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暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

いちねん会  軸荘付花月(1)

2011年07月13日 | 七事式&いちねん会
文月10日はいちねん会(七事式の勉強会)でした。
梅雨があけて、猛暑到来。
それで、7月と8月は洋服で如何でしょうか?・・・と。
暑さを厭わず、Bさんが縞に花柄のあるブルーの着物、白の博多献上の帯を
すっきり着こなされて、とても素敵でした。

科目は、且坐、軸荘付花月、結び帛紗花月、四畳半花月の予定でしたが、
お一人が夏風邪をひきお休みでした。
急遽、四畳半花月をやめて軸荘付花月を二回行うことにしました。
且坐では、次客のSさんが花と炭の役を受け持ちました。

                 

床には「銀河横九天」と書かれた七夕笹飾りの画賛が掛けられ、
溜精棚に桶側の水指が涼しげです。
鵜籠の炭斗、遠山の灰型とも嬉しく拝見しました。
「銀河横九天」(ぎんが くてんによこたう)は
「滝 直下三千尺」に続く詩句だそうで、
李白の雄大にして荘厳な「望廬山瀑布」をすっかり忘れていました。

    望廬山瀑布     李白 

    日照香爐生紫煙
    遙看瀑布挂前川
    飛流直下三千尺
    疑是銀河落九天

  (読み下し)
    廬山の瀑布を望む    
                       
    日は 香爐を 照らし  紫煙 生ず
    遙かに看る 瀑布の 前川に 挂くるを
    飛流 直下 三千尺
    疑ふらくは 是れ 銀河の 九天より 落つるかと

                  

軸荘付花月は、最初に軸荘を行ってから花月で薄茶三服点です。
軸荘はなかなか稽古できない科目の一つなので、
美濃紙を切り揃え、巻紙をつくるところから始めました。
先ず、幅を決めます。
軸の掛け金具の幅で美濃紙を切り、さらに三つに折り、その一つを切り離します。
二つに折ったものをワサを下にして巻紙にします。

次に巻紙の長さを決めます。
外題を上にして縦に持ち、巻紙の端を風袋いっぱいまで下へ挟み込んでから、
右回り、二重に巻いてから表木の際で折り返します。

長さが決まると、巻紙をはずし、今度は逆に、折り返した端を内側にして(ワサは下)、
前と同様に、風袋いっぱいまで挟み込んで二回巻くと、
表木の際で巻紙の端が巻き終わります。
それから、巻緒を巻き、掛緒に通して形を整えます。
床に紫の帛紗を二つ折り(ワサが左)にして敷き、外題を上にして軸を荘り、
左側に白菊の扇子を縦に置きました。

     いちねん会 軸荘付花月(2)へつづく        






文月のお香の会

2011年07月09日 | 茶会・香席
                         ( 半夏生 )
文月のお香の会へお招きの手紙を頂きました。
手紙はIさまからで、水茎麗しい字で次のように書かれていました。

  ・・・五種の伽羅香木の香りの中から
     同じ香りをさがしあてる香席をお楽しみ頂きたく
     ご案内申し上げます・・・

Iさまのお香の会は三回目ですが、
優雅にして、研ぎ澄まされた嗅覚や柔軟な感性が求められるひと時です。
お香のことをわからないなりに、そんなひと時を味わいたくて、
ご無理をお願いしました。

素敵なドレス姿のIさまが笑顔で出迎えてくれました。
ご自分で作られたという黒のロングドレスは、
エレガントで動きやすそうで、胸の紋がアクセントになっています。
「古い喪服がたくさんあったので、自分で継ぎはぎしてアレンジしました」
古い着物や喪服をリフォームするという選択肢が拡がりました。

                
                        ( 蜘蛛の巣の露 )
客は私を含め茶友の五名です。
香席が初めての方もいらっしゃるので、早速Iさまのレクチャーから始まりました。
七つの香を聞く「五月雨香」というのもあるそうですが、
前回と同じ五つの香を聞く「初風香」です。

香席の床には「歩々是道場」。
Iさまは凛とした気迫を感じる所作で、香炉へ火を入れ、灰を整え始めました。
(この時のIさまの所作と気力が大好きなのです)
ハンカチで汗を押えながら、五十筋の見事な灰型の香炉が二つ出来上がりました。
いよいよ香を焚き、順にまわします。

初風をうたった和歌から名づけられた三種の香を聞きました。
  一、心 (伽羅)   
  二、扇 (羅国) 
  三、露 (佐曾羅) 

腹式呼吸で呼吸を整え、ゆっくりと深く、数回聞きました。
「お茶では三回と決められていますが、何度でもかまいません。
 聞くたびに香りが違うこともありますので、
 そのたびに感じたことを細かくメモしておかれると良いですよ」

ところが、香りの表現がとても難しかったです。
「心(伽羅)は、上品、かすかに樟脳の香り、松脂、鼻にひっかかる感じあり・・。
 えーと扇(羅国)は、心とは違うけれど、どう表現したらよいか?」

