暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

旧暦の七夕の茶事-3

2014年08月07日 | 茶事  京都編
(つづき)
点前座は結界を置いて台目畳とし、風炉釜と木地釣瓶の水指、
水指前に茶入を置きました。
茶碗を運び出し、いつものように茶入と茶杓を浄め、茶筅通し、
茶碗を清め、濃茶をたっぷり点てました。

裏千家流の濃茶点前は久しぶりとのこと、真剣に拝見してくださって有難いです。
お流儀の仕方で召し上がって頂きました。
「たっぷりと美味しく頂いています」
その言葉に安堵しました・・・。

茶銘は、坐忘斎家元お好みの「長松の昔」、柳桜園詰です。
茶碗は、高麗御本三島。
小振りでいびつな形、薄づくりの容姿に仄かな色気が感じられ、
今一番お気に入りです。
古帛紗は紺地鶴亀吉祥文金襴、小林芙佐子先生の仕立てです。

茶入、茶杓、仕覆を拝見に出しましたが、返し方が違い、興味津々。
もちろん、お流儀の仕方でお返し頂きました。

              
                  京都・貴船神社の七夕かざり

ガラス茶器の茶入は岩田久利作、
茶杓は銘「あふせ」、仕覆は撫子文の着物裂地で自製です。

後炭手前をこの機会に見て頂きたくて、炭を直し、
風炉中の拝見をして頂きました。

煙草盆は省略し、すぐ干菓子を運び出し、薄茶になりました。
茶碗に水を入れ、洗い茶巾です。
このお点前の原型は利休七哲のひとり、瀬田掃部が
畳目十四半(約18センチ)の高麗平茶碗「水海(湖)(みずうみ)」を入手し、
それを生かすために考案したと伝えられています。
現行の洗い茶巾は、裏千家十三代圓能斎の創案で、夏期の薄茶点前です。
お尋ねすると、南坊流にも「水点前」という夏の点前があるそうです。

              

今回使った平茶碗(清朝)は外側に瑠璃釉、内側に青磁釉がかかり、
直径18センチ、瀬田掃部の「みずうみ」を連想するような大茶碗です。
銘を「あふみ(青海、淡海)」と名付けました。
それを渡ることができる長さ22センチの白竹の茶杓を特注し、使っています。
大茶碗を天海(九天)に見立て、茶杓銘を「月の渡し船」としました。

(注)「南方録」に、
   瀬田掃部あいようの高麗平茶碗の大振りなのを、
   利休が「水海(湖)(みずうみ)」と銘し、瀬田と湖にちなんで
   瀬田唐橋の意味を含め、自ら大茶杓を削って茶碗に渡したが、
   掃部はこの因縁により自分の茶杓をこの型に拠ったため、
   大振りの茶杓を掃部型と唱えるようになったと記されている。
           (新版 茶道大辞典(淡交社)より転載)


この大茶碗で薄茶を点てたのですが・・上手に点ちませんでごめんなさい。
このあと交代し、茶碗も替えて、南坊流のお点前で美味しく頂戴しました。
同じ流派でも多少点前や所作が違うところがあり、
(・・詳しくはわかりませんが、ひと手間多く、丁寧な扱いでした)
点前の違いや特徴を解説してくださり、夢のような時間を過ごしました。

          

亭主を再び交代して、棗を拝見に出すときに「あらっ!」
裏千家流は向う側から、南坊流は手前から茶を掬うので
真ん中に天橋立みたいな緑の細道が見事に出来ていました。
棗が鵬雲斎大宗匠好みの「三景棗」だったので、
立上りの天橋立と内側と、2つの天橋立の景色を鑑賞し、
七夕らしい風情にニッコリ・・・。


南坊流のお客さまと過ごした茶事は心愉しく、貴重なひと時でした。

いろいろお忙しいようですが、お仕事の合間に
茶事にどっぷりつかってお過ごしくださると嬉しいです。
不思議なご縁に感謝申し上げます。
                                

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