みどりの野原

野原の便り

7月20日 平城旧跡 

2016年07月20日 | Weblog
平城旧跡

 
           シマスズメノヒエ              タチスズメノヒエ


           スズメノヒエ 

シロバナサクラタデ トゲヂシャ シロツメクサや仲間 ナルトサワギクも1株 暑さに負けない草達。
イネ科やカヤツリグサ科 ヨシの仲間・・ちょっと地味な野原を半日だけ歩いた。
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7月18日 対馬③ 最終日 万松院 ツシマヤマネコ 乗馬体験 琴の大イチョウ 

2016年07月18日 | Weblog
いよいよ最終日

最終日も楽しむぞ~。

 
     宿坊西山寺 朝食もおいしい。    8時半にチェックアウト
朝鮮半島との外交窓口になった「以酊庵」があったという由緒ある西山寺を宿泊場所に選んでくれてよかった。
 
近くの 万松院へ。
ここは元和元年(1615)対馬藩の宗家20代義成が父義智の冥福を祈って建立したもので、以後、宗家の菩提寺にもなっている。
歴代藩主14人とその家族などが眠る墓地があり、日本3大墓所といわれる。
ちなみに後の2つは石川県の前田家墓所と山口県毛利家の墓所だという。

 
万松院は火災により焼失したが、消失を免れた正門と仁王像は創建当時のまま。
知らずに通り過ぎたのだが、写真だけ撮っていた。

 
本堂は明治12年(1879)の建造        溝の付いた柱は珍しく思った。

墓所へ通じる百雁木という階段が有名らしい。

 
この橋の向こうに百雁木があるが、閉まっていて、ぐるっと回りこむ。
                         百雁木は石の階段 132段あるらしいが楽勝。

階段を登ると下御霊屋(おたまや)・中霊廟と一族の墓がたくさん並ぶ。

 
特に最上段の上霊廟には立派なお墓が並んでいた。

そして
 
     3本のスギの巨木は樹齢400年以上という。 迫力がある。

神社の売店
 
せんだんご「せん」というのはサツマイモのでんぷんのことで、乾燥させたものは対馬の保存食だという。
               右)水でこねて団子にして使う。  使い方を実演してくださった。
珍しいので1袋購入 まだ使ってない。
昨日の店で食べた「ろくべえ汁」にも突き板でついた「せん」が入っていた。

国道382号線を北上、島の北部にある対馬野生生物保護センターへ。
途中寄り道したので約2時間かかった。
対馬野生生物保護センター


ツシマヤマネコに関する展示や野生生物の保護増殖を目的とした研究をしているところ。

たくさんの資料の展示があり、付け焼刃で知識を仕入れる。

ツシマヤマネコは日本では対馬だけに生息し、国の天然記念物に指定されている。
東南アジアや中国・朝鮮半島・アムール川流域に分布するベンガルヤマネコの亜種
1960年代には250~300頭 対馬全域にいたものが、現在は70頭~100頭 下島(南部)にはいなくなった。
(下島で2007年に23年ぶりで自動撮影機で生息確認 2009年には保護されたらしい)
減少の原因は良好な生息域の減少や交通事故、イエネコによる感染症、イヌによる咬傷、トラばさみ(罠)など。
夜に活動するためなかなか見られないらしいが、夜の山道は「ヤマネコに注意」

ここではツシマヤマネコの公開も行われている。
今公開されている「福馬君」は3代目 福岡市動物園生まれという。対馬の子じゃないのか~。

ハズバンダリートレーニングという人に慣れる?訓練を受けているのだとか。
そうすることによって世話する時に噛みつかれたりする危険もなくなり、ネコにとってもストレスが少なくなり健康管理がやりやすくなる。


      公開スペース よく見ると小屋の下に寝そべっている。・・が遠い。
公開の目的は「なかなか目にすることのできないツシマヤマネコを見てもらうことにより、保護への関心が高まるように」とのこと。

