みどりの野原

野原の便り

3月17日 賀名生梅林  賀名生(あのう)皇居跡 堀家住宅 &  藤岡家住宅 欄間面白い。

2020年03月17日 | Weblog

車に乗せてもらって五条方面へ。

賀名生(あのう)梅林
さっそく梅林の遊歩道を登っていく。


歩いているとそんなに寒くもないが、民家のプランターの土が凍って、高さ2センチぐらいの霜柱ができていた。

 
獣除け柵で囲まれた梅の木の下にはフキノトウがいっぱい見えた。
フキノトウよりもフキの葉柄を収穫されるのだろうか。
さて、目的の梅は見ごろを過ぎていて、最初に目についたのは満開の早咲きの桜 
途中の休憩所で売っていた桜の切り花を買った。

 
      せっかくなので、咲き残った梅を撮影

 
梅畑は急斜面 手入れや収穫は大変そう。
            右)休憩所からは遠くに金剛山と御所の町が見えた。
この辺で標高は350mぐらいあるらしい。 

 
トサミズキ ミツマタや咲きかけのモクレンやコブシ キブシ もあった。
   右)これ何?と呼び戻されて行ってみると、スズシロソウが咲いていた。

急な下り道。膝ががくがく。

歴史民俗資料室の近くにある堀家住宅へ。

堀家住宅(賀名生皇居跡)

 
「皇居」と書かれた扁額のある門をくぐる。「皇居」の字は天誅組の参謀 吉村寅太郎 の書。

 
室町時代の創建という堀家住宅(国重文) 深い茅葺屋根がどっしりと。

堀家は足利尊氏に都を追われ、吉野へ行く途中の後醍醐天皇や、後に後村上天皇など、南朝3代の天皇の行在所となったところ。
天誅組の変では、五条から天ノ川辻に向かう隊士たちが訪れ、手厚いもてなしを受けたという。

以前は門を閉ざされていた(1回門の中へ入れていただいたことはある)が、「cafe&レストラン」になっていてびっくり。離れは宿泊棟になっているらしい。
亡くなられたお父様の跡を継ぐために賀名生に戻ってこられた現当主さんが開かれたお店だとか。

 
モダンなテーブルや椅子が置かれて落ち着いた喫茶飲食コーナーができていた。
           右)来訪者の名簿「来賓姓名録」の写しを見せてもらう。
名前はあまり知らないのだけれど、天誅組の隊士の名が並んでいた。 
コーヒーを飲んで一息入れて、次のところへ出発。

藤岡家住宅
(登録有形文化財)
金剛山の麓にある。


家の前に道標 右)五条 かうや(高野) 左)こんかうさん(金剛山)
文化3年 施主は藤岡長兵衛(藤岡家初代) 
金剛山越えは大阪への最短コースであり、五条は交通の要衝の地であった。

道路を挟んで米蔵があり、現駐車場もある藤岡家の土地だ。

 
     藤岡家         初代が植えた 長兵衛梅 樹齢300年

藤岡家は江戸時代の庄屋で、薬商 両替商 他 営んでいた富豪。
無住になって30年ほど空き家になり、取り壊しも考えられたが、茨城県にお住いの現当主(8代目)が修復され、NPO法人うちのの館が管理することになり、2008年11月からオープンされた。

修復が終わった母屋 内蔵 喫茶室 貴賓の間 大広間・・藥医門など、江戸~明治期の10棟が登録有形文化財に指定されている。

戦前、内務官僚をされ、佐賀県 和歌山県 熊本県の知事も歴任された藤岡長和氏の生家である。
長和氏は公務のかたわら俳人としても活躍された。俳号は玉骨

ボランティアさんに案内していただく。

母屋
 
           藤岡家のお雛様


内蔵は寛政9年(1797)藤岡家で一番古い建築 
2階には藤岡家の長和氏(玉骨)や一族の紹介コーナーや交流のあった俳人関係の展示もある。
有名な俳人・文人の名が並んでいた。
3月22日まで「蒔絵盆の世界」の展示中。
昔は階段ではなくハシゴだったそうだ。

