以前ブログ「伯庵茶碗」に記した「宗節」の行方がわかりました。
高橋箒庵が所持し、一時、井上世外の手に渡り、
世外亡き後、再び箒庵の手に戻り、大正5年の嬉森庵茶室披きで
使われた、あの伯庵茶碗です。
大正9年ごろ、住友春翆の懇望により高橋箒庵より住友家へ譲渡されていて、
折しも6月20日(日)まで開催中の
2010年泉屋博古館分館展覧会
「泉屋博古館創立五十周年記念 住友コレクションの茶道具」
に展示されていたのです。
閉会間近いので、昨日あわてて重い腰をあげ、
泉屋博古館分館にて「宗節」と対面してきました。
五島美術館で拝見した「冬木」と「朽木」は大振りで湾曲した井戸形でしたが
「宗節」は多少小振りで、反りが小さく井戸より椀形に近い形です。
全面に掛けられた枇杷釉が伯庵独特の、落ち着きと優美さを
醸し出しています(高台部分は土見せ)。
胴の周囲1/2弱に横筋を入れて鉄釉を塗りこんだ様子が見て取れました。
そこから鉄釉と灰釉が混ざって生じた海鼠(なまこ)釉の景色は個性的で、
なだれが大きく、微妙な混ざり具合が美しい茶碗です。
茶碗内側にある赤味を帯びたしみ?も魅力的でした。
嬉森庵茶室披きの茶会で、益田鈍翁が一目見て
「あれは伯庵ならん・・・」
と、井上世外へ手渡した「宗節」であることが
わかったのも頷けました。
展示されていた住友春翆(1864-1926)ゆかりの茶道具の中には
高橋箒庵が東都茶会記に記した、
住友春翆の「茶臼山好日庵」茶会(大正8年(1919))で
使用された茶道具も多くあり、
もっと早くに訪れるべきだった・・と後悔しています。
素晴らしい茶道具とのお出合いが沢山あったので、
又ゆっくり書きたいです・・・。
帰りに学芸員の方に
「伯庵茶碗 宗節」の高橋箒庵以前の伝来をお聞きしました。
17世紀江戸時代の作で、
伝来がわかっているのは次の通りだそうです。
伝来
かいふ屋宗節-土屋相模守(又は大文字屋宗積)-溝口家-高橋箒庵-住友家
これで、「宗節」の行方がわかり、一件落着です。
あと一つ所在不明は「天王寺伯庵」でしょうか。
ご存知の方、是非ご一報ください。
写真は、「泉屋博古館分館近くの紫陽花」
「泉屋博古館分館の入り口」
高橋箒庵が所持し、一時、井上世外の手に渡り、
世外亡き後、再び箒庵の手に戻り、大正5年の嬉森庵茶室披きで
使われた、あの伯庵茶碗です。
大正9年ごろ、住友春翆の懇望により高橋箒庵より住友家へ譲渡されていて、
折しも6月20日(日)まで開催中の
2010年泉屋博古館分館展覧会
「泉屋博古館創立五十周年記念 住友コレクションの茶道具」
に展示されていたのです。
閉会間近いので、昨日あわてて重い腰をあげ、
泉屋博古館分館にて「宗節」と対面してきました。
五島美術館で拝見した「冬木」と「朽木」は大振りで湾曲した井戸形でしたが
「宗節」は多少小振りで、反りが小さく井戸より椀形に近い形です。
全面に掛けられた枇杷釉が伯庵独特の、落ち着きと優美さを
醸し出しています(高台部分は土見せ)。
胴の周囲1/2弱に横筋を入れて鉄釉を塗りこんだ様子が見て取れました。
そこから鉄釉と灰釉が混ざって生じた海鼠(なまこ)釉の景色は個性的で、
なだれが大きく、微妙な混ざり具合が美しい茶碗です。
茶碗内側にある赤味を帯びたしみ?も魅力的でした。
嬉森庵茶室披きの茶会で、益田鈍翁が一目見て
「あれは伯庵ならん・・・」
と、井上世外へ手渡した「宗節」であることが
わかったのも頷けました。
展示されていた住友春翆(1864-1926)ゆかりの茶道具の中には
高橋箒庵が東都茶会記に記した、
住友春翆の「茶臼山好日庵」茶会(大正8年(1919))で
使用された茶道具も多くあり、
もっと早くに訪れるべきだった・・と後悔しています。
素晴らしい茶道具とのお出合いが沢山あったので、
又ゆっくり書きたいです・・・。
帰りに学芸員の方に
「伯庵茶碗 宗節」の高橋箒庵以前の伝来をお聞きしました。
17世紀江戸時代の作で、
伝来がわかっているのは次の通りだそうです。
伝来
かいふ屋宗節-土屋相模守(又は大文字屋宗積)-溝口家-高橋箒庵-住友家
これで、「宗節」の行方がわかり、一件落着です。
あと一つ所在不明は「天王寺伯庵」でしょうか。
ご存知の方、是非ご一報ください。
写真は、「泉屋博古館分館近くの紫陽花」
「泉屋博古館分館の入り口」