暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

伯庵茶碗 

2010年02月12日 | 美術館・博物館
東都茶会記の筆者、高橋箒庵は東京向島の水戸徳川家邸内に
嬉森庵(きしんあん)という茶席をつくりました。

大正5年(1916)12月9日、嬉森庵の席開きの茶会へ招かれた
益田鈍翁が茶会記(「茶会漫録」)を記しています。
その茶会で箒庵が井上世外へ贈ったはずの伯庵茶碗がだされ、
「あれは伯庵ならん・・・」
と驚いたり、旧持ち主へ送り返されたことを喜んでいます。

近代数寄者たちに愛された伯庵に興味を覚えました。

伯庵の名称は、江戸幕府の医師・曽谷伯庵(1569~1630)が
本歌を所持していたことに因み、同類の茶碗を伯庵と呼んでいます。
もとは北朝鮮の会寧あたりで焼かれていた雑器でした。
17世紀頃にそれを真似て愛知県瀬戸で作られたそうですが、
異説もあります。

会寧付近の土は亀裂が生じやすく、
水漏れを防ぐために鉄を亀裂に塗りこみました。
焼成すると鉄の景色が生じ、それが伯庵の約束になっています。

瀬戸の土は亀裂ができないので、横筋を入れて鉄を塗りこみました。
藁灰の混入により生じる海鼠(なまこ)釉が茶人たちに喜ばれたようです。

1月の或る日、伯庵茶碗に逢いに五島美術館へ出かけました。
二つの伯庵、銘「冬木」と「朽木」が展示されていたのです。

「これが冬木なのね・・・」
藤田美術館で「土岐伯庵」を見て以来の伯庵でしょうか。

「冬木」は、口径約15センチ、大振りの茶碗です。
ろくろ目もあり井戸茶碗に似ています。
琵琶色の色合が温かさと落ち着きを醸し出し、
少し湾曲した椀形がおおらかで懐の深さを感じさせます。
胴部と見込みに海鼠釉があり、その景色が茶碗の個性になっています。
胴下部にある海鼠釉から柴垣に雪積もる景色を連想しました。

「朽木」も同じような色、形でしたが、海鼠釉の景色が違います。

十個ほど現存するそうですが、所在がわかる伯庵は

① 本歌伯庵  中興名物   関戸家所持
② 土岐伯庵  中興名物   藤田美術館(大阪)  
③ 銘「冬木」  中興名物   五島美術館(東京)  
④ 銘「朽木」  中興名物   五島美術館(東京)  
⑤ 銘「酒井」           根津美術館蔵(東京)
⑥ 銘「香久山」         三井文庫(東京)
⑦ 岡谷家寄贈伯庵      徳川美術館(名古屋)
⑧ 伯庵      中興名物  瀬戸市歴史民俗資料館
⑨ 奥田伯庵   中興名物  サンリツ服部美術館
⑩ 天王寺伯庵          ? (調査中)

高橋箒庵が所持していたのは宗節伯庵(名物)ですが、
その後の行方を捜査中です。
                         

   写真は「伯庵茶碗」、瀬戸市歴史民俗資料館の提供です。


新春を祝う正午の茶事  責紐釜

2010年02月09日 | 思い出の茶事
1月最後の日曜日に水清き庵のご亭主より
新春を祝う茶事へお招きいただきました。

珍しい三つ輪の結び柳が飾られている待合床に
布袋の墨絵が掛けられていました。
ユーモラスなタッチですが、あとで会記をみると
「見上げ布袋 松花堂」とあり、びっくりです。

千成瓢箪の唐胴火鉢が用意されていました。
衛士の炊くかがり火台のような細工物があり、
遠火で薫香を漂わせています。伽羅かしら?

