誘っていただいて高取町から御所市へ。初めての古墳や山、
そして行ってみたかった「三光丸くすり資料館」へ
近鉄吉野線の市尾駅で降りる。ここは御所市と隣接する高取町。
10分ほど歩いたところに墓山古墳があった。
今日の案内人NさんとK先生のお話を聞く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/5d/0228c9c588f09ebbfd04bc1852b7bbf1.jpg)
墓山古墳は①平地に作られた前方後円墳 ②せん道が短い
③520年代の古い型の見本のような石棺 ④奥室がある ⑤棺の下に
大きい栗石が使われているなどの特色を持つ。
周りに葺き石、テラス部分には円筒埴輪が並んでいたといい、鳥型
・石見型・傘型などの木製品が出土したらしい。
これらは死者の霊を天国に運び、霊を守ったりするものだったとか。
K先生からは「前方後円墳で横穴式石室は珍しい。前方後円墳が衰退
していき反対に横穴式が増えていく中間の形態を持っている」との
お話だった。
被葬者は不明だが、このころに勢力のあった秦氏ではないかとのこと。
石室内はセンサーで電気がつくようになっていて石棺が見えた。
10分ほど歩いたところの天満神社境内に。市尾宮塚古墳があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/e8/74775c428b0e9b758cd855ddb5de1a4b.jpg)
両袖型の前方後円墳で、北西に向いた入り口から復元された石棺が
見えた。先の市尾宮塚古墳よりは新しく、せん道も長い。
Nさんの子供の時の遊び場だったそうだ。わんぱく?時代のNさんを
想像してみる。
昔はどこも整備してなかったので私も石舞台古墳に登って遊んだも
のだ。
近くには藤原の宮の瓦を焼いた窯があったらしい。
昔出てきた瓦は穴に埋めたと古老が言われるが場所がはっきりわか
らないそうだ。金貨でも埋めたのならみんな眼の色変えて探すだろ
うけど・・
山道を少し登ったところに曽羽神社がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/c6/d803a666fe121fc4b70302a7d184d5ab.jpg)
このあたりに曽羽城があったという。
城といっても砦のようなものだったらしく、曽羽城の他にもいくつ
もの砦があったそうだ。
今は木が繁って見えないが、高取山や貝吹山がよく見え、何かの時
には連絡を取り合っていた山城だった。
木越しに高取山が少し見えた。
そのころは国侍がひしめき、筒井氏・十市氏・越智氏など、大きく
6つの集団にまとめられていたらしいが、勢力争いも絶えなかった
よう。
横大路から南は大和源氏と言われた越智氏の勢力範囲だったよう
だが、戦国の終わりごろ筒井氏に滅ぼされ没落した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/d7/3bdd437e1c5075fd10ead513a34b00e9.jpg)
ウメの花が満開でメジロが数羽、盛んに蜜を吸っているのが見えた。
黄緑色が美しい。今日は春というより初夏のような陽気で、上着な
ど着ていられない。
道端にもタンポポやレンゲ・オオイヌノフグリなど鮮やかに咲いて
いた。
曽我川を超え・JR和歌山線をくぐり国見神社へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/f1/b83d050cb93612d52fedf6e90ae96ae9.jpg)
灯籠がたくさん立つ立派な神社だった。Nさんが朝から準備してくだ
さった熱いコーヒーとおミカンにホッとする。お心遣いに感謝。
神社の横の大木には洞があり、ムササビがかけのぼり入るのを
何回も見られたそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/58/ea4e19820b07930895af2bbf4b303ef4.jpg)
ひと休みの後、木の杖を借りて山道を登り国見山山頂へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/be/3df754bcd6729faa2761daf6b9f719a4.jpg)
国見山の山頂は木が切りはらわれて広場が出来ていた。
個人の所有だが、管理を任されてNさんたち地元の人達で整備して
いるという。
忙しい方なのにこんな仕事までしておられるなんて驚き。
229.38mの三等三角点があった。
整備する前は笹に埋もれていたという石碑には「嗛間(ほうま)の
丘伝承地」と書いてあった。 弁当を食べた後説明を聞く。
もともとは民衆がした国見を、後には天皇がするようになった。
ここは神武天皇が国見をされた場所とされ(日本書紀)、
その時、まるでトンボが連なり飛んでいるような山々に感嘆され、
それ以後大和を「秋津洲(あきつしま)」というようになったと
いう。
自分の国を眺めほめることによって国がよくなるように豊作になる
ように祈った言霊信仰だという。
「嗛間(ほうま)の丘」というのは他にも候補地があるらしい。
また、ここ「掖上(わきがみ)」という地名は日本書紀にも「掖上
の室の山」とか「掖上の池」などとたびたび出てくるそうだ。
ここから続く道は行者道と言われ、この山を越えて吉野
へと続く行者道の1つだったそうだ。さっき通ってきた道は紀路だと
いう。古代からの交通の要所だったのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/5c/826ff354f479044fe110bc927276d5d5.jpg)
