光州民衆抗争33周年、韓国で多彩な記念行事
「5.18」わい曲に怒り
軍部独裁に反対し民主化を求め命をかけて民衆が武装抗争を繰り広げた「光州人民蜂起」(1980年5月18日)から33年目を迎え、同地では記念行 事が相次いだ。南の報道によると、市民たちによる各行事では「5.18の精神」を受け継いでいこうと呼びかけるとともに、その歴史的意義をわい曲しようと する現政権や保守勢力に対する抗議の声が上がった。
17日、光州駅前広場では大規模な労働者大会が行われた。民主労総が主催し、各地から3千人以上の労働者らが参加した集会では、「非正規職の正規職化」「労働基本権の保障」などとともに「反戦平和、米国反対」を訴えた。民主労総臨時非常対策委員会のリャン・ソンユン委員長は軍部ファッショ勢力に立ち 向かい、社会の民主化を実現するために戦った光州民衆抗争の意義について語りながら、労働者をはじめ各階層が米国に盲従し民衆の利益を侵害する政権と独裁 を彷彿とさせる時代の逆行に立ち向かい、朝鮮半島での戦争の危機を乗り越えて社会の自主化と民主、平和を守るために立ち上がろうと呼びかけた。
この日夕方からは、民衆抗争の「震源地」となった東区錦南路で「5月の光州、また平和と統一へと」というスローガンを掲げた前夜祭が開かれた。 5.18民主抗争33周年記念行事委員会が主催した前夜祭には、市民、農民、学生、労働者をはじめ各階層の5千人以上が参加。不当解雇により自殺者も生ん だ双龍自動車解雇者、雑居ビル立ち退きを巡り警官隊と衝突し6人が死亡した龍山惨事の撤去民、米軍基地建設に反対する済州島江汀村代表者など国家権力の犠 牲にさらされた被害者たちの姿も見られた。歌や踊りなど、特設舞台上で約3時間に渡って行われた前夜祭では光州民衆抗争の精神を受け継いでいく意志が表現された。
一方で、「国立5.18民主墓地」で開かれた、現執権者も参加した「政府記念式」には非難が集中した。
光州民衆抗争を象徴する歌として知られ、社会市民団体らの集会などでも歌われる「あなたのための行進曲」(님을 위한 행진곡)の斉唱を政府側が認めなかったためだ。
5月18日を前に、一部の保守メディアからは民衆抗争を「北の工作」だとする論調が報じられ、また与党・セヌリ党は5.18記念声明で「深刻化して いる北の安保危機」を口実に民衆抗争記念日をも反北対決の機会に悪用しようとするなど、保守勢力による民衆抗争の意義を貶める工作が露骨に表れた。政権に よる行進曲斉唱不許可も、その一例だ。
「5.18負傷者会」「拘束負傷者会」「遺族会」などの「5月団体」代表、市民社会団体メンバーらは、これに抗議し「政府記念式」の参加を拒否。昨年まで約1時間をかけて行われた同記念式はこの日、たった20分で終了し、座席は空席だらけだった。
連合ニュースをはじめ各メディアは、5.18記念式に大統領が参加したにもかかわらず、主人公である遺族らが参加しなかったことで、その意義が半減 したと報じた。式典参加者たちも、合唱団によって行進曲が歌われると起立し共に歌うなど、政府の斉唱不許可に対する抗議の意思を示した。
また政府記念式に参加しなかった「5月団体」代表、社会市民団体メンバーら700人は、望月洞にある抗争犠牲者の旧墓地で別途、記念式を開催。「あなたのための行進曲」を斉唱した記念式では、現保守政権に対して抗議する発言が相次いだ。
光州民衆抗争とは
1979年の朴正煕暗殺(「10.26事変」)を機に南朝鮮各地では反軍部民主化要求デモが一気に噴出。米国の庇護のもと軍事クーデター(12月12日)で実権を握った全斗煥、盧泰愚などの「新軍部」は、これを武力で弾圧する。
1980年5月17日、「非常戒厳令」が全域に拡大されると、翌18日、全羅南道光州市(現在は光州広域市)では、学生を中心とした市民たちのデモが武装抗争へと発展する。市民たちは10日間に渡って、同地を完全に掌握した。
しかし軍部は、市を封鎖し特殊部隊ばかりか戦車などの戦争兵器をも投入し、市民たちを虐殺。死者、行方不明者、負傷者は数千人に及んだ。軍部は言論を封鎖したが、海外メディアの特派員によって報道された。民衆虐殺に米国の関与を裏付ける資料も公開されている。
光州民衆抗争は、軍部独裁に反対し民主化を求めると同時に、「我らの願い(우리의 소원)」が市民たちの中で歌い続けられたことからも、祖国の分断克服のための戦いでもあったとも言われている。
命を賭して立ち上がった民衆の精神は、その後「大統領直接選挙制」を勝ち取った1987年の「6月抗争」に受け継がれ、またこんにちでも民主化と反米自主化、統一を志向する象徴として、民衆たちに根付いている。