拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

シャトー・オー・ブリオン

2015-12-24 06:47:34 | 

「自分かワインがくたっばちゃう前にとっといたいいワインを飲んじゃおう」シリーズ、今回は、でました、シャトー・オー・ブリオン!天下のボルドー1級!当初他のワインを開ける予定だったが、オー・ブリオンのヴィンテージが1984年(ボルドー不作の年)なのを見て、こりゃ急がにゃいかん、と急遽変更。液面がかなり下がってる。不安。おそるおそるコルクに栓抜きの釘を刺す。おっ、沈まない。ちゃんと抜栓できた。これは「いいワインシリーズ」で初めてのことだ。したがって、デキャンティングもせず。香りは?おお!グランクリュクラッセの香りだす。味は!うーむ。かなりくたびれモードだが決して劣化はしておらず、そこはかとなく昔の威厳を漂わせてる、そんな感じ。併せたのは、自分ではとても買わ(え)ない上等なお肉(いまだに私を先生扱いして下さる奇特な先生からのいただきもの)、それにパンとチーズ。いいワインにはこれで十分でしょ!

ライトセーバーとライトモティーフ(ライトつながり)

2015-12-23 10:29:08 | 言葉
映画館で、小さい子供がスターウォーズのライトセーバーを振り回してるのを見て欲しくなり、売場に言ったら5000円もするので断念(500円だったら買ったのに)。さて、スターウォーズで「ライト……」とくればもう一つ、ライトモティーフ(音楽のジョン・ウィリアムズが登場人物ごとに割り振ったメロディー。この手法は、ヴァーグナーが大々的に用いた)。同じライトでも全然違う。ライトセーバーは英語の「lightsaber」(光る剣)。それに対し、ライトモティーフはドイツ語で「Leitmotiv」。「示導動機」とか訳される。この「Leit」は「leiten」(指導する)から来た言葉で、サルツブルクでオペラが催される「フェルゼンライトシューレ」の「ライト」と同じ。「フェルゼンライトシューレ」とか言うと、なんとなくかっこいいが、とどのつまりは「岩の教習場」。岩窟を利用した乗馬の教習場だったそうだ。「サウンド・オブ・ミュージック」にも登場したし、音楽祭での魔笛(モーツァルト)の映像(レヴァイン指揮。夜の女王はグルベローヴァ)もある。

"We miss you"が「母さんも待ってる」に

2015-12-22 10:06:59 | 言葉
(承前)スターウォーズの新作の字幕で面白いのがあった。父親が息子に「We miss you」というシーン、直訳すると「僕らは、お前がいないのが寂しい」てなとこだが、字幕は「母さんも待ってる」だった。字数制限があり、長い文章はだめなのだそうだ。限られた言葉でオリジナルの雰囲気を伝えなければならない、というんだから大変な作業だ。いくつかの合唱団でご一緒してる某姐さん(翻訳のプロ)も、大変な仕事で胃に良くないとおっしゃってた。同時に創造的だなー、と思う。

20世紀フォックスと漫画トリオのファンファーレ

2015-12-21 10:59:10 | 音楽
(承前)その20世紀フォックスのファンファーレ、文字にすると「パンパパパパーン……」。む?そう言えば、大昔、お笑いの「漫画トリオ」が「パンパカパーン、今週のハイライト」って言ってたなあ。全然関係ないけど……ないのかな。気になってチェック。すると、漫画トリオのは正確には「パンパカパーン、パパパ、パンパカパーン」だった。これって、もしや20世紀フォックスの簡略化ヴァージョン?そこで、20世紀フォックスの方も正確に記し、かつ、漫画トリオのをあてはめてみる。「パンパパパパーン(パンパカパーン)、パパパパパ(パパパ)、パンパパパパパパパパパパンパパパパーン(パンパカパーン)」おお!なんたる一致。高名な某音楽学者が主張されてる箏曲とグレゴリオ聖歌の一致のごとし(いてっ、誰か罰当たりと言って石を投げた)(続く)。

20世紀フォックスのテーマ音楽が消えた(スターウォーズ新作)

2015-12-21 10:05:13 | 音楽
(承前)ただ一つだけ、スターウォーズの配給会社が20世紀フォックスからディズニーに代わったので、冒頭の20世紀フォックスのテーマ音楽がないことだけが残念だった。このテーマ、本編と同化してた。パーカッションがドドドン、ドドドン、ドーーードンドンと刻んだ後、金管のファンファーレが鳴って、弦も入ってかっこよく締める。ここまでが20世紀フォックスのテーマ。で、一瞬の静寂。スクリーンに「a long time ago,far far away in a galaxy」と出たと思ったら、「パァーン、パパパパーン」とスターウォーズのテーマが始まる。20世紀フォックスのテーマも本編の冒頭も変ロ長調だから、ほんとに一体化してた。これがこれまでの6作。さあ、新作はどうだ?近日公開される映画の予告編が続いてると思ったらいきなり静寂、で、例のテロップ。で、「パァーン、パパパパーン」……20世紀フォックスのテーマは当然ない。このテーマは心を高めてくれてた。これがないと、序奏なしで幅跳びをするようで、若干物足りない。が、それは贅沢というもの。ほかは前6作通りだ、よくぞ、ここまで残してくれた、と思うべきだろう(続く)。

