みどりの野原

野原の便り

3月31日 田原本法貴寺周辺 池坐朝霧黄幡比売神社・大和川蛇行跡・街道の辻・・モチノキ大木・ヤマナラシ

2018年03月31日 | Weblog

午後から息子とお出かけ。(いつも遅い)

行く先は途中で法貴寺周辺と決めて・・大和川(初瀬川)の満開のサクラの下に車を止めた。


水を満々とたたえた大和川(初瀬川) 堰を作って水をせき止めているよう。
平地で流れを作るためか??

集落(法貴寺(東地区))を少し入ると・・


久しぶりで見た麦生畑。せいせいと青い葉をなびかせている。

 
そばの畑にはダイコンの白い花       ブロッコリーの薄黄色の花 
菜っ葉(名前わからない)の濃い黄色い花も満開 きれい。


集落の中の民家のうだつ 龍の模様?

 
法隆寺 大坂 三輪 初瀬 丹波市への道標  右)地蔵堂

 
法貴寺大橋を西(法貴寺(西地区))へ渡る。 右)流れのない大和川の水はよどんで茶色い。


変わった形のおかげ灯籠 

この辺りから蛇行していた大和川(初瀬川)が付け変わっている。

蛇行跡は後で行くことにして・・先ずは「池坐朝霧黄幡比売神社」(いけにますあさぎりきばたひめみことじんじゃ)へ。

説明版によると『聖徳太子創建の法貴寺伽藍を賜った秦氏が、その始祖の守り神として崇敬した古社』
後に『北野天満宮より菅原道真公を勧進し相殿とした』とある。縁起式内社である。

祭神は天萬栲幡千々比売命(あめのよろずたくはたちぢひめのみこと 機織りの神)と菅原道真公。
 
鳥居の額には「池坐神社」と書かれている。   右)樹に覆われた参道

 
唐破風の屋根の拝殿には「天満宮」の額   境内のハランにつぼみがあった。

 
池坐神社境内の向かって左手に鐘楼と山門があり、入る。

千万院
 
千万院は、昔あった法貴寺の名残の子院らしい。  
      右)お堂の中には平安・室町の仏像が祀られている。(格子戸から写す)
左から2体目、不動明王像は国の重文
『聖徳太子の創建で秦河勝に賜ったという「法貴寺」の創建は法隆寺よりも古く、推古帝のころ。
当初、仏法を起こす寺として法起寺と命名されたが、後に法貴寺と呼ばれるようになり、七堂伽藍を巡らし盛大を極めたが、江戸時代半ばには実相院と千万院だけになり、明治の廃仏毀釈で千万院だけとなる』

堂内には不動明王像の他に、薬師如来坐像(鎌倉)・11面観音菩薩(室町)・御堂の中の薬師如来坐像(室町)・聖徳太子像(南北朝 柱の陰で写っていない)
右端の三鈷杵をもっているのは弘法大師かな?
賓頭盧尊者坐像(室町)は前面格子戸の近くにあったがなでるには手が届かない。

お堂は小さいが、貴重な仏様がぎっしりと並んでおられ、法貴寺の栄華が偲ばれた。

 
昔の街道らしい四つ辻
         
  
四つ辻の大神宮灯篭   中)道標(すぐ たつた・こうり山 裏・すぐ みわ・はせ)
お堂の中のお地蔵さまも道標だった。(北 たつた・南 はせ・東 こうしん? 西 おおさか と読める) 

きっと街道の1等地の重要な辻だったに違いない。

大和川(初瀬川)蛇行跡へ。

 
案内図より。緑色の所が蛇行跡。今は「しきのみちはせがわ展望公園として整備されている。
後で息子が調べてくれたところによると、1982年の洪水がきっかけで河川改修が行われ、大和川は直線になったらしい。
この台風は私も覚えがあり、近くの曽我川も決壊し、県内でもあちこち被害があった。
川の付け替えはもっと昔のことかと思ったが、そうでもなかった。