 
短い階段を上がったところが玉骨が書斎として使っていた間
中二階のような渡り廊下のような・・小さい部屋だがいい雰囲気だ。

喫茶室(旧 離座敷)
 
  欄間は住吉大社の風景?   光を通し壁に投影ことを考えて造られている。
下張りに宗門改帳が使われている襖もあった。

貴賓室へは、控えの間から「虎の図」の襖(内側には琵琶湖八景)を開けて1段上がる上段の間になっている。

 
貴賓の間の欄間は黒柿の板 藤岡家の家紋「五瓜に唐花」と秀吉の「桐」家紋が切り抜いてある。


天井は屋久杉の板  贅をつくしてある。

 
大広間は明治45年 藤岡家住宅の最後の建築   
  右)欄間は桐材 盛り上がった黒い縁取りは、はめ込んだものではなく、それ以外のところを削り込んで縁を黒く塗ってある(漆?)のだそうだ。へ~~!


まわり廊下のガラスは手作りガラス。
不思議なことに、ガラスの内側に雨戸がある。えっ?何で?
元は雨戸だけだったが、普及し始めたガラス戸を後付け(大正時代?)されたらしい。
それにしても台風などの時、外のガラス戸は大丈夫なのか?と思う。
ガラスと雨戸の間に空気が入ることでクッションになり割れにくいそうだ。
今まで割れたものはないらしい。


  医薬門 賓客のための門

藤岡家 とくに欄間が面白かった。
部屋は申し込めば利用もできるようだ。

いろんな部屋を見せてもらって、見どころがいっぱいで、ごっちゃになってる部分があるかも。
間違えていたらごめんなさい。

賀名生の堀家も五条の藤岡家も、歴史ある建物を上手に活かしておられました。

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3月15日 お花見だ~。 アオモジ ケイオウザクラ サンシュユ満開

2020年03月15日 | Weblog

h31年3月に来て以来、久しぶりの平群へ。
再開発以来、変わりゆく駅前 大きい「平群町総合文化センター」もオープン間近のようだ。

山はアオモジ・ケイオウザクラ・サンシュユの花盛り。
ハクモクレンは咲き始めているものもあるが、つぼみも多い。
崩れたのか?土がむき出しのところ、山肌が見えるところなど気になるところもある。

さて、キジムシロやキランソウの咲く、いつもの野道を通り白山神社へ。
オオカワヂシャも咲いていた。

白山神社

 
      白山神社 拝殿            弥勒堂
弥勒堂の前に立派な説明板が新設されていた。
白山神社は、福貴寺という盛時には60坊を数えたという大きい寺の跡に建つ。
福貴寺は法隆寺夢殿中興の祖といわれる道詮律師が開いたと言われる。
 右)弥勒堂は現存唯一の福貴寺の遺構とのこと。今のお堂は安政6年に再建されたもの。

何回も来ているのに、今回初めて弥勒堂の中を覗いてみた。
中は暗く、撮った写真もはっきりしないが・・

中央に弥勒堂の本尊 弥勒菩薩立像 
向かって左の小像が、夢殿に現存する「塑像 道詮坐像(国宝)」を昭和初期に摸刻したという「木造の道詮坐像」か?
裏山には道詮律師の供養塔(宝篋印塔)もある。

尾根へ出る。

 
畑の向こう側に咲いている白い花は何?ハナモモ?
                  右)ケイオウザクラ

 
アオモジ 遠目にも雄・雌の木がわかる。左奥が雌株 手前雄株 
 右)ウラジロの芽 ゼンマイの中にはちゃんと二股に分かれた葉の芽が入っている。


   クサイチゴの花が1輪

福貴畑のあたり 黄色はサンシュユ ピンクはケイオウザクラ
ケイオウザクラはシナミザクラの台木にコヒガンザクラを継いだところ出来た枝変わりから生まれたそうだ。
名前は作出者の啓太郎翁に由来する。早咲きで切り花用に栽培される。

 
 

 
 
