柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

主義

2013-11-23 06:04:13 | Weblog
特定秘密保護法案への反対論、承前。落合恵子が(レモンちゃんです、セイヤングの。当地では聴けませんでした、彼の国の電波が強すぎて)朝日新聞に寄せてました(11/22)。「一人ひとりが多様で正確な情報に基づき判断するという民主主義の基礎が壊れてしまう」「テロ対策を名目に原発に関する情報はますます出なくなる」「いつの時代でも世界のどこでも権力は情報を隠します」「政府が情報をどれだけ開示するかが民主主義の成熟度を示すもの」『政治が取り組むべきは、秘密保護ではなく情報公開です」と。ううむ、濃いですなぁ。そういう印象です。民主主義と大上段に構えてくる所(身ぶりの大きな抽象的な言葉を振り回す、でもって思考停止に陥らせる、詳細をうやむやにする方便です)が胡散臭さの根源だと思うのですが、各々の定義の問題ですからすれ違うのはやむを得ないとは言え、民主主義ってのはそんなに一人ひとりに依存することですかね。みんなの意見、民意、国民目線等々、準ずる表現は沢山あり、またあちこちに溢れ氾濫してますが、それが本当に正しいのでしょうかね。一人ひとりという概念と議員代表制ってのは矛盾しないのでしょうか。どこかの国のように何でもかんでも直接選挙で決めるが理想なのでしょうが、民選(普通選挙)の限界(端的に有象無象でも議員になれるところ)が明らかです、直接民主主義ってのも選択肢に上がりそうですが、いいえ、こっちの方が数十倍危ないことです。国民一般にまで決定権を下すなんて無謀です。有象無象のレベルが違います。一人ひとりが判断するなんてことが民主主義の基礎なんかじゃないでしょう。民主主義とはあくまで君主制専制に相対する概念です。無用の敷衍は慎むべきです。情報を開示することが民主主義の成熟度、ですか。そうですかねぇ。隠すのではなくて公開の要無しという判断もある筈です。ま、結果として一緒ですから、こういう判断を彼女たちは嫌うのでしょうが、人がやることです、曖昧のグレーゾーンばかりでしょうに。それを含んで物事を積み上げ決めていくわけですね。原発の隠蔽話、これは面白く読みました。なるほどその通りだなぁ、線量を事細かに公表して危険基準を徒らに下げて復興を遅らせているのは無闇な情報公開じゃなぁ。住民を帰さなければ復興なんかできませんよ。ここは、逆の意味合いで賛同しました。是非ご一読を。
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