暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

岩渕祐二さんの工房へ

2014年08月13日 | 茶道具
                (お盆ですね・・・法金剛院の蓮)          

7月に岩渕祐二さんの工房を1年ぶりに訪ねました。

岩淵祐二さんは漆芸を専門とする若手工芸作家さんです。
裏千家の月刊誌「淡交」平成25年8月号にインタビュー記事が
掲載されたので、ご存知の方も多いかと思います。

   
             訪問前に安楽寺の鹿ケ谷カボチャ供養へ      

うだるように暑い7月25日でした。
修理を依頼していた豊楽焼の茶巾筒と茶筅筒を取りに行きがてら
工房見学をお願いしたのです。
丸太町通のバス停でSさんとYさんと待ち合わせ、14時頃工房へ着きました。

玄関脇が応接と作品展示の店の間になっていて、
早速、冷たい麦茶とお菓子をご馳走になり、一息つきました。
お菓子は水牡丹(塩芳軒製)、黒漆器の皿に映えています。
もちろん岩渕祐二作、さりげなく載せるものを惹き立てていました。

           

いろいろな形や塗の棗、菓子皿、盆、縁高、建水・・・
作品を見せて頂きながら、複雑な工程、デザインの妙、作家のこだわりを
伺うことができ、改めて漆器が持つ奥深さを知る機会になりました。

思えば、祇園祭の曳き初めの日に高島屋の挑交会茶道具展で
岩渕さんに初めてお逢いしました

その時に目を輝かせて
 「この黒中棗は北村美術館所蔵の棗を写しているのですが、
  めったに展示されないので一部完成されていません・・・」
形も雰囲気も好い、この中棗で包み帛紗を・・と想像してみました。

完成した中棗と2年ぶりの再会です。
帛紗をお借りして包み帛紗を試みましたが、厚手の帛紗なので
最後のひと結びが上手く結べません。
小棗だとうまくいくのですが、小棗では濃茶3人分は無理ですし・・・。
それで、今回は保留としました。

            

同行のお二人は、特注の棗や盆の修理をお尋ねしています。
一段落したので、作業場を見せて頂きました。
新しい作品たち、削りかけの木地の大棗、十年がかりで仕上げている作品など、
地道な作業の積み重ねと日々の葛藤から岩渕作品が産まれるのだと実感しました。

私たちが訪問する数日前から「かぶれ」を用心して、「うるし」を使う作業を
控えてくださったことを知り、一同、感激しました。

最後に渡された豊楽焼の二品について、岩淵さんから嬉しいメールが・・・。

   豊楽の修理では、大変お待たせしまして、お詫び申し上げます
   柔らかい素地のものですので 壊れやすいものではありますが
   機能一辺倒では生まれない味わいがあのお道具にはありますね。

とてもきれいに仕上がっていてこちらにも感激しました。
八月の茶事で、茶籠で薄茶を差し上げるのが楽しみです。

岩渕祐二さん、いろいろありがとうございました!

                                 


名峰大山 風と霧と -2

2014年08月10日 | 京暮らし 日常編
             頂上近くのお花畑・・・ウソのように風が凪いで
(つづき)
六合目まで登る途中で、下山してくる登山者とすれ違いましたが、
ほとんどの方が八合目で、強風と霧のために登頂をあきらめたそうです。

その中に、山頂まで登ったという夫婦がいました。
同年代のよしみでしょうか、
「突風がきたら身体を斜めにしてやりすごしなさい
 ・・・そうすれば、なんとか行けるものですよ」とエールを頂きました。

息子に先へ行ってもらい、頂上避難小屋で待ってもらうことに・・・。
六合目から八合目は、段差がきつく一番険しい登りでした。
喘ぎながら一歩一歩登って行くと、
シモツケ草、アザミ、フウロ、エーデルワイスに似た花が咲いていて、
目を楽しませてくれますが、写真を撮る余裕などありません。

           

八合目に着くと、そこは別世界でした。
話に聞いた通り、蟻地獄のようなすり鉢形のガレ場があり、
端に木道があるのですが、ロープが無く、突風と深い霧の海でした。

何人もの登山者がここで引き返していきました。
私たちもためらいましたが、息子が頂上で待っているはずです。
「行こう!」
「行きましょう!」
身体を低くして風の抵抗を少なくし、一歩を踏み出しました。
ロープのあるところまで辿りつき、そこからはロープを手繰りながら進みます。

          

風と霧と・・・数メートル先しか見えません。
厳しい自然の真っただ中に身を置いているのですが、
なにか映画のシーンのような、幻想的で、こんな体験は初めて!