                    
                       (我が家の香炉です)
三種の香を聞いてから、
まだ聞いていない香(ウ)と三種の香から一種(A)を選び、
(ウ)と打ち混ぜてわからにようにしてから、本香(ウ、A)を聞きます。
硯をまわして、和紙に名前と答を筆で書き、香盆に載せて廻しました。

残念ながら正解者はいませんでした。
本香の最初の香を全員が(ウ)としたのですが、「心」(伽羅)だったそうです。
(ウ)は真奈盤でした。
貴重な香席を体験をさせて頂き、みんな大満足でした。

「お香がやみつきになりそう・・・」という声も。

                                                  


七夕と乞巧奠

2011年07月07日 | 茶道具
                      ( 赤芽柏  季節の花300提供 )
今日は7月7日(木)、新暦の七夕です。

昨年紹介した紀貫之の七夕の歌も素敵ですが、
紀貫之と深い友情で結ばれていた凡河内躬恒( おうしこうちのみつね)が詠んだ
七夕の歌があります。

  七日の日の夜よめる

   たなばたにかしつる糸のうちはへて
        年の緒ながく恋ひやわたらむ    凡河内躬恒

   歌の意は、七月七日には機織(はたおり)の上達を願って
   織女星に糸をお供えするけれども、
   その糸のように長く、何年も何年も私はあの人を恋し続けるのだろうか。

仕覆づくりで針を持ち、長い絹糸を組んだり撚ったりすることが多いので
躬恒の歌が現実的にせまってきます。

七夕にちなむ「乞巧奠(きっこうでん)」は中国で始まりました。
牽牛と織女の二つの星が、年に一度この日に会えるという伝説から発展して、
女性たちが手芸や裁縫の上達を祈る祭りです。

奈良時代に日本へ伝わり、宮中の年中行事となりました。
平安時代の乞巧奠は、宮中の庭に蓮を敷き、その上に山海の産物とともに
赤芽柏の葉に五色の糸を通した七本の針を刺して供え、琴や香炉を飾ります。

さらに時代によって祈りの対象や風習が違ってきます。
室町時代は歌でした。
江戸時代になると、手習いの普及により習字の上達を願うようになりました。
七夕の朝、子供たちは里芋の葉の露を集めて墨をすり、
習字をして上達を祈るという、素朴で美しい風習が生まれました。

                
                       「 里芋の葉の露 」

                
                   「 仕覆づくりの道具類 」

我が家でも「乞巧奠」にあやかって
仕覆づくりの道具がほぼ揃ったので絹糸、糸巻、組紐器を飾ってみました。

                
                     「 かせくり器 」

絹糸は、K先生に紹介して頂いた糸屋から送ってもらいました。
その糸を糸巻に巻く時に活躍するのが、「かせくり器」です。
これがあれば一人でも巻くことができる優れものです。

                
                     「 糸巻とミツクリ 」

編み袋の紐や仕覆のつがりをつくるときに使う「ミツクリ」。
他にも製図道具や裁縫箱もがありますが、またの機会に・・・。

さて、気持ちを引き締めて
「二礼二拍手一礼」
 (どうぞ仕覆づくりが何とかものになりますように・・・
  あとでお茶とお菓子を献じますので、何卒おたのもうします)
  
                               

追記) 2年前の2009年7月7日に書いた記事(四国遍路・一期一会とそのシリーズ
     七夕のご縁でお読み頂けると嬉しいです(実は私も久しぶりに読み返しました・・・)。



楽 東美正札会

2011年07月05日 | 茶道具
東京美術倶楽部で行われた東美正札会へ行きました。

秋の茶会で使うものを捜しにKさんとご一緒です。
ごく親しい方をお招きして行う小さな茶会ですが、
私にとって思い出深い茶会になりそうなので、
何かご縁があれば・・といそいそ出かけました。

開場して間もないのに「これは・・」と思うものには
すでに「売約済」の赤札が置かれていて、内心あせりました。
知合いの道具屋さんから予め「売約済」の赤札を貰っておき、
1または2時間以内に決済するというシステムです。

時間内なら、赤札を取り消しても良いことになっているので
気楽に置いていく方が多いのです。
すぐに尾戸焼のすっきりした水指が目に入り、赤札を置きました。

「あの棚にこの水指はどうかしら?」
「待合にこの掛物は?」
自分の持っているものや茶会のイメージを膨らませながら
茶道具を選び、取り合わせの可能性を話し、意見交換をします。
買わなくても買えなくても、この時間がめっちゃ愉しいです!

