみ時間を割くことは出来なかった。注目すべきはことは、どのようにして人は知らず識らずのうちに、あるきまった生活にはまり込んで、自分自身の慣れ親しんできたやり方を踏襲するのか、ということである」(p.463-464)

本書を読んで強く感じたことは、人生の本質を考え、シンプルな生活を心がけることの大切さである。

「自分の生活を簡素なものにしてゆけば、これに比例して宇宙の法則も複雑ではないように見えてくるだろう。孤独は孤独ではなくなり、貧困は貧困ではなくなり、弱点は弱点ではなくなる」(p.465)

決して体系的に書かれているわけではないが、随所に宝石が埋め込まれている本である。

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