後に続く人も、すれ違う人も無く、風の音が何かを試すように聞こえます。
何度も立ち止まり、身体を斜めにして突風をやり過ごしながら進みました。         

その時、先に行く主人が誰かと話しているようです。
下山してきた息子でした。
「ここまで登って来たのなら、絶対山頂まで行くべきだよ!
 六合目で待っているから・・・ガンバッテ」
そのエールで、またまた勇気と元気をもらいました。

           
                    「天国の道」

不思議なことに、ダイセンキャラボク(特別天然記念物)におおわれた木道は
ウソのように風が凪いでいて、クガイソウや小紫陽花が咲き乱れています。
霧の中に木道が天国を目指すように上へ続いていて
私たちだけがそこに居ました。
一瞬、二人で天国を目指しているような気がしました。
「ねぇ~!「天国の道」みたいね・・・サロマ湖のワッカみたい

「このまま天国の道が続くのかしら?」
と思ったら、また突風と霧がひどくなりました。
頂上避難小屋の前を通り、すぐに大山山頂(1709m)に着きました。

「バンザァーイ!」
麓の阿弥陀堂であきらめかけたのがウソのよう・・・、
山頂まで押し上げてくれた、同行の2人に感謝です。

           
                   大山山頂の碑


        名峰大山 風と霧と-1へ戻る     


名峰大山 風と霧と-1

2014年08月09日 | 京暮らし 日常編
               昨秋の伯耆大山 (2013年11月撮影)

台風12号と台風11号の合間を縫って
8月5日、中国地方の名峰・大山(弥山1709m)へ登りました。

昨秋11月、足立美術館(島根県安来市)へ行った折、はじめて大山を見ました。
バスの車窓から見る雄大な山容は場所によって印象がガラリと変わります。
伯耆地方から見ると「伯耆富士」、出雲地方では「出雲富士」と、
呼び名も変わるそうですが、富士という呼び名の如く、
麗しい大山の山容に魅せられ、いつか、否、登れるうちに出来るだけ早く
登りたい・・・と思ったのです。


           蒜山(ひるせん)高原から大山を望む (2013年11月撮影)


今回の登頂メンバーは3人。主人と次男が同行してくれました。
8月4日、JR高速バスで京都から中国自動車道、米子自動車道を走り、
米子駅から「るーぷバス」に乗り大山寺で下車、ホテルで次男と合流しました。

台風の合間なので、天気が気がかりです。
5日の予報は、午前は曇り、午後から雨の確率が高かったので、
朝食と昼食の弁当を作ってもらい、7時前に出発しました。

私たちが登った夏山登山ルート(一般向き)は次のコースでした。
(登り)
ホテル~夏山登山口~大山寺阿弥陀堂(重文)~三合目~五合目~行者谷別れ
~六合目(避難小屋)~八合目~弥山山頂(頂上避難小屋)

(下り)
弥山山頂~頂上避難小屋~六合目~行者谷別れ~元谷(雨で元谷避難小屋へ)
~大神山神社奥宮(重文)~大山寺~ホテル

            
                 ホテル近くの弘化地蔵尊

出発して間もなく気持ちが悪くなり、阿弥陀堂まで行くと、吐いてしまいました。
「今回は無理かしら? 2人だけで登ってきて・・・」
と言うと、息子からお叱りが・・・。
「折角ここまで来たのに、弱音を吐くのが早いんじゃないの!
「大山へ登るんだ!」と声を出して自分に言い聞かせ、
 自分のペースでいいから登ってごらん・・」と。