席入すると床に「富貴無双」。
小堀宗慶筆で、宗家初釜の福引で引き当てた
思い出のお品だそうです。
真台子に唐胴皆具が飾られ、釜を拝見して胸が高鳴りました。

責紐釜でした!
端正な形、柚子肌、小さな鐶付、バランスの好い釜に
紅白の水引が正月の華やぎを添えていました。
名越浄越造で、江戸中頃の作だそうです。

「いつどのようにあの紐が切られるのかしら?」
と、心待ちにしていました。
聞けば
「昨夜に○○宮家より使者が来られて
 暁庵姫が初釜へお越しになるので粗相のないように・・・云々」
との心憎い口上です。

恐縮しながらも嬉しく拝聴しました。
姫という歳ではありませんが、苗字が○○宮家なのでお許しを・・・。

流暢な真の炭手前の後、さりげなく小刀で紐(水引)が切られました。
たしか、炭台が引かれて香合の拝見中だった(?)ように思いますが、
他のことに気を取られて前後がはっきりしません(駄目ですね・・)。

責紐釜が忘れられず、家に帰ってからもあれこれと
茶事シュミレーションを楽しんでいます。

懐石の終りには松風が聴こえてきました。
濃茶を熊川(こもがい)で、たっぷり美味しく頂戴しました。
ハゼの風情と目跡が印象的な、優しく温かな茶碗でした。

正午に白湯で始まった茶会は早や四時を過ぎると陽も翳り、
短罫や座敷行灯が用意されました。
拝見した濃茶器は尻ふくらのような唐物茄子。
元節の茶杓は細身のすっきりとした形で、時代を経たあめ色でした。
紹鴎の茶杓師、羽淵宗印の作だそうです。

帰りの待合では布袋の掛物が鳳尾扇に代わり
「不老門前日月遅」とありました。

門先で見送ってくださった灯りの揺らぎが忘れがたく
「不老門前日月遅」の茶事へまたいつかお伺いしたいものです。


      姫という歳にあらねど責紐の
          春を寿ぐ色に染まりて

                              

歌舞伎  京鹿子娘道成寺

2010年02月05日 | 歌舞伎・能など
歌舞伎座さよなら公演という副題につられて
11月の「仮名手本忠臣蔵」に次いで
1月「壽 初春大歌舞伎」夜の部へ出かけました。

我家のパターンは、11月顔見世から見始め、正月公演まで見ると
軍資金が尽きて疎遠となり、11月頃にまた目覚めて・・・
なので、今回が現歌舞伎座の見納めかもしれません。
そう思うと、見るもの触れるもの全て名残り惜しく感じられます。

一番期待の演目は、「京鹿子娘道成寺」で
中村勘三郎が白拍子花子を踊りました。
金の烏帽子をつけて奉納の舞を格調高く舞い、
手ぬぐい、振り出し笠、鼓、鈴太鼓などの小道具を
変えて娘の恋心を踊ります。

「恋の分里 武士も道具を 伏せ編み笠で
 張りと意気地の吉原  チントテチン チントテチン」

歌詞も意味もわからず口伝えに覚えた踊りの曲が次々に唄われ、
亡き母に日舞を習った幼き日を思い出しながら、
気持ちだけ勘三郎と一緒に踊っていました。

勘三郎の娘ぶりはかわいらしく、所作に上品な色気があり、
役者の命を吹き込んだ踊りに惹きこまれていきました。

小道具とともに衣装が替わり、娘道成寺の見所の一つです。
特に「引き抜き」という早替わりはいつもワクワクします。

後見役が踊りの振りに合わせ、左へ体をねじって左袖、
右へねじって右袖、裾という具合に踊りながらしつけ糸を抜いていきます。
それから上半身、下半身の着物を同時にひっぱって一気に脱がします。

踊り手と後見役の息がぴったり合わないとうまくいかないそうですが、
さすが、一瞬にして「引き抜き」成功。
鮮やかな衣装に早変わり、大拍手です!         

実は、白拍子花子は清姫の怨霊で、次第に本性を現し、
鐘の中へ入り蛇体に化身します。
市川団十郎扮する大館左馬五郎が大きな青竹を持って登場し、
青竹で怨霊を押し戻したところで、幕になります。

青竹は「破邪」といって悪霊を退散させる力があると
信じられていたのです。
歌舞伎から当時の民間信仰を知るのも興味深いことです。

                             

       

茶事入門教室Part2 のご案内

2010年02月03日 | 茶事教室
茶事を楽しみながら基本を学ぶ
「茶事入門教室 Part2」を開催いたします。

茶事とは、亭主が客を招き、季節感を大切にし自然体で、
心をこめてお茶を差し上げるという一連のおもてなしです。
日々の茶の稽古と同様に茶事も経験と修練を積むことが必要ですが、
茶事を学び合う教室が少ないのを残念に思っていました。