急な下り 明和元年と刻まれた灯籠のある行者堂へ出た
最後は三光丸本店へ
薬資料館などを案内していただいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/b4/3f2dadedd02e781cbe1ddb73e527469d.jpg)
リニューアルしたばかりというくすり資料館で、薬の歴史などの映像
を見た後、展示を見る。
右)木製製丸機 練った薬を丸薬にする機械
三光丸という社名は「月日星の3つの光」から名づけられたそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/28/ed5776870a3e6f7b41df5d7ba1b6adae.jpg)
薬研 ひとすくいで55個の丸薬をすくえる
全国を回った薬行商人 背負ったこおり
「昔よく紙風船もらったな」などという言葉が聞こえてくる。
家にも置き薬があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/38/ff737df9ce36aa4d044dfcaaf08a9223.jpg)
以前に作っていたいろいろな種類の薬。
今は三光丸という胃腸薬1種類だけを製造販売しているらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/49/230145980254ecb31a2e63f403d19cba.jpg)
薬の原料「当薬」(センブリ)・ 「桂皮」(シナモンカシア)
昔なつかしいくすりの製造や資料おもしろかったなあ。
申し込んでおくと工場見学もできるそうだ。
古墳なども初めての所ばかりで丁寧な説明付きでよかった。
そして行ってみたかった「三光丸くすり資料館」へ
近鉄吉野線の市尾駅で降りる。ここは御所市と隣接する高取町。
10分ほど歩いたところに墓山古墳があった。
今日の案内人NさんとK先生のお話を聞く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/01/fb44bd2bf7ec89f0777f1c80c2ac7581.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/5d/0228c9c588f09ebbfd04bc1852b7bbf1.jpg)
墓山古墳は①平地に作られた前方後円墳 ②せん道が短い
③520年代の古い型の見本のような石棺 ④奥室がある ⑤棺の下に
大きい栗石が使われているなどの特色を持つ。
周りに葺き石、テラス部分には円筒埴輪が並んでいたといい、鳥型
・石見型・傘型などの木製品が出土したらしい。
これらは死者の霊を天国に運び、霊を守ったりするものだったとか。
K先生からは「前方後円墳で横穴式石室は珍しい。前方後円墳が衰退
していき反対に横穴式が増えていく中間の形態を持っている」との
お話だった。
被葬者は不明だが、このころに勢力のあった秦氏ではないかとのこと。
石室内はセンサーで電気がつくようになっていて石棺が見えた。
10分ほど歩いたところの天満神社境内に。市尾宮塚古墳があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/73/17870f4d923d821b073d28430548f81a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/e8/74775c428b0e9b758cd855ddb5de1a4b.jpg)
両袖型の前方後円墳で、北西に向いた入り口から復元された石棺が
見えた。先の市尾宮塚古墳よりは新しく、せん道も長い。
Nさんの子供の時の遊び場だったそうだ。わんぱく?時代のNさんを
想像してみる。
昔はどこも整備してなかったので私も石舞台古墳に登って遊んだも
のだ。
近くには藤原の宮の瓦を焼いた窯があったらしい。
昔出てきた瓦は穴に埋めたと古老が言われるが場所がはっきりわか
らないそうだ。金貨でも埋めたのならみんな眼の色変えて探すだろ
うけど・・
山道を少し登ったところに曽羽神社がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/c6/d803a666fe121fc4b70302a7d184d5ab.jpg)
このあたりに曽羽城があったという。
城といっても砦のようなものだったらしく、曽羽城の他にもいくつ
もの砦があったそうだ。
今は木が繁って見えないが、高取山や貝吹山がよく見え、何かの時
には連絡を取り合っていた山城だった。
木越しに高取山が少し見えた。
そのころは国侍がひしめき、筒井氏・十市氏・越智氏など、大きく
6つの集団にまとめられていたらしいが、勢力争いも絶えなかった
よう。
横大路から南は大和源氏と言われた越智氏の勢力範囲だったよう
だが、戦国の終わりごろ筒井氏に滅ぼされ没落した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/d7/3bdd437e1c5075fd10ead513a34b00e9.jpg)
ウメの花が満開でメジロが数羽、盛んに蜜を吸っているのが見えた。
黄緑色が美しい。今日は春というより初夏のような陽気で、上着な
ど着ていられない。
道端にもタンポポやレンゲ・オオイヌノフグリなど鮮やかに咲いて
いた。