                      

道具屋さんを紹介してくださったSさんと待ち合わせ、昼食をご一緒しました。
Sさんからいろいろ貴重なアドバイスを頂きました。
昼食後に赤札を置いた水指を見て頂くと、
「新しい尾戸焼ですね。
 秋の茶会だったら他の道具と重ならないように
 秋草模様がない方が合わせやすいと思いますよ」

確かに、水指は最初から最後まで茶席に置かれているので
そこで秋を表現しては後から出てくる他の物が映えないと納得です。
いつも実践的なアドバイスをしてくださるSさんに感謝です。
Sさんは来年の茶会にぴったりのお軸とお出会いがありました。

全員、納得のいく買い物を済ませ、休憩席でまた茶談義をしました。
近況報告、道具の好み、茶会の心構えなど、奥の深い(?)話に花が咲き、
Kさん、Sさん、道具たちと過ごした東美正札会、また次回が楽しみです。

「えっ! ところで何を買ったの?・・・ですか?」
硝子茶入、茶杓、茶碗を買いました。どれもウレシイご縁でした。
いつかお目にかける機会があれば・・・と思います。

                          

     写真は、「水中に涼あり」と「半夏生」
           (いずれも長屋門公園にて)

                          

青磁の茶碗

2011年07月03日 | 茶道具

戸栗美術館の「青磁の潤い 白磁の輝き」展を見て、
青磁のルーツを調べてみたくなりました。

青磁とは、微量の鉄分を含む釉薬が還元焔焼成により
青緑色に発色したやきものです。
生まれは中国、後漢末(200年頃)に越州で焼かれ始め、
宋代(960-1279年)に最盛期を迎えます。
その技法が近隣の国へ伝わり、
高麗青磁、安南青磁、宋胡録(すんころく)青磁、そして
17世紀はじめ日本の青磁が有田で焼かれました。

お茶(茶人)と青磁の関係などますます興味は広がりますが、
思いの外奥が深く、なかなかまとまりません。
それで、先ずは思い出深い三つの青磁茶碗について記すことにします。

一碗目は、「馬蝗絆」(ばこうはん、重要文化財、東京国立博物館蔵、写真下)です。
二十年以上前の最初の出会いの時
「こんなに吸い込まれるように美しい青磁の茶碗があるなんて・・」
次のような解説を読んで
「蝗に見立てた鉄の鎹(かすがい)とエピソードが茶碗の魅力を倍増させている」
と、ますます魅入られたことを今でも鮮明に覚えています。

    日本に伝わる青磁茶碗を代表する優品である。
    江戸時代の儒学者,伊藤東涯が記した『馬蝗絆茶甌記』によると、    
    かつて室町時代の将軍足利義政がこの茶碗を所持していたおり,
    ひび割れが生じたため,代わるものを中国に求めたところ,
    明時代の中国にはもはやそのようなものはなく,
    鉄の鎹でひび割れを止めて送り返してきたという。
    この鎹を大きな蝗に見立てて,馬蝗絆と名づけられた。

「馬蝗絆」は、中国で青磁が最高潮を迎えた南宋時代(1127-1279年)に
竜泉窯(りゅうせんよう)で作られました。

                

二番目の青磁茶碗は、大阪・藤田美術館で拝見した「満月」です。
2008年12月、降りしきる雨の中出かけた藤田美術館の薄暗い展示室で
「満月」が輝いていました。
(この時はほぼ貸切状態で窯変天目も満月も独り占めでした)
窯は竜泉窯、青磁焼成の技術が完成した北宋時代(960-1127年)の末近くに
造られたと考えられています。

神秘な美しさを湛える「馬蝗絆」とは違った美を持つ茶碗でした。
小さな高台を持つ端正な形、
青磁釉の濃淡を際立たせる花弁のようなヘラ目(鎬ぎ手、しのぎて)、
金の覆輪が青磁天目をさらに高貴に魅せています。
あとで花弁は蓮弁と知りましたが、青磁と連弁の組み合わせも気に入ってます。

三番目は、2009年2月末、K先生の大炉の茶事へ伺った時のことです。
青磁の茶碗で濃茶が出され、点前の時から気になる存在でした。
「どうぞ三名さまで」
次客でしたので、幸運にもその青磁茶碗で濃茶を頂きました。
濃すぎず、薄すぎず、品のある青磁の色とともに、
優雅な州浜の形が印象に残っています。
「また、この茶碗と出会えますように・・・」
と密かに願いましたが、未だ再会しておりません。

K先生が青磁の窯についてお話してくださったのですが、記憶が曖昧で、
たしか七官青磁だったような・・・?
七官青磁とは、
中国明代(1380-1660年)から清代(1644-1912年)初めにかけて
龍泉窯で焼かれたもので、龍泉窯としては後期の作です。
七官の名前の由来は不明ですが、
貫入(かんにゅう)と呼ばれる細かいひびがあり、光沢が強いのが特徴です。

今になって、青磁の歴史や茶道との関わりを勉強していたら、
K先生のお話がもっと頭や心に残っていたのに・・・と思います。

茶事は一期一会と言いますが、
道具とのお出会いも一期一会です・・・ね。