「茶事同好の方が一人でも多くなって欲しい。
 茶事を心から楽しんでほしい!」
そんな思いで昨年より茶事入門教室を開催しています。

私自身も初心に戻り恩師、先輩にお教え頂きましたことを
皆様にお伝えできればとても嬉しいです。

前回同様に全2回で1コースとなります。
裏千家の茶事を基本にいたしますが、流派や茶歴にこだわらず
お気軽にご参加ください。
  
    日時  第1回 3月13日(土)  雛の茶事 (正午の茶事)
         第2回 5月29日(土)  初風炉の茶事 (正午の茶事)
    席入り 11時30分(集合11時)
    場所  翆晶庵  (横浜市南区新川町5-29)
         横浜市営地下鉄ブルーライン 吉野町駅下車 徒歩4分
    会費  お一人様 32,000円 (2回分一括)
    定員  10名 (6名様以上で開催いたします)

    その他  亭主、半東をご希望の方は申し込み時にお申し出ください。
          お時間があれば茶事準備からご一緒にいかがですか?
          亭主・半東は18,000円(1回分)になります。  
      
                                 
          
<お申し込み>  
翆晶庵へ電話またはFAXにてお申込みください。
 TEL 045(262)3489  FAX 045(261)8546

[内容]
第1回は、雛の茶事をお楽しみ頂きながら
  1.待合(寄り付き)にて 2.腰掛け待合にて 3.蹲の使い方 
  4.席入り 5.懐石の頂き方 6.中立ち 
 1~6までを分かりやすくご指導いたします。

第2回は、第1回1~6の成果を確認しながら
  7.懐石(千鳥の杯) 8.後座の席入り 9.濃茶 
  10.後炭 11.薄茶 12.退席 まで
 後座を中心に茶事の流れに添ってご指導いたします。

季節を感じる道具組や美味しい懐石料理もお楽しみください。
ご参加を心よりお待ちしております。
                      

      写真は昨年三月の雛の茶事より


東海道を歩く(2) 茶室 城山庵

2010年02月02日 | ハイキング・ぶらり散歩
    (つづき)
県立大磯城山公園(旧三井別邸)の「城山庵(じょうざんあん)」は、
かつてこの地にあった国宝「如庵」を模して
平成2年に建てられた茶室です。
見学をお願いすると
「どうぞ上ってご覧ください」
気さくに見せてくださいました。

城山庵は二畳半台目、炉は向切りです。
「筋違いの囲い」の席と言われる如庵同様に、
床脇にうろこ板を入れて斜めの壁面を作り、
茶道口一つで給仕口を兼ねれるように工夫されています。

中柱と火灯口を刳り貫いた板戸で仕切られた点前座は明るく、
二畳半台目という狭さを感じさせない空間です。
勝手付にある二つの窓は竹を外から詰打ちした有楽窓でした。

三畳の水屋には丸炉が切られ、二畳の「鞘の間」もありました。
控えの間は、七畳床付きの「上の間」と次の間の六畳から成り、
渡り廊下で「城山庵」の「鞘の間」とつながっています。

           

床には白梅と有楽椿が竹花入に生けられていました。
三人で茶室に実際に座り込んでみますと、
客は二人または三人が良さそうです。
でも点前座向うの、半畳の使い勝手が今ひとつピンと来ません。

空間のゆとりと明るさを生み出すための半畳なのでしょうか?
それとも、誰かをそこに座らせたいのでしょうか?
書院と繋がっている「鞘の間」の役割にも改めて興味を持ちました。
どうして「鞘の間」を作る必要があったのでしょうか? 
次々と興味や疑問が湧きあがります。

池のある回遊式庭園も素晴らしく、こんな身近に「如庵」(写し)が
あったことにとても感激しました。
ただ一つ残念な事は暦張りではなかったことでしょうか。

1時間当りの賃料が城山庵1400円、控えの間930円というのも
驚きです。

          

如庵の跡地へ行くと、冬枯れの柴地に大きな庭石が残っていて、
如庵の変遷の歴史を伝える案内板がありました。
昭和12年から45年まで此処に「如庵」があり、
寄付(松声寮)、書院(旧正伝院書院)、露地とともに
茶苑が構成されていたそうです。

冬枯れや兵ものどもが夢の跡・・・の風情を眺めると、
「如庵」が犬山市有楽苑へ移築したことが悲しく、無念でした。

      (前へ)            

     写真は、上から「城山庵」「点前座」「如庵の跡」