曽我川を超え・JR和歌山線をくぐり国見神社へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/c4/57b4d1f4dab0cb3df75a1770b2e78996.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/f1/b83d050cb93612d52fedf6e90ae96ae9.jpg)
灯籠がたくさん立つ立派な神社だった。Nさんが朝から準備してくだ
さった熱いコーヒーとおミカンにホッとする。お心遣いに感謝。
神社の横の大木には洞があり、ムササビがかけのぼり入るのを
何回も見られたそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/58/ea4e19820b07930895af2bbf4b303ef4.jpg)
ひと休みの後、木の杖を借りて山道を登り国見山山頂へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/be/3df754bcd6729faa2761daf6b9f719a4.jpg)
国見山の山頂は木が切りはらわれて広場が出来ていた。
個人の所有だが、管理を任されてNさんたち地元の人達で整備して
いるという。
忙しい方なのにこんな仕事までしておられるなんて驚き。
229.38mの三等三角点があった。
整備する前は笹に埋もれていたという石碑には「嗛間(ほうま)の
丘伝承地」と書いてあった。 弁当を食べた後説明を聞く。
もともとは民衆がした国見を、後には天皇がするようになった。
ここは神武天皇が国見をされた場所とされ(日本書紀)、
その時、まるでトンボが連なり飛んでいるような山々に感嘆され、
それ以後大和を「秋津洲(あきつしま)」というようになったと
いう。
自分の国を眺めほめることによって国がよくなるように豊作になる
ように祈った言霊信仰だという。
「嗛間(ほうま)の丘」というのは他にも候補地があるらしい。
また、ここ「掖上(わきがみ)」という地名は日本書紀にも「掖上
の室の山」とか「掖上の池」などとたびたび出てくるそうだ。
ここから続く道は行者道と言われ、この山を越えて吉野
へと続く行者道の1つだったそうだ。さっき通ってきた道は紀路だと
いう。古代からの交通の要所だったのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/54/8b9887ac2d79df9bd5d43ec65a78e3b0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/5c/826ff354f479044fe110bc927276d5d5.jpg)
急な下り 明和元年と刻まれた灯籠のある行者堂へ出た
最後は三光丸本店へ
薬資料館などを案内していただいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/89/afad232aac698d0f5620e22ac8c78ec5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/b4/3f2dadedd02e781cbe1ddb73e527469d.jpg)
リニューアルしたばかりというくすり資料館で、薬の歴史などの映像
を見た後、展示を見る。
右)木製製丸機 練った薬を丸薬にする機械
三光丸という社名は「月日星の3つの光」から名づけられたそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/1f/6bfe34856cfd43d4866281d73a4c28f9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/28/ed5776870a3e6f7b41df5d7ba1b6adae.jpg)
薬研 ひとすくいで55個の丸薬をすくえる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/a9/85cf7995ad907aa0231b9a9b9ee2cda6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/30/23cfe944b30d3b349cbcd262fe44fcff.jpg)
全国を回った薬行商人 背負ったこおり
「昔よく紙風船もらったな」などという言葉が聞こえてくる。
家にも置き薬があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/38/ff737df9ce36aa4d044dfcaaf08a9223.jpg)
以前に作っていたいろいろな種類の薬。
今は三光丸という胃腸薬1種類だけを製造販売しているらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/1c/1a64733e507add8d4f716bb2254650a6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/49/230145980254ecb31a2e63f403d19cba.jpg)
薬の原料「当薬」(センブリ)・ 「桂皮」(シナモンカシア)
昔なつかしいくすりの製造や資料おもしろかったなあ。
申し込んでおくと工場見学もできるそうだ。
古墳なども初めての所ばかりで丁寧な説明付きでよかった。
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