福間君が公開ネコになったのは「兄弟など血縁個体が多く、繁殖に参加する優先順位が低い」ことによるらしい。
美男子だからじゃないのね。

なかなか外へ出てこないのでそこを離れ展示を見ていた。
怒っている 威嚇する 仔猫 繁殖期 などいろんな声が聴けるコーナーもある。

「出てきた」との声に戻る。

のっそりと前へ出てきた。すぐ近くの杭の上へ乗って座ったり、降りて向こうへ行ったり・・いろんな姿が見れた。

ツシマヤマネコとイエネコの違いを写真で見ると・・

 
耳はイエネコに比べ小さく先が丸い。 額から頭の後ろまで続く黒く太い縞模様。その内側の白い縞

 
耳の後ろに「虎耳状斑」という白い模様がある。尾はイエネコに比べて太く長い。

耳の先が丸いせいかやさしい顔に見える。

これ以上生息数が減らないように願う。

昼ご飯を食べる間もなく、次の予定地 目保呂ダム馬事センターへ。

ここで飼育されているのは対州馬(たいしゅうば)
日本にいる8種の在来馬(木曽馬 御崎馬 野間馬 トカラ馬 宮古馬 与那国馬 対州馬)の1つ。

小型で力が強く従順で扱いやすく、昔から対馬では農耕や荷役や交通手段として重要な役割を果たしてきたが、農業機械化、車の発達などで必要性が薄れ、明治時代には4000頭いたのが現在は30頭と激減した。
馬事公苑では乗馬体験や小中学校の総合学習の場を提供するなどしながら種の保存のための繁殖を進めている。

 
 
残っている馬の多くがここで飼育されている。 
          仔馬はまだ恥ずかしいのか母馬の陰に顔を隠すようにしてついていくのが可愛い。

今日はここで乗馬体験

 
私を乗せてくれた馬(名前忘れた)        在来馬に乗ったよ~。  

1人で乗るのかと思ったら、手綱を持ってくれて歩くのだった。
河原の方へ坂道を下り、河原を歩き、また坂を登って道路に出て元の場所へ。ゆっくり歩いた。
斜面を下る時や登り坂の体の倒し方などあったが、本当は1人で乗りたかったな~。
北海道の牧場で、囲いのしばらく中でしばらく練習した後、広い牧場内を1人で乗ったのを思い出す
ちょっと勇気が要ったがスリル満点で面白かったなあ。

まあ在来馬に乗る機会もないだろうからこれでよしとしよう。

もっと縞の北の端まで行きたかったが、時間がないのでもう1か所だけ回ることに。

 
琴(きん)の大イチョウ (琴は地名) 長崎県指定の天然記念物 樹齢は1200年とも1500年とも。
大陸から伝わった最初のイチョウではとのネット記事もある。 

 
幹回り⒓.5m 雄株  落雷により幹が空洞になり、火災で類焼したり・・でもまだまだ元気

さあ、見たいものはだいたい見た。ここから一路南下。


少し時間があったので空港近くの湯多里らんど(お風呂)で汗を流す。

ガソリンスタンドへ。 おっとロープが張られて・・閉まりかけだ。危なかった。ぎりぎりセーフ。
レンタカーを返して対馬空港へ。3日間の走行距離400㎞


        対馬空港 夕景色

対馬~福岡~関空到着時間は遅く、大阪で泊まって、翌朝帰宅した。

島北部に春の花時は山が白く染まるというヒトツバタゴ 夏にはアキマドボタルが見れるらしい。
まだまだ行きたいところはあるが、対馬はなかなか深い。
石屋根や石垣など石の文化があり、断層や傾いた地層など、地質に詳しければ興味は尽きないだろうし、歴史的にもすごく重要な場所だとわかった。
仏教も大陸文化もここから日本に運ばれたと思うと感慨深い。
そして国境の島として国防の最前線にあったこともわかった。
大陸と日本のかけはし。扇の要のような対馬。来れてよかった。
石分化についてはブログ「街角逍遥」もご覧ください。
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7月17日 対馬②-2 シーカヤック 烏帽子岳展望台 西の漕手 金田城途中まで 回転寿司

2016年07月17日 | Weblog
2日目の午後・・というものの昼ご飯はまだ。食べるところがない。

行き当たりばったり旅で、シーカヤックまで時間があるのであちこちまわる。
「烏帽子岳」へ行ってみることに。
誰もいない烏帽子岳の駐車場に白い鯛焼きの屋台が出ていた。