アオモジの多いこと。山の中にも転々と。花が咲いて初めてわかる。
びっしりと花がついて色が濃く見えるのが雄花(雄株)花がまばらで少し白っぽいのが雌花(雌株)
雄花のつぼみが早春の花材として用いられる。
山のアオモジは栽培されていたものから野生化したもの。
攪乱された日当たりのよいところに繁殖し、小苗もたくさんある。

 
 これは雄株 見るからにごつい。 それに比べて雌花はやさし気。
遠かったり高かったりで、なかなか手に取って見にくい。

帰りは住宅地の方に下りた。

 
      カンヒザクラが咲いている所があった。

今回は初めての道にも入ったので、違う景色を見れてよかった。
駅近くになって、小雨が降り出したが何とかセーフ。よいお花見ができた。


信貴山下駅のところで「ケーブルカー」がちらりと見えた。(青いもの)
1983年まで運行されていた「近鉄東信貴鋼索線のケーブルカー」
廃線から37年ぶりに起点だった信貴山下駅そばに展示されることになり、3月28日から公開されるという。

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3月13日 再び三谷~芹井~小夫 寝地蔵 もう一つの瀧蔵神社 天神社ケヤキ巨木 これ何?

2020年03月13日 | Weblog

先日(3月9日)見残したものを見に、再び芹井~小夫の山へ。3月9日瀧蔵神社・・参照 
三谷から、寝地蔵へ歩く。

 
       畑地~荒れ地・山地・切通道・・どこも静か。


車道に出た。横切って又山道を少し登る。
前に車で連れてきてもらったことがある。
その時は、近くに車を止めて歩いたのですぐだったが、歩いて登るのもよいものだ。

 
 階段を上がると「寝地蔵」を刻んだ大岩がある。 
         右)割れて転げ落ちたらしい大岩に刻まれたお地蔵様の姿。
大昔から「三谷のネンドさん」と親しまれ、特に腰痛にご利益があって信仰を集めたらしい。
右側に赤い前垂れのお地蔵さまもいらっしゃる。

 
寝地蔵の右上の斜面にも仏像を刻んだ石がある。元は寝地蔵の石とつながっていたのかもと思われる。
これは阿弥陀如来像で建武2年に追刻されたものらしい。

 
寝地蔵の大岩を 110度 起こしてみました。右の阿弥陀如来の岩と角度ぴったり合いますね!
うまく加工すればつながりますが、根気が・・・
『昔、大男が寝地蔵を起こそうとしたが、ダメだった。近くの田んぼに最近まで大きなワラジ跡が残っていたとの伝説がある。今は杉が植林されている』との看板があった。

車道を下る。
 
枯れた木が目についた。(植えてあるもの)
         右)球果(松ぼっくり)がいっぱいついている。
松ぼっくりがたくさんついたまま枯れたマツは見ることがあるが、松ぼっくりの数が半端ない。
何やこれ?? 近づいてみる。

 
これが球果 小さくて可愛いなあ。これでわかる人はわかると思う。まだ私はわからない。

 
よく見ると丸いものがいっぱいついている。何やこれは? まだわからない。
珍しくて、写真を撮りまくっているうちに・・
「あ、そうか!カラマツ か」 やっと気が付いた。
丸いものは雄花の冬芽で小さいのは短枝の芽らしい。

カラマツ(落葉松)は東北・関東・中部地方などの亜高山帯から高山帯に分布
植えられることもある。
カラマツは何回か見たことはあり、葉ぐらいは知っていっるが、落葉したものは見たことがなかった。
松ぼっくりも見たことがなかったのだ。
わかってスッキリ。

