朝鮮人工夫10人の名簿見つかる/群馬でフィールドワーク
群馬県人種・同和教育研究協議会、解放群馬県民共闘会議の主催で、「渋川の水力発電所と渡日朝鮮人~語り継がなければ歴史は途切れる~」と題したフィールドワークが7月30日、群馬県渋川市で行われた。
金井、渋川、佐久など県下に多数の水力発電所を有する群馬県では、過去、これらの建設にあたり多くの朝鮮人が従事した歴史がある。
この日会場には、100人を越える日本市民や同胞が集う中、近現代史研究者の萩原猛氏による講演会が行われた。
登壇した萩原氏は、1920年当時、国勢調査の調査員をしていた自身の祖父が、自宅の蔵に保管していた第1回国勢調査票の原本控えや調査記録を用いながら、これまで明らかになっていなかった朝鮮人工夫10人の名簿記録が新たに見つかったことに言及。そのうえで、「10人の出生地は皆、忠清、全羅、慶尚、京幾道など朝鮮南部の5地域で、年齢は20~30歳代、職業は『土木請負業鈴木組抗夫』であり、金井発電所の建設に従事していた」と説明した。
同氏は、自身の持つ資料を公開した理由について、「かなりの殉職した無名の朝鮮人による労働のおかげで、象徴的な自然エネルギー利用の水力発電所を享受していることを心に銘記したかった」としながら「いま日本の教育は、自国の加害の歴史について、きわめて不十分だといえる。発電所づくりにあたって、朝鮮の人びとが役割を果たした事実、一方で犠牲も負わされた事実をしっかりと認識しておく必要がある」として、今後も地域の歴史事実を検証し認識を深めていきたいと語った。
講演後、参加者たちはグループごとにわかれ、東京電力・佐久発電所や、建設作業を通じ犠牲となった朝鮮人工夫など犠牲者たちを弔うために建てられた真壁調整池慰霊碑へ、現地見学に出向いた。
(韓賢珠)