昼食代わりに1匹購入 韓国人ツアー客目当てか韓国語表記。


駐車場から眺めると入り組んだ湾に島が点在しているのがわかる。

 
さらに進み、展望台への登山口から階段を登ると展望台に到着。標高176m

 
          ここからは360度見渡せる。海や島 山が多い。

県道に戻り「西の漕手(にしのこいで)」の看板のところを入る。

 
        山へ入っていく。              途中の岩

 
明るい所へ出た。川のように見えるが入江。ここが「の漕手(にしのこいで)といわれるところ。
地峡部になっていて、小さい船はここから丘を越えて運び東へ。大きい船は積み荷を降ろして丘を運び、船を乗り換えて運んだといい「小船越」の地名の由来になっている。 今は引き潮のよう。

この静かな入り江からは想像できないが、古代より大陸と日本本土を往来する交通の要衝だったとか。 
遣唐使や遣隋使もこの浦で舟を乗り換えて大陸へ向かったという。 ここにも傾いた地層が目立つ。
ツルナやイケマらしい植物があった。

もう少し時間があるので「金田城跡」へ行こう。

 
細い山道を走り、金田城跡への表示のある山際へ駐車 1本道をだいぶ歩いたが行けども行けどもそれらしいいところはない。
珍しく向こうから若い男女が降りてきた。 もう少しかしらと尋ねると「わからなくて降りてきました」
そうなんか~。もう少しだけ行ってみたが結局わからず戻る。

金田城は「かねたじょう」地元では「かなたのき」ということを後で知る。
百済滅亡の後、白村江で倭国が大敗して国防最前線となった対馬に築かれた山城(要塞)で、国の特別史跡となっているらしい。日ロ戦争の頃再整備されて砲台が据えられたとのこと。
朝鮮式山城とのことだ。登山口は他にもあるのかもしれない。
後でカヌーのガイドさんに聞くと頂上付近はきついらしく、簡単に行けるようでもなかった。

いい時間になったのでエコツアーの場所へ。

昨日申し込んだ時、午前中はシーカヤックフェスタがあるので無理で、3時からならOKとのことだった。
楽しみにしていたので予約が取れてよかった。

ライフジャケットと靴も借りて、早速海へ漕ぎ出す。
ここは入江で波も穏やか。朝からフェスタで賑わったとは思えない静かな海。
広い海には私たち2人のカヤックとガイドさんのカヤックしかない。
行きはカメラも預けてしまったので自分では写真は撮れなかった。

 
ガイドさん撮影。気持ちがいい~。

そして、入江にあるたくさんの無人島の1つに上陸。

 
その辺を一回りしてきてくださいといわれる。そして帰ってきたらおやつの準備ができていた。
残さずいただいた。

 
                  無人島の浜で。

浜にはヒザラガイやカサガイ フジツボの仲間など。縞模様の石や虫食いのような岩もあった。

水に浮かんでいた変なものを発見

 
          これは何だ?  明太子ではないよ。
ガイドさんも知らないという。私は何かの卵(卵塊)ではないかと思ったが、他の生き物かもしれない。
先に口のような小さい穴があって、水が少し出た。 調べ中

石屋根倉庫の話をしていたので帰り道、採石跡の近くへ案内してくださった。


厚い石の層があった。他でも同じような石を見たが、こんなところから船で運んだのかとその苦労を思う。


入江とはいえ広い。出発した場所はどこなのか全くわからない。
どこまでも行けそうだと思ったが、ガイドさんがいないと帰り道がわからないわ。


真珠イカダのそばを通り、ガイドさんの案内で無事元の場所へと帰着。
シーカヤック終了 シャワーを浴びてスッキリ。

厳原へ戻り、夕食は? 結局今日も空いている店がなく、回転寿司屋なら空いてるだろうと・・。
何も対馬まで来て回転寿司?と思ったが、海のそばはきっとおいしいというので行った。
・・がここでも予約いっぱい。ええ~っ。夕食も食べ外れ??
ちょっと待ったら空くといわれてホッ。 後に来た2人連れは断られてた。運がよかった。
対馬の夕食はかならず予約必要なんだ。観光客が多いわけでもなさそうなのに。

 
   港にはイカ釣り船があった。  店には生け簀もあり魚の種類も多そう。

 
いつもの回転寿司とはだいぶ違った。100円ではないが150円とか200円ぐらいで食べられる。
                       食った食った。お腹いっぱい食べて1人2000円ぐらい。


満足で宿坊へ戻る。空には月が。今日もいい天気だった。 いよいよ明日は最終日。
                                   対馬③へ続く。     
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7月17日 対馬②-1 藻小屋 ヤクマ塔 海神神社 和多都美神社

