みどりの野原

野原の便り

1月27日 日本書紀を読む (間違い お許しください)

2017年01月27日 | Weblog
だいぶ前から「日本書紀を読む会」をされている。
会員が進行役をされ、助言者の先生も同席されている。

今まで、つい気楽な外まわりに出てしまい、今回初めての参加。
本を持っていないので、今日読まれるページをコピー(拡大)して持ってきてもらった。

日本書紀 あちこちで見聞きするが、実際どんなものかは学校で習った「奈良時代の歴史書」「舎人親王らの編纂」というぐらいしか知らない。

調べてみると・・
日本書紀とは「王朝が正当と認めた歴史書」「神代から持統天皇までのことを編年体で書いてある」「奈良時代養老4年(720年)完成」「全30巻」 
へぇ~~そうなのか~。知らなかった。

ネットで原本を見るとオール漢文だが、今日使ったのは読み下し文になっていた。

『秋七月己酉朔辛亥、遣數大夫於難波郡、檢百濟國調與獻物。於是、大夫問調使曰、所進國調、欠少前例。送大臣物、不改去年所還之色。送群卿物、亦全不將來。皆違前例、其狀何也』漢文はこんな具合。

今日は24巻の皇極天皇紀の7月から10月まで読んだ。
読み下し文で左ページに注釈がついている。
一区切りずつみんなで朗読する。
仮名もふってあるとはいえ、読みなれない文・言葉・人の名・・ むつかしい。

それでも中身はおもしろい。

むつかしいことはわからないが(間違いもあるかも)おもしろかったところだけ。

秋七月(あきふみづき) 己酉の朔 辛亥(つちのととりのついたちかのとのいのひ) に、
(旧暦7月はもう秋なのだ。)
臣下を遣わして、百済国からの貢物を調べてさせている「前回より少ないじゃないか」「大臣(蘇我蝦夷)への贈り物は前回と同じではないか」「臣下たちへの贈り物を持ってきてないじゃないか」「どうなんだ」と問いただし・・
「速やかに準備します」と使者。(上の漢文の部分)
この月に茨田池(まんだのいけ 今の寝屋川市)の水が腐って小虫が異常発生した。
「口は黒くて身は白い」何の虫かな?

八月(はつき)の戊申の朔壬戌(つちのえさるのついたちみづのえいぬのひ)に、
池は藍の汁のような色で虫の死骸が一面に覆い、用水の流れも滞り、大小の魚も腐り食用にもできない。

九月(ながつき)の丁丑の朔壬午(ひのとうしのついたちみづのえうまのひに)に、 
舒明天皇の改葬のことや、皇極天皇の母がなくなって檀の丘に葬ったこと。
皇極天皇は母が亡くなるまでそばで看病されたことなどが記されている。
墓つくりも終え臣下たちに布を与えられた。
そして茨田池も匂いもしなくなってきた。

冬十月(ふゆかむなづき)の丁未の朔己酉(ひのとひつじのついたちつちのととりのひ)に、 蘇我入鹿が聖徳太子の皇子たちを廃して舒明天皇の皇子を天皇にたてようとしたことや、このころ、ようやく茨田池も元通りの澄んだ池になったこと。

ここで時間終了となる。
天皇や人物のことなどはむつかしいが、百済からの貢物を検査するところや、茨田池のことや天皇が母に付き添って看病するなど姿が浮かぶところもあって面白かった。

少ししか進まなかったのは講座の前に「これがわからないと「いつ」というのがわかりません」と飛鳥時代に大陸から伝わったという太陰太陽暦に始まる「暦」や「十干十二支」の詳しい解説をされたため。
暦を理解するために太陽と地球と月の関係まで・・すごく勉強しておられるのに感心した。
(秋七月「己酉の朔 辛亥」というのは旧暦7月3日のこと。八月「戊申の朔 壬戌」は8月15日のこと。など、何月何日かを十冠十二支であらわす)

・・がむつかしい。聞いているとなるほど・・と思っていてもあまりわかっていない。

おもしろかったので又、都合の付く日(これをいうのでなかなか参加できないのだが)に参加したいと思っている。
コメント
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