先日通った山道も上り下りして・・どこを歩いているのかわからないが・・。

 
山裾に黄色い花を付けた木があった。ダンコウバイのようだ。 
                    右)コシアブラ つぼみが開きかけ。

 
芹井の瀧蔵神社 ここは3月9日に行った瀧蔵神社と名前も同じ、祭神も同じだ。
由緒は不明 集会所で村人が寄り合い中。

 
 割石神社と印刻の灯篭 ?? 右)太神宮灯篭 
このあたりの山道は古道が多い。伊勢への街道も通っているのだろう。

山道を下りに下って・・・どこまで・・
 
   ヤマネコノメソウ        ウバユリの若い芽

 
  カンスゲ? わからない。     タマゴケは山道でよく見た。
今はまだ目につく花はほとんどない。


集落入口に架かる勧請縄 低い! くぐって登ると集落に出た。

車に戻って、最後の目的地 天神社 へ。
ケヤキの巨樹があるらしい。
 
     天神社 
『創建年代不詳 太陽信仰に関係した社 天照大神を主神とする元伊勢の伝承地の1つ』
大来皇女が斎王として伊勢に赴く途中、潔斎のためにこの地に滞在したと伝わるが、有力候補地は他にもあるらしい。
               右)左へ回り込むと・・すごい!
「下りて下から見るとよい」との案内板がある。

 
崖から生えてる。ゴツ~!スゴ~! 梢まで写そうと離れた所へ。

 
根元から見上げると・・貫禄! 最後に記念写真に納まるちっぽけな私。

天神社のケヤキ
『樹齢1500年 根廻11m 幹回り8.24m 樹高30m 奈良県下でも有数のケヤキ』
第23代顕宗天皇の時の記録に「植槻田中乃社也」との記述があるという。

すばらしいケヤキ巨樹に会えて満足。
14世紀に造られた珍しい六角形の石灯籠があったらしいが・・見逃し。
次の機会に・・


途中で採ったツクシとフキノトウは、娘に送ってやった。

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3月12日 馬見丘陵公園周辺 ルリシジミ ヒサカキ 

2020年03月12日 | Weblog

公園を出て、静かな周辺部を歩き回った。
ちょっとここを入ってみよう。とかここからはどこへ出るのかな?
突き当たっては戻り・・と探検。

キジの雌が草むらから飛び立ってびっくり。カメラを構える時間はなかった。


ブルーのルリシジミ ブルーのオオイヌノフグリで吸蜜
モンシロチョウも3頭見たが撮れず。

 
   ヒサカキの雄花         ヒサカキの雌花

 
里山には 左)ヤマハゼ や  右)ヌルデが多い。葉痕が冬芽の周りを包み込んで、陰芽のように見える。

 
 カンサイタンポポが多かった。    コオニタビラコ 開花。

 
   ヒメオドリコソウ        オオイヌノフグリ
珍しくはないけれど、撮りやすいところで撮っておこう。

特別なものはなかったが、野山歩きは楽しい。 

無事、馬見丘陵公園へ戻れた。

 
    ハクモクレン 満開      イヌコリヤナギ 果穂

 
           トサミズキ   満開
ユキヤナギ サンシュユ ボケも満開

 
ユリノキ アヒルのような枝先の芽 ここから葉の展開が面白い。
                 右)オオイタビ 雄果嚢がたくさんできていた。

 
今日はお天気もよく、花は見ごろ、駐車場は車いっぱい。老若男女・・人もいっぱい。

長居は無用。急いであちこち見て、そそくさとバスに乗った。

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3月11日 うちの庭 キョウチクトウ 芽生え

2020年03月11日 | Weblog

前庭の植木鉢を移動しようとして、芽生えがあるのに気が付いた。


細い双葉から少し幅のある本葉が出ていた。何かな?

そうか。近くにあるキョウチクトウ(白花)のものだ。


枝先を探してみたら、あった! 種子を散布した果実のはじけた果皮が残っていた。

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3月10日 うちの庭 水前寺菜収穫 ハヤトウリ植える準備

2020年03月10日 | Weblog

年末にいただいたハヤトウリ。植えてみようと紙に包んで部屋に置いておいた。


今日、紙を広げてみると芽が出ていた。あらら~早すぎる。
部屋は暖かすぎるので、紙に包んだままベランダに移動。
植える時期は暖か~くなってからだそう。


とりあえず、植える準備 
一番大きいプランター(90㎝)に、石灰と肥料を混ぜて少し置いておくことにした。
もう少ししたら、早いが植えるつもり。 うまく育てばいいが・・


水前寺菜(上のプランターの左)の枝を摘んで収穫
おひたしにする。葉だけを取って、枝は挿し木した。

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3月9日 桜井市小夫~瀧蔵 周辺 小夫大注連縄 瀧蔵神社 冬芽はキハダ? ウグイスカグラ ツチグリ 道標