2016年07月17日 | Weblog
対馬2日目


対馬西山寺のおしゃれな食堂 朝食もおいしかった。
                      右)坪庭のコケやシダもしっとりとしていい雰囲気


この瓦は飾ってあるのではない。窓からのぞくと、本堂の瓦がこちらの建物に突き抜けているのがわかる。

今日は午後3時からシーカヤックの予約が取れたので、それまではフリー。

北に向かう。

 
      万関橋は橋万関瀬戸の上にかけられた赤いアーチ橋。
『1900年に旧日本帝国海軍によって浅茅湾(あそうわん)内の竹敷港にあった竹敷要港部から対馬東海上までの所要時間を短縮するための航路として開削された運河』その後拡張されている。
橋のそばに憩いの広場があり、観光バスからは韓国の旅行者の団体がぞくぞくと降りてきた。

リアス式海岸の対馬で、浅茅湾の海岸線は入り組んで西の海と東の海がごく細い陸でつながっているところがある。(地峡というらしい)
「大船越」もそんな地峡を開いた運河だが、大船越は万関瀬戸に比べて狭く水深も浅いので大きい船は万関瀬戸を通る。

 
     真珠養殖いかだが浮かぶ湾。  切り通しの断層や石切り場のようなところも見えた。

木坂御前浜園地 

 
草地が広がる木坂御前浜園地 休憩所もある。      馬糞かと近づいたらキノコの仲間(調べ中)


浜は風向きの影響かゴミが打ち寄せられているのが気になった。

 
                ちょうどハマゴウの花時で群生していた。
目的の1つ 「藻小屋」と「ヤクマ塔」もこの浜にある。
 
藻小屋 浜石を積み上げ屋根を葺いた納屋。屋根は復元だが石積みは昔のまま。 
かつて畑の肥料にする藻を貯蔵した納屋で。船の格納にも使われたという。昔は西海岸に多く見られたが、今はここ木坂地区で復元保存されている8棟だけだ。        右)石積みの「ヤクマ塔」
ヤクマ塔は木坂地区と隣の青海地区のみで行われているヤクマ祭(旧暦6月)の時に毎年積み上げられる。
ヤクマ祭は無病息災や大漁を祈る伝統行事だそうだ。

  
すぐ近くにある海神神社 対馬一之宮 古社            マルミノヤマゴボウ 


 「スピード出すな」 ツシマヤマネコの看板 本物に遇いたいなあ。  

 
 和多都美神社 海神の娘・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)と、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を祀る海宮 延喜式神名帳に記載される。      右)鳥居は海の中へと続く。
今は引き潮だが満潮時は2基は海の中に建つ。 この神社には竜宮伝説が残るという。 
                         対馬②-2へ続く。
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7月16日 対馬①-2 椎根の石屋根倉庫 オウゴンオニユリ 小茂田浜神社 ハマビワ アカムツ 

2016年07月16日 | Weblog
対馬独特の石屋根倉庫 今では少なくなって先に行った久根田舎(くねいなか)とここ椎根集落に残るのみ。
椎根は久根田舎よりも観光的にトイレもあり整備されている感じがした。

 
川向うに並ぶ石屋根倉庫群(川のこちら側にも少しある)
軒下は広く取ってあり、玉ねぎを吊るしたり、高床式なので農業に使う木などは床下に入れたり便利そう。
米や芋豆や(着物なども)ここに保存し、民家から離れたところに倉庫を集め、火事からの延焼を防いでいるのはいい知恵だと思う。瓦が高価な頃も島に豊富だった石で屋根を葺いたわけだ。
後日行ったシーカヤックのエコツアーのところに屋根に石を運ぶ昔の写真が展示してあった。
朝、久根田舎のおじいさんの話では人が数人がかりで背負って・・とのことだったが、写真では屋根にゆるく立てかけた棒の上を綱で引き上げていた。時代によってもいろんな運び上げ方があったのだろう。 

 
瓦屋ねでも石を乗せたり、さらに周りに石垣が築かれていたり・・防風対策も。
     右)建物のそばに黄色いオニユリ。対馬固有というオウゴンオニユリはこれか。

 
元寇の役の古戦場になったという「小茂田浜神社」     錆びた砲弾が置いてあった。 

 
神社の境内に見たことのある葉 ハマビワだ。
対馬には自生もあるのだろうか?ムサシアブミもあった。

今夜の宿「宿坊 対馬西山寺(せいざんじ)」へ。2連泊の予定
港に近い高台にあり狭い坂を登ってガレージへ。

 
      石垣がきれいな寺への入口                   門    

  
宿坊入り口 左の方にお寺「鶴翼山 西山禅寺」がある。 静か。
                     お部屋は3階アジサイの間 落ち着いた和室
風呂・洗面所やトイレは共同 テレビはないがエアコンや寝間着やタオルもあり不自由はない。
荷物を置いて、散策かねて食事処探しに出かける。

