みどりの野原

野原の便り

6月14日 大宇陀 下見に同行

2024年06月14日 | Weblog

下見に同行。


この紋は織田家の「織田木瓜紋(おだもっこうもん)」というそうだ。
なぜここに織田家の家紋が?と思ったが・・
宇陀松山藩の初代藩主は織田信雄(信長の次男)
以後、4代目で転封となり宇陀松山藩が幕府領になるまで織田氏が支配していたということだ。

天領となってからも商業の町として、明治時代には政治経済の中心地として発展してきた。


宇陀松山地区の町なみは「国の重要伝統的建築物群保存地区」に選定されている。
江戸初頭の敷地割が残り、その上に江戸時代から戦前までに建てられた町家が立ち並ぶ。


そんな町なみの中に「森野旧薬園」はある。

日本書紀に、西暦611年に推古天皇が薬狩りを行ったという記述がある大宇陀。

森野家10代目、道貞は、若い頃より薬草木を栽培し研究していたのが幕府の目に留まり、幕府の採薬師だった植村佐平次と共に全国を歩き採薬。幕府に献上した。
その褒賞として貴重な薬草を下賜され、自宅の薬園に植えたのが森野旧薬園の始まりという。
日本最古の私設薬草園である。

以前はここで葛粉の製造もしておられたので、クズの根の澱粉を精製する大きい沈殿槽もある。
(今は別の場所にある工場で製造)


旧薬園資料館にはたくさんの資料が展示。
芳名帳には牧野富太郎の名も。大正・昭和2度記名がある。
昭和天皇の行幸も。ヘリコプターで来られたのだとか。

本番で見る時間があればゆっくり見てください。

裏山にある薬草園へ。起伏のある園路を歩く。


桃岳庵
薬園創始者(本名 道貞・初代 藤助・号 賽郭)が、本業引退後、国内最古の薬草図鑑「松山本草」を描いたという建物。


賽郭祠堂
嗣子(跡継ぎ) 武貞が、親 藤助の偉業を子孫に伝えるために建てた。

森野家は代々「藤助」を名乗り、現在の当主は11代の方だそうだ。

時節柄、開花しているものは少ないが、薬草は至る所に植えられている。


オオハンゲ カラスビシャクの親玉のような植物。


ホルトソウ(トウダイグサ科)普段は見ることがない。


トチバニンジン 花や果実があった。


ひときわ目を引いた大きいセリ科 ヨロイグサ

毒草でもあり薬草にもなる植物いろいろ。
見慣れない植物もたくさんある。


今日見つけた昆虫 ニセシラホシカミキリかな?
ツバキ類を食害するそうだ。

広く、起伏のある薬草園の管理は大変そう。この頃は獣害もひどくなっているとか。
本番でゆっくり見たいものです。

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