2020年03月09日 | Weblog

晴天 天気予報では最高温度19度。暖かそうだが、今日行くのは高所なのでそのつもりで出発。

10時 ウォーキング出発 今日は3人で。

小夫集落入口の 勧請縄(大注連縄)

 
   旧道に架かる勧請縄        新道に架かる勧請縄  
旧道・新道の両方に架けられている。2連の注連縄は珍しい。青空に映える。

 
飾り物(下げもの)。木の枝や葉を差したもの 松の枝を挟んだもの 藁を束ねたもの・・
形も変化に富んでいて素晴らしい。  

瀧蔵神社へ上り道


田んぼからは水蒸気が立ち上っていた。

そんなにきつくはないが、ずっと上り道が続く。

 
  だいぶ登ってきた。濃淡の山並みがうつくしい。 さわやかな風

瀧蔵神社に到着

 
      瀧蔵神社拝殿              拝殿前の磐座


 本殿 伊弉諾尊 伊邪那美尊 速玉尊を祀る三社権現
瀧蔵神社は、標高430m 瀧倉山の山頂近くに鎮座
長谷寺の奥の院といわれ「長谷寺へお参りしても瀧蔵神社へ参詣しなければご利益は半減する」と伝えられているとか。
瀧蔵神社社叢は暖帯林の極相林が広がり、天然記念物に指定されている。

 
鐘楼の鐘を撞いた。カ~ンと高い金属音で、重厚な音には聞こえなかったが・・
説明板を読むと、室町時代、長谷寺の高僧により寄進されたものだとか。
軽い音なんて言ってすみませ~ん。  右)釣鐘には鋳物師の名が彫られていた。


宝篋印塔跡地などがあるとの案内板に従って、細い急な山道を下る。

  
   弥勒菩薩石仏      黄金塚らしい高まり    中谷休憩所の磐座
他に、宝篋印塔跡地 観音屋敷跡などがあった。 山道を戻る。

別に、500m下ると薬師堂があるとの表示に従ってさっきよりは歩きやすい道を下っていく。


     薬師堂
歩き回っているうちにもうお昼。
権現桜の近くで満開の花を想像しながらお弁当にする。

 
権現桜は樹齢400年といわれるシダレザクラ。 まだつぼみは固い。
権現様のお告げにより植えられたのが起源とか。
満開のころには見物の人でにぎわうのだろう。今はだれもいない。

確か来たことがあると思ったら。2004(平成16年)4月11日に満開の写真が残っていた。
ずいぶん前だ~。

このペースでは予定していたコースはとても無理で、違う道で元へ戻ることに。

山道は分岐が多い。街道も通っていたのだろう。
地蔵堂や道標もたくさんあった。

  
    四叉路にあった 十三仏堂      左が十三仏  

 
同じ辻にあった苔むした自然石の道標「右ハ ともだ 左ハ をぶ ふくずみ」
違う面には「右 當村 左 はせ 十兵衛」の文字も。(表記どおりではない)

  
山道の分岐の倒れた石柱(→)も道標だ。右 はやま 右 はいバラ 左 ちさハラ など読める。
左にも細い道があったらしい。

 
   ツチグリが斜面に3つ 
アオキ 雄花は蕾 雌木はつややかな真っ赤な果実を付けていた。

 
      花を付けたウグイスカグラを見つけた。可愛い~。

   
  木の枝を引き寄せてみた。 
      この冬芽は何?陰芽だ。対生で落葉樹で・・キハダかな?
      枝を削ってみた。黄色ではなくて緑色だ。 正解は何かな?

