柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

革命

2012-09-18 08:24:01 | Weblog
アサヒビールの元社長、樋口さん、この人あちこちに顔出して有名な人でしたが、死亡記事です。何で有名になったかと言えば、小泉さんにも重用されてましたが、アレです、アサヒ・スーパードライ!!記事によればこの怪物商品が世に出たのが87年、昭和で言えば(言えよ!)62年、タイガースが久しぶりに優勝したのが60年(昭和!)です、あの頃です。私は広島で勤務してました、よく覚えてます。大学が関西(高槻)でした、学生時分からよく飲みに行ってました、もっぱらビールでしたが、その頃はビール!と頼むとそのまま何かが出てくるだけでしたよ、キリンのラガーだったり、アサヒだったりサッポロだったり。今ほど種類が多くなかったですし、銘柄によるチョイスなんてのは客にはできぬこと、またそんなことする奴もいなかった(気障な嫌味な奴は舶来ビール飲んでましたがね、ハイネケンとかバドワイザーとか。バドワイザー呑んだときびっくりしたこと、甘っ!!)です、その店に置いてあるビールを、出てくるビールをそのまま飲むだけでした。何の不満も疑問も問題もないことでした。それが、このスーパードライが出てからというもの、女達が飲むようになったのでした、ものすごく売れたのでした。で、よく覚えてますが、広島の飲み屋や居酒屋でもビール!と頼むと、何しましょう?と来るようになりました。え?と問うと、キリンですか、スーパードライですか?と来るんです。ああ、こういう時代になったんだとあの時は本当に感心しました。アサヒが王者キリンを抜いてシェア一番になるにそんなに時間が要らなかったのも現場の感覚として頷けましたね。何と言っても女がビールを呑み始めたのが大きいでしょう。ビールってオヤジの飲み物でしたからね。飲みやすくなるってのはこういうことなんだと、本当に感じ入ったことを思い出します。私はあの苦みとカーッとくる感じが好きでキリンラガー派ですが、もちろんこっちも呑みます。あれは革命でしたね。その時の社長です。凄いや。合掌。
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