神社や教会 中村地区の武家屋敷の立派な石垣の街並みを見る。
水路で子供が水遊びする和やかな風景。

良さそうなお食事処数件聞いてみたがみな予約済みとのこと。夜も食べはぐれ?・・
やっと見つかった店に入る。地元料理 ろくべえ汁(サツマイモのでんぷんを使ったもの)や刺身やホタテなど海の幸 それに写真が貼ってあるアカムツも1匹焼いてもらいおいしくいただいた。
清算時 ちょっと予算オーバー?

宿に帰って計算してみて、お食事処に問合せ・・原因究明


アカムツ 20センチぐらいあったかな? お値段がなんと4200円   
しっかり値段を確認しないまま頼んでしまったわけだ。
後で調べるとアカムツはノドグロの別名 ノドグロなら知ってる。
確かに高級魚らしいが・・・失敗の巻 

宿坊西山寺で1泊目                 対馬②-1へ続く。 遅くなるかもしれません。
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7月16日 対馬①-1 対馬やまねこ空港 対馬藩お船江跡 久根田舎の石屋根倉庫 鮎もどし自然公園 

2016年07月16日 | Weblog
娘が誘ってくれた対馬2泊3日の旅。
行ったことのない対馬 楽しみにはしていたが、送ってくれた資料もまったく読めないままに前日を迎えた。
出発が超早朝のため大阪で前泊。帰りも0時ぐらいになるため後泊して、短い2泊3日の有効利用を図る。

初日、4時起きして空港へ。(普段寝坊助でもこんな時は起きられる)
関空~福岡空港~対馬空港 ピーチとANAを乗り継いで午前11時前に対馬空港に到着。

 
 対馬空港(対馬やまねこ空港)      ベルトコンベア 可愛い。

機内で資料に目を通し、行きたい希望を出しあう。
娘は石屋根倉庫・石垣・藻小屋など。私は琴の大イチョウ 大ソテツなど巨樹・ツシマヤマネコ・ナンジャモンジャ(花期ではないが) 二人とも行きたい シーカヤックと対州馬 乗馬
さあどれだけ行けるかな?

レンタカーで出発。お天気は・・怪しい雲行き。

地図を見ながら南へ走る途中「お船江跡」の小さい表示を見つけ「行ってみよう」と細い道を入る。
「お船江跡」というのは、対馬藩の御用船を係留した場所らしい。

 
 
これもお船江の関係する建物なのか?  この石垣の上には何があったのか?

  
江戸時代の築堤が当時のまま残っていて素晴らしい景観    偶然立ち寄ったがよかった。

その後、南へ下るはずが、西行きの山道に入ったらしい。 

美しい石垣の田んぼで降車 水も豊富そう。

 
          ネムノキが花時          カラスザンショウも花時でよく目につく。

「鮎もどし自然公園」の看板があり立ち寄る。
 
 
車を停めて少し下ると立派な吊り橋(清流橋) その下には見たこともないような景観が広がっていた。

 
川の名は瀬川といい、川床は花崗岩の1枚岩で覆われている。その上を滑らかに流れる清流。
国定公園の中でも特別保護区に指定されているという。
時間があれば川へも入って遊びたいところだ。

吊り橋を渡ったところはキャンプ場になっている。
今は川にもキャンプ場にも人影はないが夏休みにはにぎわうのだろうか。
ひとり(ふたり)占めの景色に満足。

西海岸に出る。
南に走ってクスノキの巨木があるという神社を目指す。

曲がりくねった田んぼ道 ほんとにこの先にあるのか?聞く人もいない。
Uターンする場所あるかな。もう少しだけ行ってみよう。

「多久頭魂神社」に着いた。ひっそりと人気なし。
創建の時期は不明 龍良山(たてらさん)を遥拝する豆酸(つづ)の古社
金鼓や梵鐘など重文に指定されている。
 
 
 屋根に亀をかたどった瓦を載せてある。        ご神木 クスノキの巨樹

 
     「赤米神田」田んぼが広がる。        近くに ハスノハカズラ  
対馬は古くから大陸との中継地で赤米の伝承地だそうだ。

謂れを調べると、ここでは田植えなど年10回の行事をすべて神事として行い、収穫したコメを俵に詰めてご神体として座敷の天井に吊るすという伝統行事がある。
昔は「頭」仲間は毎年順番に神俵を引き継いだらしいが今は1軒で頑張っておられるということだ。

