柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

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2010-12-30 09:02:43 | Weblog
何日か前にM-1グランプリ、漫才番組がありました、ご覧になりましたか。10回で終了する、今回が最終回だということでそれなりに事前の煽りが大きかったですが、終わった後もTVやら新聞やらで例年になく論評を多く見聞きします。興味のない方には、何の話か?というもので申しわけありませんが、今日はこの話題で。論評の内容は、大上段はお笑いブームの終焉の象徴としての位置づけ、小は笑い飯への好き嫌い論(笑い飯というのはコンビ名です。今回一位になったコンビです)。80年代に大漫才ブームがありました、私がまだ学生の頃で、私の世代が一番はまってました、私もその一人でした。やすきよ(横山やすし・西川きよし)を頂上に据えて、いとこい(夢路いとし・喜味こいし)やらダイラケ(中田ダイマル・ラケット)などを正統派しゃべくり漫才と定義して名人的顧問的な存在として脇に配しての「虚構」(当時はそういうTV局の策略にまんまとかかってましたから何の疑問もなく、そういう序列で自然に見てました。でも、その後誰かの評論でこういう書き方を見て、なるほどね、やすきよ一番てだれが決めたのよ?の話じゃのう、と気付いたことでした)を作りあげて、若い者たちが名人の域に向かって技を競うという、単に誰が面白いかという競争ではない、いわば青春スポ根ドラマに通る、日本人好みの切磋琢磨の物語を付加して、あれだけの大ブームを作りあげたのでした。ま、単純に面白かったし、大声出して腹抱えて笑ってました、それでよかったのですがね。当時の一番がぼんち、B&Bでしたか。ぼんちはとにかく面白かったですよ。関西で学生してました、ブームの前から関西では普通に平日にも漫才番組があって、売れる前のぼんちやらB&B、のりおよしお、紳助竜助らをよくTVで見てました、そういう素地があって余計にあのブームはこちらも煽られたのでしょう。ひょうきん族という番組、タモリがやってる「笑っていいとも」の前身番組の「笑ってる場合ですよ」、花王名人劇場、ぼんちは歌を出してベストテンに出てましたからね、そうなんですよ川崎さん、あれです。でもあれも、乗り遅れたコンビ(巨人阪神とか)を積み残したままあっという間に終わりました。島田洋七ががばいばあちゃんで売れた時によく言ってたような、大苦難時代が押しよせて、最後まで残ったのは紳助、たけし、さんまだけだったという図です。その時代との比較論です。ブームはわっと燃えいきなり消える。今回もあれだけあったTV番組が時を同じくして一気に消えた。その象徴としてこの番組、M-1があるという論。笑い飯が何年もずっと決勝に残っていてのにいつも勝てなかった、そういうドラマの決着点、大団円としてこのコンビの優勝で終える、そういうドラマ。紳助は、芸人に諦めさせる(自分に才能のないことを知らしめて、別の道に進ませる)ためにこの番組やってきた、もうその役目は終えた、なんて言ってました。笑い飯は下ネタで自爆していたことが多かった(というこれも今から考えれば筋書き通りのことだったのでしょうが)ところ、ここ一番それなりにやって見せて、結果的に辛勝しました。関西ではローカル番組に多く露出するのでしょうが、鄙の地にはとんと見えない顔です。だからブームという大波が全国に広がっていくのでしょうが、人気商売水商売の厳しさ切なさはかなさを同時に思うことでした。あなたは笑い飯でしたか、それとも沖縄のニューウエーブ?後者は捨てがたかったですよね。
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