 
      地蔵堂 中には五輪卒塔婆を彫ったものと地蔵尊


 フキノトウも採った。

集落に出た。
旧道に入った辻に、2個の道標

下部がなくなっているが、お堂の右前の三角の石(右の→)も道標だという。 
右)やま道 左)なら・・と読めた。
左の柱型の灯篭(左の→)の下部も道標 右なら 左はせの文字が・・

道標は息子が詳しく、上記もすべて探索済みだとか。ホームページに多数記載。

  
お多福さん 大黒様(恵比寿様もあった)寿の入った瓦 集落には立派な瓦のお家が多い。

3時、駐車場所に到着。さわやかな気持ちのよい山歩きだった。
歩いている人には全く出会わなかった。

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3月7日 石舞台周辺 散歩 売店休業で昼ご飯なく早々切り上げ。

2020年03月07日 | Weblog

打って変わって春の陽気
三寒四温っていうけれど、気温差が大きすぎる。

あまりにいい天気で、家にもおれず・・またまた近場歩き。

 
     ウメは満開       ヒュウガミズキも満開 (ピンボケ)
広場では数組の親子がのびのびと遊んでいた。
車でここまで出てくればコロナの心配もなさそうで子供や親のストレス発散にいいでしょう。
(私もです)

台風で根こそぎ倒れてなくなったナツメ。
残っていた根から萌芽して、幼木がたくさん出ていた。
これでまた木が育つ、と楽しみにしていたのにきれいさっぱり。
刈られたらしく1本もない。がっかり。

祝戸へ向かう山では、ヤマハゼなどの雑木がきれいに刈りはらわれてすっきり。がっかり。
カシやクヌギなどばかりでだんだん淋しいつまらない山になる。
邪魔にならない程度に、いろんな樹種を残してほしいものだ。

 
アブラナの畑のあたりには写真を撮る人がたくさんというほどでもないがまあまあの人出。
                  右)マンサクも満開

 
      エリカ           ギンヨウアカシア

 
アセビ 日当たりのよい枝は満開    どんぐりが発根

 
  アケビのつぼみが見えていた。  ニワトコも固いつぼみが見えるものも。

 
     イヌビワ          同じクワ科のイチジクの冬芽

 
   シロバナタンポポ         カンサイタンポポ

お茶だけ持って、売店でパンでも買おうと思っていたら・・休業中
シーズンオフなのとコロナ関連?のせいか?
腹がすいては戦ができぬ。お昼過ぎのバスで退散。


石舞台バス停 屋根付きの待合所が建っていた。これはGood.
売店休みは参った。想定外だったなあ。 
でも、ちょっと歩けば、疑問もわいてきてしばらく楽しめる。

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3月5日 十二柱神社(武烈天皇 泊瀬列城宮 伝承地)~十二神社(雄略天皇 泊瀬朝倉の宮 伝承地の1候補)~狛 ツクシとフキノトウ

2020年03月05日 | Weblog

先日(2月25日)の日本書紀ウォークで「今日は行きません」と言われた十二神社

行かないと言われればどんなんかな?と気になって・・今日行ってきた。
寒い日。昼頃の雨はみぞれ混じり。あられも降り、終日風が冷たかった。

出発は「十二柱神社
先日のおさらいを。

 
     十二柱神社      野見宿禰塚から移された五輪塔
「12神が祀られる」 
  神代7代(国常尊・・伊弉諾尊 伊弉冉尊) 地神5代(天照大神・・瓊瓊杵尊・・)
「武烈天皇 泊瀬列城宮(はつせのなみきのみや)伝承地」
  日本書紀に記載されている武烈天皇による異常行為は古事記には記載がないそうだ。
「野見宿禰塚にあった5輪塔」
 明治12年 野見宿禰の塚が取り壊された時、ここに移された。奈良で3番目に大きい五輪塔らしい。
「4人の力士が支える 狛犬」
 珍しい。相撲発祥の地といわれる土地柄か。
 
1人1人 姿の違う4人の力士に支えられた狛犬が2体
台座にも模様が彫られ、文字の刻みも深く、立派な狛犬 文久の銘があった。

 
 
           う~ん。見る方も力が入る。
出発。
野見宿禰塚跡を右に見て登っていく。「山の中腹にあります」と聞いている。
 
十二神社があるという上岩坂を目指してどんどん登っていく。だいぶ登ってきた。
のどかな景色が続く。


    植林地の道           

 
こんな山の中に「岩坂延命地蔵菩薩」の旗が。
 右)階段を登っていくと、苔むした五輪塔や地蔵尊などが並ぶところに出た。
ガン封じにご利益があるという。書いてあった唱え言葉を唱えてお祈りをした。