それで気を取り直し、マイペースでゆっくり登ることとし、
息子には先へ行ってもらい、六合目避難小屋で待ち合わせることに。

            
                     六合目避難小屋

ゆっくり登り、やっと身体が山登りに馴染んでくるのを感じながら、
ブナが美しい樹林の道を進みました。
左右の山がだんだん低くなり、標高1000mを越すとブナの樹林が途切れ、
道も険しくなってきます。
五合目を過ぎるとまもなく、元谷から上がってくる行者谷別れと合流。
時折、雲と霧がさっと晴れて、麓の牧場や集落が見え、雄大な景色が
しばし楽しめました。

            
                   六合目にて休憩と朝食

六合目(1300m)は、高木限界を過ぎヤナギやウツギの低木帯となりますが、
まだ風も強くなく、霧もでていません。
六合目休憩場で息子と再会し、朝食のおにぎりとおかずをがんばって食べ、
少し元気がでてきました。
さあ~、これからが大山登山の本番です。           

                          のち 

           名峰大山 風と霧と-2へつづく

                      

旧暦の七夕の茶事-3

2014年08月07日 | 茶事  京都編
(つづき)
点前座は結界を置いて台目畳とし、風炉釜と木地釣瓶の水指、
水指前に茶入を置きました。
茶碗を運び出し、いつものように茶入と茶杓を浄め、茶筅通し、
茶碗を清め、濃茶をたっぷり点てました。

裏千家流の濃茶点前は久しぶりとのこと、真剣に拝見してくださって有難いです。
お流儀の仕方で召し上がって頂きました。
「たっぷりと美味しく頂いています」
その言葉に安堵しました・・・。

茶銘は、坐忘斎家元お好みの「長松の昔」、柳桜園詰です。
茶碗は、高麗御本三島。
小振りでいびつな形、薄づくりの容姿に仄かな色気が感じられ、
今一番お気に入りです。
古帛紗は紺地鶴亀吉祥文金襴、小林芙佐子先生の仕立てです。

茶入、茶杓、仕覆を拝見に出しましたが、返し方が違い、興味津々。
もちろん、お流儀の仕方でお返し頂きました。

              
                  京都・貴船神社の七夕かざり

ガラス茶器の茶入は岩田久利作、
茶杓は銘「あふせ」、仕覆は撫子文の着物裂地で自製です。

後炭手前をこの機会に見て頂きたくて、炭を直し、
風炉中の拝見をして頂きました。

煙草盆は省略し、すぐ干菓子を運び出し、薄茶になりました。
茶碗に水を入れ、洗い茶巾です。
このお点前の原型は利休七哲のひとり、瀬田掃部が
畳目十四半(約18センチ)の高麗平茶碗「水海(湖)(みずうみ)」を入手し、
それを生かすために考案したと伝えられています。
現行の洗い茶巾は、裏千家十三代圓能斎の創案で、夏期の薄茶点前です。
お尋ねすると、南坊流にも「水点前」という夏の点前があるそうです。

              

今回使った平茶碗(清朝)は外側に瑠璃釉、内側に青磁釉がかかり、
直径18センチ、瀬田掃部の「みずうみ」を連想するような大茶碗です。
銘を「あふみ(青海、淡海)」と名付けました。
それを渡ることができる長さ22センチの白竹の茶杓を特注し、使っています。
大茶碗を天海(九天)に見立て、茶杓銘を「月の渡し船」としました。

(注)「南方録」に、
   瀬田掃部あいようの高麗平茶碗の大振りなのを、
   利休が「水海(湖)(みずうみ)」と銘し、瀬田と湖にちなんで
   瀬田唐橋の意味を含め、自ら大茶杓を削って茶碗に渡したが、
   掃部はこの因縁により自分の茶杓をこの型に拠ったため、
   大振りの茶杓を掃部型と唱えるようになったと記されている。
           (新版 茶道大辞典(淡交社)より転載)


この大茶碗で薄茶を点てたのですが・・上手に点ちませんでごめんなさい。
このあと交代し、茶碗も替えて、南坊流のお点前で美味しく頂戴しました。
同じ流派でも多少点前や所作が違うところがあり、
(・・詳しくはわかりませんが、ひと手間多く、丁寧な扱いでした)
点前の違いや特徴を解説してくださり、夢のような時間を過ごしました。

          