Jウィリアムズ健在(スターウォーズ新作)

2015-12-21 09:26:54 | 音楽
スターウォーズ「フォースの覚醒」、最高。好きなシリーズの続編がいまいちだったらどうしよう、の心配は杞憂。SF映像はスケールアップ。エピソード4を思わせるシーン満載。同作へのオマージュだろう。ヒロインのレイは体をはった演技。衝撃のシーンもある(ネタバレになるので言わない。と私ですら気を遣ってるのに、ハリソン・フォードが公開前に好きなシーンを聞かれてぽろっとしゃべってしまい、ネタバレか、と話題になった。あれは明らかにネタバレだ。だって、観てて、あっ、この後、こういうシーンがあるんだな、と分かっちゃったもん。)。音楽はジョン・ウィリアムズ。クレジットで「music by John Williams」を見たときが最高に興奮した瞬間であった。ウィリアムズは、大ヒット作の続編では主題曲だけ提供するが、本編の音楽は別の人、ということが多い。が、今回は全編ウィリアムズが書いてる。そのことは、クレジットを見るまでもなく聴いてて分かる。シーンにぴたっとマッチした変幻自在の音楽。なにより、登場人物を表すライトモティーフがヴァーグナーのよう(キャリー・フィッシャーのレイア姫が出てくるとレイアのテーマ流れるといった具合)(続く)。

愛人

2015-12-20 10:55:17 | 音楽
授乳してもそれが自分の子だと「乳母」にならない。男から愛されていても、それが夫なら「愛人」にならない(中国語ではなるそうだ)。因みに、ドイツ語の「Geliebte」には、「愛人」と「恋人」のどっちの意味もあるそうだ。あなたの名前を教えろと迫る妻エルザに「Geliebte」と呼びかけるローエングリンの歌詞を「愛人!」と訳したら、え?あたしはあなたの愛人なの?妻じゃないの?やっぱりね。あたしの思った通り。こういうときに本心が出るのよ……と、まあどうせこの後修羅場となり破局になるのだが、それが早まるのであった。

日本語訳の「フィガロの結婚」の思い出

2015-12-19 14:15:25 | 音楽
(承前)「フィガロの結婚」は大好きなオペラで、何回見たか分からない。私は原語上演の方が好きだが、思い出に残る日本語訳の上演もある。何と言っても、人生最初に生で観たフィガロは学生時代で二期会の研究生(?)の公演だった。フィガロがとっても上手くて、一番印象的だったのは、第4幕で女性の悪口を早口で並べ立てるアリアの日本語歌詞だった。このアリア、野田版ではどんな歌詞になるのか思ったら原語のまま(がっかり)。それから、こんにゃく座のフィガロ、これはもう抱腹絶倒。当時、フィガロだったらなんでも聴いてやろうと訳も分からずチケットを買ったら小さい小屋みたいなところで不安になって、しかも歌手じゃなさそうな怪しい人が伯爵役で、しかし、なんとこの人こそ斉藤晴彦さん。プロの声楽家の中で浪花節のような声で歌うアリアに聴衆は万雷の拍手を送っていた。歌詞も、下品で(!)最高だった。よく覚えてるのは、第4幕冒頭でバルバリーナが無くした鍵を探すシーン、「なくしーちゃった、なくしーちゃった」と歌ってた。因みに同じシーンを野田フィガロでは「さがせえど、さがせえど」。さて、このオペラで最高に好きなのはスザンナの最後のアリア。私はこの曲のアリアはもちろんだが、レチタティーヴォがめっちゃ好き。これは原語(Giunse alfin il momento)で聴きたかったなあ。でも、小林沙羅さんの歌は、よく通る声でとてもよかった。

「ちちだ、ははだ」(野田演出のフィガロ)

2015-12-19 14:01:30 | 音楽
(承前)「フィガロの結婚」には笑えるシーンがたくさんある。第3幕で、マルチェリーナがフィガロの母で、把瑠都ロではなくバルトロが父だと判明するシーンもその一つ。ただ、野田フィガロのこの部分の日本語訳には工夫がなかったなあ。「Suo padre,sua madre」とはずむように歌われるのが「ちちだ、ははだ」ではちっともはずまない。しかもあんまり「ちち」を繰り返すと別の「ちち」に聞こえてきて、そっちが母親に思えてしまう。そう言えば「乳母」という言葉があったっけ。これに相当するイタリア語「バーリャ」もこのシーンで使われている。マルチェリーナが母だとは信じられないフィガロが「(私の)バーリャ?」と聞き返す。ここの訳が「ばーや」だと「バーリャ」と音が似てて面白いのだが、この公演では「乳母」でこれもひねりがなかった(続く)。

「ば」「ば」「あ」(野田演出のフィガロ)

