暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

青磁の茶碗

2011年07月03日 | 茶道具

戸栗美術館の「青磁の潤い 白磁の輝き」展を見て、
青磁のルーツを調べてみたくなりました。

青磁とは、微量の鉄分を含む釉薬が還元焔焼成により
青緑色に発色したやきものです。
生まれは中国、後漢末(200年頃)に越州で焼かれ始め、
宋代(960-1279年)に最盛期を迎えます。
その技法が近隣の国へ伝わり、
高麗青磁、安南青磁、宋胡録(すんころく)青磁、そして
17世紀はじめ日本の青磁が有田で焼かれました。

お茶(茶人)と青磁の関係などますます興味は広がりますが、
思いの外奥が深く、なかなかまとまりません。
それで、先ずは思い出深い三つの青磁茶碗について記すことにします。

一碗目は、「馬蝗絆」(ばこうはん、重要文化財、東京国立博物館蔵、写真下)です。
二十年以上前の最初の出会いの時
「こんなに吸い込まれるように美しい青磁の茶碗があるなんて・・」
次のような解説を読んで
「蝗に見立てた鉄の鎹(かすがい)とエピソードが茶碗の魅力を倍増させている」
と、ますます魅入られたことを今でも鮮明に覚えています。

    日本に伝わる青磁茶碗を代表する優品である。
    江戸時代の儒学者,伊藤東涯が記した『馬蝗絆茶甌記』によると、    
    かつて室町時代の将軍足利義政がこの茶碗を所持していたおり,
    ひび割れが生じたため,代わるものを中国に求めたところ,
    明時代の中国にはもはやそのようなものはなく,
    鉄の鎹でひび割れを止めて送り返してきたという。
    この鎹を大きな蝗に見立てて,馬蝗絆と名づけられた。

「馬蝗絆」は、中国で青磁が最高潮を迎えた南宋時代(1127-1279年)に
竜泉窯(りゅうせんよう)で作られました。

                

二番目の青磁茶碗は、大阪・藤田美術館で拝見した「満月」です。
2008年12月、降りしきる雨の中出かけた藤田美術館の薄暗い展示室で
「満月」が輝いていました。
(この時はほぼ貸切状態で窯変天目も満月も独り占めでした)
窯は竜泉窯、青磁焼成の技術が完成した北宋時代(960-1127年)の末近くに
造られたと考えられています。

神秘な美しさを湛える「馬蝗絆」とは違った美を持つ茶碗でした。
小さな高台を持つ端正な形、
青磁釉の濃淡を際立たせる花弁のようなヘラ目(鎬ぎ手、しのぎて)、
金の覆輪が青磁天目をさらに高貴に魅せています。
あとで花弁は蓮弁と知りましたが、青磁と連弁の組み合わせも気に入ってます。

三番目は、2009年2月末、K先生の大炉の茶事へ伺った時のことです。
青磁の茶碗で濃茶が出され、点前の時から気になる存在でした。
「どうぞ三名さまで」
次客でしたので、幸運にもその青磁茶碗で濃茶を頂きました。
濃すぎず、薄すぎず、品のある青磁の色とともに、
優雅な州浜の形が印象に残っています。
「また、この茶碗と出会えますように・・・」
と密かに願いましたが、未だ再会しておりません。

K先生が青磁の窯についてお話してくださったのですが、記憶が曖昧で、
たしか七官青磁だったような・・・?
七官青磁とは、
中国明代(1380-1660年)から清代(1644-1912年)初めにかけて
龍泉窯で焼かれたもので、龍泉窯としては後期の作です。
七官の名前の由来は不明ですが、
貫入(かんにゅう)と呼ばれる細かいひびがあり、光沢が強いのが特徴です。

今になって、青磁の歴史や茶道との関わりを勉強していたら、
K先生のお話がもっと頭や心に残っていたのに・・・と思います。

茶事は一期一会と言いますが、
道具とのお出会いも一期一会です・・・ね。

                        


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