朝倉駅から出発して玉列神社(たまつらじんじゃ)へ。
大神神社の摂社という。境内にはツバキがたくさん植えられていた。
三輪周辺はツバキと関わりが深いという。
社境内にある阿弥陀堂の大ケヤキ 樹齢800年
この近くから朝倉小学校辺りまでは脇本・朝倉遺跡がある。
朝倉小学校の改築時の調査で15世紀の石の溝が発見されたことがきっか
けで、以後の発掘によって雄略天皇の泊瀬朝倉宮であったことがわかっ
たという。
石積みの溝は今も体育館の下に保存されているそうだ。
いよいよ山超え。ボチボチ歩いて1時間と言われた。
山道は先の台風で木が倒れたりしたところもあったらしいのを、今日
のために木をのけたりしてくださったらしい。ありがたいことだ。
尾根まではちょうど1時間。ボチボチ歩きどころか必死でしんどかった。
アカガシ・ウリハダカエデ・ハリギリなどを見て細い道をくだると、
もうそこは奥不動寺だった。
そこで弁当を食べるうち天気予報どおり雨が降り出した。
出発の頃には止んで、山道を少し登れば白山(しろやま)
突然現れた白い岩山 白山は「はくさん」ではなく「しろやま」と読む
ことは初めて知った。
一見どんづる峯と似ているが、どんづる峯は火山が関係する凝灰岩だが、
ここは、隆起した花崗岩が風化してこのような姿になったらしい。
ここへは数十年前、新聞の小さな囲み記事をたよりに、子供と自転車で
探しに来たものだ(ここまで自転車で・・ずいぶん体力があったもんだ)
不安になりながら奥不動寺への山道を来たことを思い出す。
反対ルートで巻向から来たわけだ。久しぶりで感慨深い。
子供に聞くと「覚えてるよ」と言っていた。
下ったところには奥の不動に対して「口の不動」という石仏があること
も今回知った。
ミカン畑の横を通り桧原神社へ ヤマハッカ
そこからくだった井寺池のそばには万葉歌碑があった。
「桜井の万葉歌碑は書いた人が特にすばらしい」と誇っておられたが、
ここには、日本武尊の望郷の歌「大和は国のまほろば・・」という歌碑、
これは川端康成氏の字だ。
「記紀の歌を」と、書く歌も決め、場所も決めておられたのに、亡くな
ってしまい、夫人と相談の末、ノーベル賞の記念講演の原稿の中から
文字を集めて碑を作られたという。そんないきさつも聞いた。
すぐ近くには川端先生と関係の深かった東山魁夷氏の「香具山は畝火をを
しと・・」の歌碑があった。池の周りには他にも歌碑があるらしい。
バラ園に立ち寄った後、茅原・大墓古墳へ。
茅原・大墓古墳 5世紀の帆立貝形古墳
次に狐塚古墳へ
「あれが狐塚古墳」と言われてもどれ?
田んぼを隔てて見れば、ちょっと盛り上がった果樹園?畑?
あぜ道を歩いて古墳を1周した。
近くに行ってみれば、大きい石室。
石舞台古墳よりやや小さいぐらいの規模だという。
石室内は水がたまっていた。
低いはずで盛り土は削られて天井石が見えていた。
後ろから覘くと石棺が見えた。
べっ甲細工の工房を見て三輪駅へ向かう途中、大鳥居に「天使の梯子」
がかかっていた。ここでは天使ではなく「神様の梯子」かな?
大神神社の摂社という。境内にはツバキがたくさん植えられていた。
三輪周辺はツバキと関わりが深いという。
社境内にある阿弥陀堂の大ケヤキ 樹齢800年
この近くから朝倉小学校辺りまでは脇本・朝倉遺跡がある。
朝倉小学校の改築時の調査で15世紀の石の溝が発見されたことがきっか
けで、以後の発掘によって雄略天皇の泊瀬朝倉宮であったことがわかっ
たという。
石積みの溝は今も体育館の下に保存されているそうだ。
いよいよ山超え。ボチボチ歩いて1時間と言われた。
山道は先の台風で木が倒れたりしたところもあったらしいのを、今日
のために木をのけたりしてくださったらしい。ありがたいことだ。
尾根まではちょうど1時間。ボチボチ歩きどころか必死でしんどかった。
アカガシ・ウリハダカエデ・ハリギリなどを見て細い道をくだると、
もうそこは奥不動寺だった。
そこで弁当を食べるうち天気予報どおり雨が降り出した。
出発の頃には止んで、山道を少し登れば白山(しろやま)
突然現れた白い岩山 白山は「はくさん」ではなく「しろやま」と読む
ことは初めて知った。
一見どんづる峯と似ているが、どんづる峯は火山が関係する凝灰岩だが、
ここは、隆起した花崗岩が風化してこのような姿になったらしい。
ここへは数十年前、新聞の小さな囲み記事をたよりに、子供と自転車で
探しに来たものだ(ここまで自転車で・・ずいぶん体力があったもんだ)
不安になりながら奥不動寺への山道を来たことを思い出す。
反対ルートで巻向から来たわけだ。久しぶりで感慨深い。
子供に聞くと「覚えてるよ」と言っていた。
下ったところには奥の不動に対して「口の不動」という石仏があること
も今回知った。
ミカン畑の横を通り桧原神社へ ヤマハッカ
そこからくだった井寺池のそばには万葉歌碑があった。
「桜井の万葉歌碑は書いた人が特にすばらしい」と誇っておられたが、
ここには、日本武尊の望郷の歌「大和は国のまほろば・・」という歌碑、
これは川端康成氏の字だ。
「記紀の歌を」と、書く歌も決め、場所も決めておられたのに、亡くな
ってしまい、夫人と相談の末、ノーベル賞の記念講演の原稿の中から
文字を集めて碑を作られたという。そんないきさつも聞いた。
すぐ近くには川端先生と関係の深かった東山魁夷氏の「香具山は畝火をを
しと・・」の歌碑があった。池の周りには他にも歌碑があるらしい。
バラ園に立ち寄った後、茅原・大墓古墳へ。
茅原・大墓古墳 5世紀の帆立貝形古墳
次に狐塚古墳へ
「あれが狐塚古墳」と言われてもどれ?
田んぼを隔てて見れば、ちょっと盛り上がった果樹園?畑?
あぜ道を歩いて古墳を1周した。
近くに行ってみれば、大きい石室。
石舞台古墳よりやや小さいぐらいの規模だという。
石室内は水がたまっていた。
低いはずで盛り土は削られて天井石が見えていた。
後ろから覘くと石棺が見えた。
べっ甲細工の工房を見て三輪駅へ向かう途中、大鳥居に「天使の梯子」
がかかっていた。ここでは天使ではなく「神様の梯子」かな?
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