 
向こうに見えるのが上岩坂集落か? ずいぶん高い所まで登ってきた。
                右)フキノトウを採り、ツクシを採り・・

 
上岩坂集落の一番高い所に「十二神社」はあった。(十二柱神社と名前が紛らわしい)
先日、プリントした写真を見せてくださったが、思ったよりも立派な神社だ。

 
「雄略天皇 泊瀬朝倉の宮 伝承地」の看板。
             右)写真にあった本殿前の大杉?は切り株になっていた。
銀名水の井戸があったらしいが、見逃した。

雄略天皇 泊瀬朝倉の宮の伝承地は複数あり、先日も行った「白山神社」にも伝承地の碑があった。
今は、近年発掘調査があり建物遺構も出土している「脇本遺跡」(春日神社のあたり)が朝倉宮の有力な候補地とされているようだ。
初瀬川の氾濫を考慮しても、上岩坂は高所すぎるともいわれるそうだ。
う~ん。宮跡、よくわかりませ~ん。   

 
     境内下のお堂の中には仏像が数体収められていた。

十二神社を出て、狛集落へ向かう。

 
少し上り下りして山を回り込む。     下の方に集落が見える。
この道は、巻向~ダンノダイラ~出雲~狛峠~宇陀への古道らしい。

宇陀への分岐もあり、狛峠も近いのかもしれない。

下りになり、狛集落に入る。
 
お城のような石垣が見え、行ってみた。 
 右)石垣の上にケヤキ大木 幹の上部はなくなっていた。イチョウの大木もあった。

 
狛稲荷神社というらしい。平成6年に全面改築したとの表示があった。
              右)神座石という平石 ありがたい石なのでしょう。
 
 
   ずっと下って大和川    カルガモ ずっと昔からいたのでしょうか?

 
十二柱神社に近い「地福寺」本尊は阿弥陀如来
      右)境内の石仏群の中には室町時代の地蔵もあるらしい。
十二柱神社に戻ってきた。

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3月3日 ウォーキング イヌカキネガラシ ネジキの冬芽 

2020年03月03日 | Weblog

家から寄り道しながら橿原神宮あたりまでウォーキング

 
曽我川堤防 セイヨウカラシナが摘み頃。収穫
              右)オオキバナカタバミ 大群生 花盛り
ナヨクサフジも群生 花はまだ。

 
 田んぼの水路でタガラシの花    スイバの雄花がもうすぐ咲きそう。

 
  アカマツの1年目の球果      スギの雄花 花粉放出中

 
センダンの幼木の太い枝 大きい皮目 葉痕の形
                右)太い枝に細い枝を重ねてみた。 
太い枝と細い枝、皮目の大きさも違うし、葉痕の形も違う。

 
マグワと思う木 この冬芽を見たかった。 ネジキ 赤い新枝と冬芽
誰が言ったか三大美芽の1つとか。真っ赤な枝は確かにきれい。
(ザイフリボク・ネジキ・<wbr />コクサギ) ザイフリボクは近くにない。

 
山すそにはウルシ科と思われる木がよくある。
手が届かなかったが、これは葉痕の形からヤマウルシのように思った。
もし、手元近くにあっても切るのも怖い。
                右)これは手に届く所にあった。ヤマハゼと思う。

 
 山すそにベニカタバミ 花はまだ。
近くに家もあったので植えられたのかもしれない。

 
   ひとところにイヌカキネガラシが群生。花と若い果実あり。


空き地にツクシが出ていた。痩せているが初収穫。

 
ギシギシにコガタルリハムシ お食事中 
            右)ナミテントウ(黒地変形黄二紋型)これもギシギシに。


  公園のカワヅザクラ ピーク過ぎ

午後から歩いて5時間弱 約2万歩 約10キロのゆっくりペースのウォーキングでした。
しっかり歩けば2時間で往復できるところ。思うほど運動にはなってない・・まあいいでしょう。 

コメント
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