2015-12-19 12:29:37 | 音楽
(承前)野田秀樹演出のフィガロは、元の台本(イタリア語)とオリジナル台本(日本語)のちゃんぽん。野田秀樹と指揮者の井上道義の共作だそうだ。その日本語訳がなかなか面白い。一番笑ったのは、スザンナとマルチェリーナの二重唱。互いにイヤミの応酬の末、スザンナが「L'eta!」(お歳)と言ってマルチェリーナがき~~~と怒るシーン、歌詞が「ばばあ」だ!これだけで、マルチェリーナ以外にもき~~~と怒る人がいるだろうに、それに輪をかけて、黒子が日傘を持って舞台に登場、ぱっと開くと一つ一つに「ば」「ば」「あ」 の文字(け、決して私じゃないですから。「いいじまさんがあたしのことをばばあと言った」とおっしゃる方がいそうだが、それは『言いがかり』というもの)。でも、一つの日傘に一文字でよかった。並び方を変えれば「ばあば」になる。これだったら誰も怒らない(この公演はブログネタの宝庫。まだ続く)。

カウンターテナーが歌うケルビーノ

2015-12-19 12:16:29 | 音楽
BSで、野田秀樹演出のフィガロの結婚をやってた。一番びっくりしたのは、ケルビーノをカウンターテナーが歌ったこと。男の役を女が歌うのは絶対おかしい、ということでそうなったらしいが、そんなことを言ったらズボン役も全部男になっちまう。オクタヴィアンも含めて。それに、男の役を女が歌うところに「倒錯」の世界があって、それがなんともそそるのだ。男の役を歌う女が女装したりすると(ケルビーノやオクタヴィアン)、もう、倒錯が倒錯して元に戻っちゃう。が、この公演でケルビーノを歌ったマルテン・エンゲルチェズは、Gも楽々出して聞き応えがあった。が、ジャルスキーとかが好きなカウンターテナー・ファンにはいまいちだろう。なんといっても大男で、ガタイが可愛くない(顔は結構可愛いが)。ようやっと情報を探し出したら、30歳くらいのオランダ人だった。「オランダ人はでかい」を絵に描いたような人だ。それでも、歌は立派だから、これからのしてくるんじゃないかな。ジュリオ・チェーザレの主役なんか、いいと思う(続く)。

ドイツ嫌いのヤナーチェク

2015-12-18 13:12:36 | 音楽
ヤナーチェクは、ドイツが嫌いだったそうだ。チェコ人はヤナーチェクに限らないかも知れない。ドイツのドイツ語学校でチェコのプラハへの遠足があって、私は参加しなかったが参加者によると、プラハのレストランでドイツ語をしゃべる一団だと分かると店員は注文すらとりに来なかったそうだ。私はドイツもドイツ語も大好きだが、ヤナーチェクにどっぷりはまった後にヤナーチェク目線でヴァーグナーを聴くと教条的だなー、リヒァルト・シュトラウスは貴族的だなー、と感じないわけでもない(一瞬だが)。その土着っぽい、力強いリズムは、どっかしら伊福部昭を思い出させる(ゴジラ(ドシラ)、ゴジラ(ドシラ)……む?「ゴジラ」と「ドシラ」の母音の一致は偶然か?伊福部昭と言えばスターウォーズ(どこに関連性があるんだって?ないけど、どっちも好きなもんで)。ニュースで日米熱狂って、え?もう封切ったの?ボジョレーヌーヴォーの解禁と同じに日付が変わったとたん?ではなく、夕方公開だって。そういえば、テレビで、「スティーヴン」て人が出てきたらBGMがスターウォーズだった。これ、完全に勘違いだね。「スティーヴン・スピルバーグ」と「ジョージ・ルーカス」をごっちゃにしたのだろう。たしかに二人は仲良しで、SF作品の大家で(とか言っても、スピルバーグはSFじゃないものをたーくさん撮ってる)、共に黒澤明のファンで、レイダースはルーカスがプロデューサーでスピルバーグが監督したものだけど。

アニア・シリアのブロンド

2015-12-17 16:03:13 | 音楽
初めてヤナーチェクに心から感動したのはフランクフルトで見たイェヌーファだったと思う。アニア・シリアがおばあさん役で出てて、あのシリアも主役ではない、しかもアルトの役を歌うようになったんだなー、と思って聴き始めたらとんでもない、ぜーんぶシリアが持って行った。すごかった。アニア・シリアは、日本ではあんまり話題にならないが、ヴィーラント(ヴァーグナーの孫)から、この人こそ祖父が求めていたディーヴァだと見初められて、バイロイトによく出ていた人なのだ(シリアがバイロイトで神々の黄昏のノルンの一人として稽古中、とちって居残り猛特訓を受けている映像が残っている。)。私がこの人を最初に強く認識したのはオペラ映画の「フィデリオ」。ドン・ピツァロに自分の正体(フロレスタンの妻)を明かす時、ブロンドの髪をぱぁっと広げたのが印象的だった。そうか、こんな感じでヴィーラントも、クリュイタンスも、ドホナーニも心をもってかれたんだなー、と勝手に思う。因みに、フィデリオのこのシーンで男装のレオノーレが実は女だということを現す仕草は演出によってまちまちだが、胸をはだける、というのがあった。それについての詳しい情報を得ようと検索したら、ヒットしたのは自分のブログだった。