元の道に戻り、豆酸崎(つつざき)は取りやめて、石屋根倉庫が見られる地域へ北上。

久根田舎(くねいなか)の石屋根倉庫群 

 
石屋根倉庫発見 降車
「石で屋根を葺いた倉庫」は対馬独特のものらしい。
今は多くが瓦葺きになり、石屋根は少なくなった。
何棟か写真を撮り、少し離れたところにあった石屋根を撮影していたら、おじいさんが出てこられ、お話を聞かせてくださった。

 
        ごっつい板石を屋根に乗せた石屋根倉庫   

倉庫には米や麦、ゴマやかんころ(干し芋)などを貯蔵。
母屋から離れたところに石屋根倉庫がまとめられていた。民家は石屋根ではなく茅葺だった。

「火事になって家が燃えても蔵だけは残る」ように集落から離したところに倉庫を集めてあった。
川向うには何棟か並んでいた。一部瓦葺きもあるが、床は高床で浸水にも備えている。
石屋根は倉庫を火事や強風から守る知恵なのだ。

それにしてもこの巨大な板石をどこから運んでどうやって屋根へ乗せたのか?
「島で採れた板石をポンポン船で運び、陸ではソリに乗せて牛?馬?にひかせて運んだ」
「屋根に乗せるのは緩い勾配の梯子を架けて、大きい石は何人かがかがんで背中に乗せ、「階段をネコんごと這って上に運び、石を上げてもらった」「蔵主は接待をし、屋根の作業は来てくれた人がやってくれた」
など昔の話を聞かせてくださった。
後で行ったところではゆるい傾斜の梯子?棒?の上を綱で引き上げる写真も見たが、どちらにしても大変な作業に変わりない。

倉庫の板戸のネズミや泥棒を防ぐ工夫。
外から開けられないように、閉めるとコトンとはまり込むようになった戸。

  
         鍵穴                  鍵はL字型 
これを鍵穴に入れ先の短く曲がっている部分ではめ込んだところをひっかけて上げる。
鍵の長さは家ごとに違えてあるとのこと。


鍵の取っ手には白い布に包んだ「コメと炭」これはお守りのようなものらしい。


倉庫を開けて中も見せてくださった。米の袋が積まれていた。
石屋根に続く大きい倉庫には農機具がたくさんあってびっくり。


帰りにトマトをいただいた。
時間は3時 山道や田舎道でお昼を食べ損ねていたのでこれがお昼ご飯代わりになった。

続いて石屋根を見られるもう1か所のところ、椎根へ。
                               対馬①-2へ続く。
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7月15日 うちの庭 イチビ果実 オニユリ タマサンゴ

2016年07月15日 | Weblog
 
                    イチビの花と果実

 
  オニユリ(小さいムカゴが付いてました)             タマサンゴ


          メハジキ

 
       花時の葉はこんな切れ込み        ロゼット葉は別物のよう。

何年も前、このロゼット葉を見て、何だろうと植えてみたのがメハジキだった。
こぼれ種で毎年生えて花を咲かせる。
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7月15日 飛鳥稲渕 棚田 稲作にまつわる話 *一部訂正しました。

2016年07月15日 | Weblog
地元のボランティアガイドさんによる稲渕の案内で、稲渕の棚田や飛鳥川や稲作にまつわるお話を聞いた。


前から謎だった勧請橋近くの木のモニュメント
これは飛鳥川上流にある飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社(あすかかわかみにますうすたきひめのみことじんじゃ)のご神体の山にあった杉で、平成10年の台風で倒れたものを、神木として栢森とここ稲渕の2か所に分けて祀ったものと判明。
ここから吉野への道は持統天皇が31回の行幸と3回の行啓された道といわれる。

  
 飛鳥川に架かっている男綱  右)雄綱あたりから取水して左岸の棚田を潤す「下井手」(しもいで)
調べると「井手」とは水をせき止める井堰とのことだが、そこから田へ流す水路のことも含むのかな・・

