車に乗せてもらって五条方面へ。
賀名生(あのう)梅林
さっそく梅林の遊歩道を登っていく。
歩いているとそんなに寒くもないが、民家のプランターの土が凍って、高さ2センチぐらいの霜柱ができていた。
獣除け柵で囲まれた梅の木の下にはフキノトウがいっぱい見えた。
フキノトウよりもフキの葉柄を収穫されるのだろうか。
さて、目的の梅は見ごろを過ぎていて、最初に目についたのは満開の早咲きの桜
途中の休憩所で売っていた桜の切り花を買った。
せっかくなので、咲き残った梅を撮影
梅畑は急斜面 手入れや収穫は大変そう。
右)休憩所からは遠くに金剛山と御所の町が見えた。
この辺で標高は350mぐらいあるらしい。
トサミズキ ミツマタや咲きかけのモクレンやコブシ キブシ もあった。
右)これ何?と呼び戻されて行ってみると、スズシロソウが咲いていた。
急な下り道。膝ががくがく。
歴史民俗資料室の近くにある堀家住宅へ。
堀家住宅(賀名生皇居跡)
「皇居」と書かれた扁額のある門をくぐる。「皇居」の字は天誅組の参謀 吉村寅太郎 の書。
室町時代の創建という堀家住宅(国重文) 深い茅葺屋根がどっしりと。
堀家は足利尊氏に都を追われ、吉野へ行く途中の後醍醐天皇や、後に後村上天皇など、南朝3代の天皇の行在所となったところ。
天誅組の変では、五条から天ノ川辻に向かう隊士たちが訪れ、手厚いもてなしを受けたという。
以前は門を閉ざされていた(1回門の中へ入れていただいたことはある)が、「cafe&レストラン」になっていてびっくり。離れは宿泊棟になっているらしい。
亡くなられたお父様の跡を継ぐために賀名生に戻ってこられた現当主さんが開かれたお店だとか。
モダンなテーブルや椅子が置かれて落ち着いた喫茶飲食コーナーができていた。
右)来訪者の名簿「来賓姓名録」の写しを見せてもらう。
名前はあまり知らないのだけれど、天誅組の隊士の名が並んでいた。
コーヒーを飲んで一息入れて、次のところへ出発。
藤岡家住宅(登録有形文化財)
金剛山の麓にある。
家の前に道標 右)五条 かうや(高野) 左)こんかうさん(金剛山)
文化3年 施主は藤岡長兵衛(藤岡家初代)
金剛山越えは大阪への最短コースであり、五条は交通の要衝の地であった。
道路を挟んで米蔵があり、現駐車場もある藤岡家の土地だ。
藤岡家 初代が植えた 長兵衛梅 樹齢300年
藤岡家は江戸時代の庄屋で、薬商 両替商 他 営んでいた富豪。
無住になって30年ほど空き家になり、取り壊しも考えられたが、茨城県にお住いの現当主(8代目)が修復され、NPO法人うちのの館が管理することになり、2008年11月からオープンされた。
修復が終わった母屋 内蔵 喫茶室 貴賓の間 大広間・・藥医門など、江戸~明治期の10棟が登録有形文化財に指定されている。
戦前、内務官僚をされ、佐賀県 和歌山県 熊本県の知事も歴任された藤岡長和氏の生家である。
長和氏は公務のかたわら俳人としても活躍された。俳号は玉骨
ボランティアさんに案内していただく。
母屋
藤岡家のお雛様
内蔵は寛政9年(1797)藤岡家で一番古い建築
2階には藤岡家の長和氏(玉骨)や一族の紹介コーナーや交流のあった俳人関係の展示もある。
有名な俳人・文人の名が並んでいた。
3月22日まで「蒔絵盆の世界」の展示中。
昔は階段ではなくハシゴだったそうだ。
短い階段を上がったところが玉骨が書斎として使っていた間
中二階のような渡り廊下のような・・小さい部屋だがいい雰囲気だ。
喫茶室(旧 離座敷)
欄間は住吉大社の風景? 光を通し壁に投影ことを考えて造られている。
下張りに宗門改帳が使われている襖もあった。
貴賓室へは、控えの間から「虎の図」の襖(内側には琵琶湖八景)を開けて1段上がる上段の間になっている。
貴賓の間の欄間は黒柿の板 藤岡家の家紋「五瓜に唐花」と秀吉の「桐」家紋が切り抜いてある。
天井は屋久杉の板 贅をつくしてある。
大広間は明治45年 藤岡家住宅の最後の建築
右)欄間は桐材 盛り上がった黒い縁取りは、はめ込んだものではなく、それ以外のところを削り込んで縁を黒く塗ってある(漆?)のだそうだ。へ~~!
まわり廊下のガラスは手作りガラス。
不思議なことに、ガラスの内側に雨戸がある。えっ?何で?
元は雨戸だけだったが、普及し始めたガラス戸を後付け(大正時代?)されたらしい。
それにしても台風などの時、外のガラス戸は大丈夫なのか?と思う。
ガラスと雨戸の間に空気が入ることでクッションになり割れにくいそうだ。
今まで割れたものはないらしい。
医薬門 賓客のための門
藤岡家 とくに欄間が面白かった。
部屋は申し込めば利用もできるようだ。
いろんな部屋を見せてもらって、見どころがいっぱいで、ごっちゃになってる部分があるかも。
間違えていたらごめんなさい。
賀名生の堀家も五条の藤岡家も、歴史ある建物を上手に活かしておられました。