拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

日本語訳の「フィガロの結婚」の思い出

2015-12-19 14:15:25 | 音楽
(承前)「フィガロの結婚」は大好きなオペラで、何回見たか分からない。私は原語上演の方が好きだが、思い出に残る日本語訳の上演もある。何と言っても、人生最初に生で観たフィガロは学生時代で二期会の研究生(?)の公演だった。フィガロがとっても上手くて、一番印象的だったのは、第4幕で女性の悪口を早口で並べ立てるアリアの日本語歌詞だった。このアリア、野田版ではどんな歌詞になるのか思ったら原語のまま(がっかり)。それから、こんにゃく座のフィガロ、これはもう抱腹絶倒。当時、フィガロだったらなんでも聴いてやろうと訳も分からずチケットを買ったら小さい小屋みたいなところで不安になって、しかも歌手じゃなさそうな怪しい人が伯爵役で、しかし、なんとこの人こそ斉藤晴彦さん。プロの声楽家の中で浪花節のような声で歌うアリアに聴衆は万雷の拍手を送っていた。歌詞も、下品で(!)最高だった。よく覚えてるのは、第4幕冒頭でバルバリーナが無くした鍵を探すシーン、「なくしーちゃった、なくしーちゃった」と歌ってた。因みに同じシーンを野田フィガロでは「さがせえど、さがせえど」。さて、このオペラで最高に好きなのはスザンナの最後のアリア。私はこの曲のアリアはもちろんだが、レチタティーヴォがめっちゃ好き。これは原語(Giunse alfin il momento)で聴きたかったなあ。でも、小林沙羅さんの歌は、よく通る声でとてもよかった。

「ちちだ、ははだ」(野田演出のフィガロ)

2015-12-19 14:01:30 | 音楽
(承前)「フィガロの結婚」には笑えるシーンがたくさんある。第3幕で、マルチェリーナがフィガロの母で、把瑠都ロではなくバルトロが父だと判明するシーンもその一つ。ただ、野田フィガロのこの部分の日本語訳には工夫がなかったなあ。「Suo padre,sua madre」とはずむように歌われるのが「ちちだ、ははだ」ではちっともはずまない。しかもあんまり「ちち」を繰り返すと別の「ちち」に聞こえてきて、そっちが母親に思えてしまう。そう言えば「乳母」という言葉があったっけ。これに相当するイタリア語「バーリャ」もこのシーンで使われている。マルチェリーナが母だとは信じられないフィガロが「(私の)バーリャ?」と聞き返す。ここの訳が「ばーや」だと「バーリャ」と音が似てて面白いのだが、この公演では「乳母」でこれもひねりがなかった(続く)。

「ば」「ば」「あ」(野田演出のフィガロ)

2015-12-19 12:29:37 | 音楽
(承前)野田秀樹演出のフィガロは、元の台本(イタリア語)とオリジナル台本(日本語)のちゃんぽん。野田秀樹と指揮者の井上道義の共作だそうだ。その日本語訳がなかなか面白い。一番笑ったのは、スザンナとマルチェリーナの二重唱。互いにイヤミの応酬の末、スザンナが「L'eta!」(お歳)と言ってマルチェリーナがき~~~と怒るシーン、歌詞が「ばばあ」だ!これだけで、マルチェリーナ以外にもき~~~と怒る人がいるだろうに、それに輪をかけて、黒子が日傘を持って舞台に登場、ぱっと開くと一つ一つに「ば」「ば」「あ」 の文字(け、決して私じゃないですから。「いいじまさんがあたしのことをばばあと言った」とおっしゃる方がいそうだが、それは『言いがかり』というもの)。でも、一つの日傘に一文字でよかった。並び方を変えれば「ばあば」になる。これだったら誰も怒らない(この公演はブログネタの宝庫。まだ続く)。

カウンターテナーが歌うケルビーノ

2015-12-19 12:16:29 | 音楽
BSで、野田秀樹演出のフィガロの結婚をやってた。一番びっくりしたのは、ケルビーノをカウンターテナーが歌ったこと。男の役を女が歌うのは絶対おかしい、ということでそうなったらしいが、そんなことを言ったらズボン役も全部男になっちまう。オクタヴィアンも含めて。それに、男の役を女が歌うところに「倒錯」の世界があって、それがなんともそそるのだ。男の役を歌う女が女装したりすると(ケルビーノやオクタヴィアン)、もう、倒錯が倒錯して元に戻っちゃう。が、この公演でケルビーノを歌ったマルテン・エンゲルチェズは、Gも楽々出して聞き応えがあった。が、ジャルスキーとかが好きなカウンターテナー・ファンにはいまいちだろう。なんといっても大男で、ガタイが可愛くない(顔は結構可愛いが)。ようやっと情報を探し出したら、30歳くらいのオランダ人だった。「オランダ人はでかい」を絵に描いたような人だ。それでも、歌は立派だから、これからのしてくるんじゃないかな。ジュリオ・チェーザレの主役なんか、いいと思う(続く)。