ここから上流は神奈備といわれる神宿る地。飛鳥川の源流もある。奥飛鳥といわれる。
ここ稲渕には「男綱」、上流栢森には「雌綱」といわれる勧請縄が架かる。男綱は下流からの邪悪なものや疫病などの侵入を阻み、上流からの福をせきとめ五穀豊穣、子孫繁栄、無病息災を願う。


棚田を望む。(撮影位置が悪かった)
今、飛鳥川左岸には棚田が広がっているが、飛鳥時代には棚田はなく、峠周辺には朝風千軒といわれる渡来人の集落や寺院もあったらしい。

そこがなぜ棚田になったのか。
それは井手が作られ、水が確保できたことによる。
宇須多伎比売命神社下の飛鳥川から水を取り入れて作った大井手(おおいで)という水路は棚田の上部を通り、祝戸迄の距離は約5㎞弱にも及ぶらしい。どんなに大変な工事だったろう。

大井手が出来、水が確保できたことで日当たりの良い左岸の斜面は稲作ができるようになり、集落は右岸に移ったらしい。

棚田は過疎化と高齢化で維持が困難になって荒廃していったが、21年前「棚田オーナー制」を取り入れ、町の人を呼び込んで活性化した。
町の人が喜んで棚田に来ることで、地元の人たちも自分の住む村の良さを見直し、元気になったそうだ。

奥飛鳥の人々の暮らしと文化的景観は 国選定 「重要文化的景観」に指定されている。
オーナー制を始めて21年、今高齢化で人手不足が現状だという。

石橋の方に下りていく。
 
右岸の田に水を入れる「前田井手」と「坂田井手」

 
万葉歌碑の建つ右岸から石橋を渡る。上の小橋は耕運機などが通るために作られたもの。
飛鳥川にはいくつもの石橋が架かっていたが、雨で流されるなどして今完全に残っているのはここともう1か所のみだとか。「ここは昔のままの石橋で国宝級です」


石橋を渡ったところに1本のネコヤナギの木がある。「これが大事な木なんです」
昔は川を渡るには石橋しかなく、藪入りで実家に帰るお嫁さんが渡れず、お舅さんがおぶって渡したといういいお話も聞いた。

集会所に移って稲作にまつわるお話を聞く。

水口祭
苗代に籾を蒔く時、先のネコヤナギの木に大日講の人たちが作る「牛王寶印」のお札を挟んで水口に刺し、水口に神仏を勧請する。 季節の花を挿したりする。   
水口祭という言葉は初めて聞いたが、苗代の横に花など供えてあるのを見たことはある。  

さなぶり(早苗饗)
地域全体が田植えが終わったところでさなぶりの祝をする。柿の葉寿司やさなぶり餅(つぶし小麦ともち米半々で)
昔は家も兼業農家で、小麦餅を食べた記憶がありなつかしい。

稲妻という言葉があるように、雷と稲作も関わりがあるそうだ。
雷が落ちると稲がよく育つといわれる。雷により化学反応を起こした空中の窒素が雨に溶けて肥料になるとか。

風日待(かぜひまち)
こんな言葉も初めて知った。
台風シーズンに風の神を鎮める行事らしい。

風切鎌
屋根に鎌の飾りをつけるのも風から守るお守りらしい。

雨乞い
水は稲作にはなくてはならないもの。
今も天気はままにならず、神に祈る他ないが、昔、大干ばつの時、皇極天皇が膝まづいて祈ると、一天にわかに掻き曇り雨が降り続いたらしい。
南無天踊り(なもでおどり)という雨乞いや願いが成就した時にもおどる伝承芸能が伝わる。

殺牛儀礼
雨や晴れを祈る時、雨を祈る時は黒牛とか黒馬、晴れを祈る時には白牛とか白馬を生贄にして祈願するという中国の思想も入ってきた。
後に、生贄の代わりに馬の埴輪をささげるようになり、その後には板に描いた馬(絵馬)を奉納するように変わっていったとか。
テルテル坊主が白いのも晴れを祈る白馬と関係あるそうだ。

鉄火起請(てっかきしょう)
手に焼けた鉄を乗せ、持った時間で水の配分が決まる、といった恐ろしい話。
ここではおこなわれなかったようだが・・まさに水の確保は命がけだった。