河川付け替えで大和川は直線となり、蛇行跡は公園に整備された。
花木が植えられ、藤棚のフジはつぼみが膨らんでいた。足裏健康の小石が敷いた場所や簡単な遊具もあり蛇行跡の形にずっと続いている。

 
堤防のように端が少し高くなっていて、川の中を歩いているような感じがする。

 
向こうに大きい木が見えてきた。木の根元に私(大きさ比較)
モチノキの雄木だった。ちょうど花盛りで花を確認した。
こんな大きいモチノキはあまり見ない。かなり大きいと思うのに、この木のことを調べても全く見つからないのが不思議。


モチノキの根元の小さい祠に布をかぶせた石仏があった。布に「大日如来」と書いてある。
エプロンのような白い布ですっぽりと覆ってあるのはなにか意味があるのかな? 
その横にさらに小さい「福高明神」が祀られていた。

ネットで「田原本の昔話」の「砂かけババ」の話が載っている。
『砂かけババというお化けがいて、森蔭や神社の影など淋しいところ歩いていると、砂を振りかけておどかす』という話。
似た話として『法貴寺の川堤にある大きなクロガネモチの木も「砂かけの木といい”たたりの木”とされている』との記述があった。
この話にはクロガネモチと書いてあり、ここにあるのはモチノキだが、蛇行していた大和川の堤にあるということからこのモチノキのことを書いているのかもしれない。それらしい記述はこれだけだった。

蛇行跡の公園はコの字型に続き、大和川手前で終わる。

展望台
 
展望台に登る。東西南北見晴らし抜群。 近くに見えるのは奈良県フットボールセンター(元志貴高校)。奥に人工芝のグラウンドが見え、手前は工事中だ。


ヤドリギがいっぱい付いた木 エノキ? 

 
近くに植栽されていた2本の木、枝いっぱいに雄花序が垂れていた。何の木かな?
ヤナギの仲間かと思ったが、次の日、植物に詳しい人に尋ねたらヤマナラシではないかという。 
そうか~。ヤナギ科ではあるがヤマナラシとは思い至らなかった。

 
 昭和38年と書かれた古い橋     左・西門川と 右・布留川の合流点

天理市に入ったらしい。白山神社などに立ち寄って・・

「もう少し行ったフェンスの中に道標がある」という通り、フェンスの草地の中に道標があった。

 
左・なら こおりやま 右・丹波市 道 とはっきり読める。中央は妙覚信女
        右)その上の字は? 字を組み合わせたような・・

天皇神社(天理市備前町)

 
天皇とは牛頭天皇のことで、素戔嗚命を祀る。
 右)本殿は室町時代初期のもので、大正時代には国宝であったが、後、昭和25年に重文に指定されている。

長柄運動公園そばののコンビニでおやつを買って食べる。
このコンビニのできる前からあった道標は、壊されず、行方不明にもならず、植込みの所にちゃんと残してくれたらしい。他では工事で行方不明になるものもあるとか。

帰り、少し細い農道を通ったら・・

 
ヤギさんが2頭寄ってきた。かわいい。少しの間ヤギさんで疲れを癒す。
                  右)これは麦藁の俵? 珍しい。

  
17時10分 日が傾いて長く伸びた私の影。 右)大和川のサクラ並木に戻る。

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2 コメント

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にゃあ (にゃあ)
2018-04-07 13:11:20
お節介です。
丁寧に拝読させて頂いているとふと気になりました。
「池坐朝霧黄幡比売神社」(いけにますきばたひめみことじんじゃ)
朝霧は読まない字なのやら?振り仮名が抜けたのやら??
天萬栲幡千々比売命(あめのよろずたくはたちぢひめのみこと 機織りの神)
中、栲の字が読めなくて悔しく、ネットで調べると
栲―栲/𣑥(たえ)
①カジノキ・藤・麻などからとった繊維。また,それで織った布。 ② 布類の総称。
とありました。これを覚えて行けば利口になって行くのだが、とても無理!
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にゃあさま (みどりの野原)
2018-04-07 20:47:39
長くなってしまったのに読んでくださってありがとうございます。フリガナ抜けてまして、修正しました。
読み方も難しいですね。
返信する

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