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『塙保己一とともに』(読書メモ)

堺正一『塙保己一とともに:ヘレンケラーと塙保己一』はる書房

江戸時代に活躍した盲目の大学者、塙保己一の生涯を描いた本である。

保己一の主な業績は、日本に伝わる1273種類の書物を収集・編集し『群書類従』として出版したこと。あのヘレン・ケラーは「塙保己一先生はあなたの目標になる方ですよ」とお母さんに言われて育ったという。

本書を読むと、『群書類従』を編集することの大変さがわかる。

第1に、貴重な書籍を集めるためにお金やツテがいる。第2に、内容の誤りを修正する高い学識が必要である。第3に、17000枚を超える版木を彫り、それを保管するために数千両という資金がいる。

目が見えず、農民出身の保己一が、なぜこのような文化的な大事業を成し遂げることができたのか?

まず、彼が有能で勤勉だからである。一度聞いたものはすべて正確に覚えることができる能力を持ち、私利私欲で行動することがなく強い精神力で学問に打ち込んだらしい。

すると、保己一を応援しようとする人々が出てくる。師匠である雨富検校(あめとみけんぎょう)や、学問好きの大名の支援なしには、あそこまでの仕事はできなかっただろう。

これに加えて、印象に残ったのは、保己一の負けん気の強さである。

ある雨の日。天満宮へお参りに行ったとき、下駄の鼻緒が切れてしまった。たまたま「前川」という版木師の店先だったので、鼻緒をすげかえる布きれを分けてもらえないかと頭をさげたときのこと。

店の主は「なんだ、目が見えねえのか。朝っぱらから胸くそ悪い・・・・」「これでも使え!」とワラ縄を投げつけた。店の職人達にも笑われた保己一は、屈辱を忘れないために、その縄を懐に入れて、裸足で家に走り去ったという。

それから十数年後。『群書類従』を出版する準備が整ったとき、保己一は前川という版木師を呼び、鼻緒が切れたときの話をした。

「あのときは、言葉では言えない悔しい思いをした。ぐっと唇をかみしめ、拳を握りしめ、がまんをした。そのとき思ったのは、『この悔しさを忘れずに、たとえ目が見えなくても、人様から後ろ指を指されない人間になろう』と・・・・・。これがそのときのワラ縄・・・・・。それからというもの、あの日のことは一日たりとも忘れることはなかった。私の学問は順調に進み、おかげさまで、いよいよ『群書類従』の出版の運びとなった次第・・・・・。こんなことは、とうの昔にお忘れだろうが、あなたが、こんな形でわたしを励ましてくれたのだ、と今ではむしろ感謝している」(p.88-89)

屈辱の経験も、ポジティブなエネルギーに転換すれば、学びの原動力になることがわかった。








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