地元で暮らすガイドさんならではの地元愛あふれるお話は興味深く勉強になった。

午後からは、飛鳥で生まれ育った会員さんのお話や紙芝居があった。


    豊年橋の謂れ 紙芝居

もっと聞いていたいところ、夕方から出かけるので残念ながら途中退席。
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7月14日 但馬高原植物園 雨の中 和池の大カツラ クサレダマ ツチアケビ

2016年07月14日 | Weblog
バス仕立てで但馬高原植物園へ。

バスは予定より少し遅れたが無事到着。
「曇り空で暑くなくて歩くのにはちょうどいいね。
レインコートはいらんね。念のために傘だけ持って行こうか」

バスから降りて集合写真を撮ってすぐ園内散策 ガイドさんの説明を聞きながら歩く。
標高680mの瀞川平にある高原の植物園 湧水や湿地などのある自然林を含む。
建物のそばには園芸植物の植栽もある。
変化に富んだ環境を持ち、園内の自生植物は2000種にも及ぶという。
この辺りはミズナラ・コナラ帯という。
カシノナガキクイムシも入ってきたが、薬剤等で被害を食い止めたとのこと。

2・3観察するうちに雨が降り始め、あらあらと思っているうちに土砂降りに。
大半の人が「雨具はバスの中」状態で・・
遊歩道は川になり、じゃぶじゃぶと歩いて靴の中まで濡れてしまった。
後半は観察どころではなかった。
横着したらあきませんね。

 
       ノリウツギは満開              オカトラノオ群生


ヤマアジサイの1種 ミヤマヤエムラサキ


キンミズヒキ(濃い色の斑入り)とギンミズヒキ(白い斑入り) うちのギンミズヒキは斑はない。


     フキバッタの仲間     

 
水路の水草はバイカモだとか。             傘をさして雨の中を歩く。

 
       クサレダマ       

  
和池の大カツラ 幹回り16m 根の間を豊富な湧水が流れる。地面に染み込み蓄えられた雨水が長い年月をかけて地上に湧出する。 千年水を飲んだら湧水の力をもらえそうに思った。
この植物園が造られたのもこのカツラのを保存するためでもあるらしい。
               右)ちょうど開花中のツチアケビ ピンボケなのは雨のせい? 

 
戻ったセンターハウスから外を見ると、屋根から落ちる雨が滝のよう。

バスに乗り込む頃、小やみになり・・ちょうど私たちが観察中だけの大雨。なんと皮肉な。  
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7月11日 タマムシ ジャノメチョウ コハンミョウ  

2016年07月11日 | Weblog
今日は昆虫観察
ベテラン昆虫ウォッチャーの皆さんは柵の外からでも次々と水辺のトンボなどを同定
お陰でいろんな昆虫を見せてもらえる。

タイワンウチワヤンマを初めて見た(双眼鏡で) 南方系の昆虫も北上しているようだ。

 
洗濯物などに付いて嫌われ者のマルカメムシの若齢幼虫 毛むくじゃらでとても親子とは思えない。
(そもそも昆虫の親子は似ていないものも多いが) 右)メダカナガカメムシ バックは指 あまり可愛く撮れたので。

 
コハンミョウ 極彩色のナミハンミョウに比べ地味  腹側の方が金属光沢(写真ではわかりにくいが)
生きた昆虫やミミズなどを食べる肉食昆虫 大あごが見える。 

 
ジャノメチョウ 大型だ。 ジャノメのつく仲間は多いが(ただの)ジャノメチョウは珍しいものらしい。
       
 
クシコメツキ コメツキの仲間なので手の上に裏向けに乗せるとピクンと表返る。
                 右)クモバチの仲間 自分の体ほどもあるクモを運んでいた。
 
ホシミスジ こうやって捕まえるとわかるが、飛んでいるときに見分けるのには動態視力が必要。
          右)ヤマトタマムシ 今日は5.6匹見た。飛ぶ姿も美しい。
        
エゴノキにできた虫こぶ「エゴノネコアシ」1か月ぐらい前には閉じていた虫こぶの先に穴が開いていた。
夏の棲み処アシボソやイネ科の草に移ったらしい。 
雌ばかりで増殖する時期、雄が生まれる時期。翅のないもの、羽のあるもの。
季節によって寄主を変える。エゴノネコアシアブラムシの複雑な生態

バッタやカマキリはまだ幼虫が多い。


林床にはヤブミョウガが群生していた。
コメント (2)
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