亭主を再び交代して、棗を拝見に出すときに「あらっ!」
裏千家流は向う側から、南坊流は手前から茶を掬うので
真ん中に天橋立みたいな緑の細道が見事に出来ていました。
棗が鵬雲斎大宗匠好みの「三景棗」だったので、
立上りの天橋立と内側と、2つの天橋立の景色を鑑賞し、
七夕らしい風情にニッコリ・・・。


南坊流のお客さまと過ごした茶事は心愉しく、貴重なひと時でした。

いろいろお忙しいようですが、お仕事の合間に
茶事にどっぷりつかってお過ごしくださると嬉しいです。
不思議なご縁に感謝申し上げます。
                                

          旧暦の七夕の茶事-2へ     1へ戻る



旧暦の七夕の茶事ー2

2014年08月04日 | 茶事  京都編
(つづき)
ご挨拶のあと、重硯と短冊を持ち出し、願いごとを短冊に書いて
笹に吊るして遊んで頂きました。

その間に、懐石の準備です。
真夏の茶事なので、愛媛県西予や南予地方の郷土料理「日向飯(ひゅうがめし)」
をお出ししました。

宇和海の日振島に伝わった料理です。
新鮮な魚を用い、火を一切使わないなど、漁師たちが時間をかけず
材料のよさを生かして、編み出した料理だとか。
「日振(ひぶり)」がなまって「ひゅうが」と呼ぶようになったとか、
他に日向国(宮崎県)から伝わったという説もあります。

            
               愛媛県東宇和海 法華津湾を望む

我が家の「日向飯」は、
鯛の刺身を調味料に漬け込んだものを炊きたてのご飯にのせ、
卵の黄身(醤油はお好みの量で)と薬味(刻み葱、海苔、ゴマ、茗荷など)を
上に乗せた「鯛の玉子かけごはん」です。
今一つ味付けなどわからないので、主人にSOSしています。

  懐石献立
   向付(冷)  冷やし丸トマト サラダ添え(シーチキン、晒玉葱)
          フレンチドレッシング
   飯      日向飯    (あとで希望により白飯)
   汁(冷)   絹ごし  じゅんさい  赤味噌  粉山椒
   焼物     スズキ幽庵焼 
   炊合せ(冷) 茄子水晶煮  鳥の丸  オクラ   
   箸洗     すだち (梅肉) 
   八寸     鰻蒲焼(粉山椒) 茄子しぎ焼(鶏味噌) しし唐 
   香の物    きゅうりと蕪の糠漬
   梅酒(一献目) 加賀梅酒
   酒      玉の光

手づくりの懐石ですが、美味しく食べて頂けたようで嬉しいです。

続いて、裏千家流の初炭手前を見て頂きました。
他流のお客さまは初めてではありませんが、緊張感があって好いものです・・。
灰形は二文字押切、お香がなかったので敷香(白檀)をしました。

釜を上げると下炭が十分残っていて、ホッとしながら炭を置きました。
灑雪庵の小間で茶事が出来るのもいつまでか(?)、
貴重な機会と思い、座掃きをさせて頂きました。
香合は、先日の法金剛院の蓮を思いだし、「一蓮弁香合」鉄光作、
東大寺大仏殿修復古材で作られています。

お菓子をお出しし、中立をお願いしました。
お菓子はかわいらしい「金魚鉢」(上京区鞍馬口の幸楽屋製)、
動く金魚と目が合って、食べるのが忍びなかったそうです。

             

銅鑼を五つ打ち、後座の迎え付けとしました。

初座の陰に対して後座は陽、この切り替えの設えが難しく、
教科書通りではなく、空間のバランスや動線を優先することもあります。
今回は、七夕にこだわってお軸と笹飾りをそのまま残し、
花所望を仲良くお二人にお願いしました。

正客M様は、矢筈ススキ、河原撫子、草連玉(くされだま)を白釉花入へ、
次客Y様は、鉄線と山ごぼうを白ガラス花入へ生けてくださいました。
「どうぞお水を・・・ありがとうございます」(茶道口にて)

             

次は濃茶、後炭、薄茶です。
よろしかったら、お付き合いくださいまし。


      旧暦の七夕の茶事-1へ     3へつづく