暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

黒船ボーハタン号の船上料理

2009年06月25日 | 茶事
「横浜開港150周年を祝う茶事」の懐石は、
黒船ボーハタン号の船上料理に因み、
翆晶庵・横山和子さんが腕をふるっています。

1854年(嘉永7年)2月13日にアメリカのペリー提督
率いる艦隊が二度目の来航をし、横浜・金沢沖に停泊しました。

3月27日、ペリー提督は林大学頭をはじめとする幕府のお役人
約70名をボーハタン号に招いておもてなしをしています。
お役人たちは孫の手をフォークに、十手をナイフに見立て、
洋食マナーを勉強して臨んだそうです。         

W.ハイネによる「合衆国蒸気艦ポーハタン号での正餐」
(横浜黒船館蔵)の絵に宴会の様子を垣間見ることができます。

さて、どんな料理がだされたのでしょうか? 

         

テーブルの中央に肉類、魚類、パン、パイ、そしてスープ。
水兵の運んでいる料理は肉、魚、鶏、七面鳥、野菜など、
そして最後にハム、デザート。
ワイン、シャンペン、パンチなどの洋酒も。

食材は、貯蔵されていたハム、肉類、塩漬けされた魚、
缶詰めの野菜、果物です。
生の肉は船内で飼育されていた牛、豚、山羊、鶏、
七面鳥でまかなわれました。
果物は寄港していた琉球や上海で船積みしたものです。

ペリー提督は開港の条約をスムーズに締結するために、
幕府役人のおもてなしに力を入れました。
フランスで修行したシェフを同行し、日本人が好むという
鯛料理を用意させています。
幕府のお役人たちには牛肉や牛タンが大変好評だったようです。

懐石の向付は「牛タンのゼリー寄せ」(写真)です。

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横浜開港150周年を祝う茶事

2009年06月24日 | 茶事
今年横浜は開港150周年を迎えました。

横浜市民として、この記念すべき年をささやかながら
「横浜開港150周年を祝う茶事」でお祝いしたい・・・
と思いました。

早速、生粋のハマッコである、茶席・翆晶庵(横浜市南区)の
横山和子さんに相談すると、
「おもしろそう~!」 
すぐに共催が決まりました。
「横浜開港150周年を祝う茶事(立礼)」を6月と9月に
翆晶庵にて開催中です。

3月頃から二人で、開港、横浜、茶に関する情報を集め、
ゆかりの地を訪ね、何時間も打ち合わせに熱中しました・・。
そんなある日、横山さんから次のようなメールが届きました。

「山手十番館にオーナーが蒐集した版画が
たくさん掛かっているのですが、その中の1点に、
ペリーさんがやって来た船の船員が並んでいる右下に
お鍋と野菜が小さく描かれている絵があるそうです。

歴史研究家の目がそこに留り、
「あの冷蔵庫のない時代にどうやって航海中の船員の食事を
まかなっていたのだろう?」との疑問から、調べが始まり、
献立も解ったそうです・・・・」

横山さんは
「開港当時の「船上料理」を懐石に出来ないだろうか?」
といろいろ研究し、今回の茶事では「船上料理」を取り入れた
懐石をお出しすることになりました。

どんな懐石になるのか? 私も興味津々です・・・。

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   写真は「黒船」の色紙 布絵作家 森下隆子作です

四国遍路  札所で献茶

2009年06月23日 | 四国遍路
自分らしいお参りの仕方として献茶を・・と思い、
茶箱とポットを持参しました。

第一番札所霊山寺の本堂内陣で最初の献茶をしました。
内陣の左右に次のような言葉が書かれています。

本堂向かって右に 釈迦の言葉
「己こそ己の依るべ 己を捨てて何処に依るべぞ
 よく整えられし己にこそ 誠 得難き依るべをぞ 得ん」

本堂向かって左に 空海の言葉
「仏法遥かに非ず 心中にして近し
 真如他に非ず 身を捨て何処に求めん」

私を含めお遍路さんは何かを求めて
遍路していると思うのですが、
遍路(求道者)の真髄を表しているように思えます。

第一番札所なので大師堂でも外縁に正座し献茶をしました。
内陣とは違い、たくさんのお遍路さんがお参りに
行き交う中なので、ちょっと勇気が要りました。

しかし、人々が唱和する般若心経を聞きながらのお点前は
気持ちが入り、人の出入りがだんだん気にならなくなります。

茶箱の点前は雪点前。
心をこめて点てた抹茶を仏様に飲んで頂く間に
般若心経を唱えます。
それから自服して、お仕舞にします。

本当は自服ではなく参拝者に飲んで欲しいのですが、
タイミングがとても難しい。
無理にお願いするのではなく、喫茶のご縁は自然にある・・
と思うことにしました。

始めての献茶を無事終えて清々しい気持ちで、
今夜の宿である第二番札所・極楽寺へ向かいました。
                         

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四国遍路  遍路装束

2009年06月22日 | 四国遍路
平成二十一年四月十九日(日)の午後13時過ぎに坂東駅に着きました。

駅の待合室に座っていたおばさんたちが、私の大きなリュックを見て
「これから歩きなさるのかね? 頑張ってください。霊山寺へは・・・」
と道案内をしてくれました。 最初のお接待です。

第1番札所霊山寺の売店で遍路支度を整えます。
金剛杖、白衣、笈つる、「仏前勤行次第」を購入しました。

南無大師偏照金剛と書かれた金剛杖と白衣は、万が一、遍路途中で
亡くなった時の墓標と死に装束と聞いています。
ちょっと身が引き締まる思いがします。

笈つるはこれから廻る八十八か寺で印判を頂いて、
亡き人への経帷子にするつもりです。

笠と輪袈裟は前回使用したもので、笠は変色してほころびもあり
何度も廻ったような貫禄です。
数珠は母のものを持参しました。

白衣、輪袈裟、数珠を身に着けてから本堂へ行き、お参りをしました。
装束を整えたことで、やっと気持ちもお遍路さんバージョンになることができました。
                       

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四国遍路  「なぜ遍路へ?」

2009年06月18日 | 四国遍路


「なぜ遍路へ?」
よく聞かれました。

たくさんの答えが用意できそうな反面、
答えとなるものが何もないような
・・・あえて言えば、心と体のダイエットでしょうか。

体重は元より自尊心、慢心、競争心、虚栄心、
しがらみ、恨み、妬み・・・
たくさんのものが身に付いてしまった心と体から
余分なものを取り除き、自分を見つめなおしたいと思ったのです。

それには、野、山、海の遍路みちを汗水流して歩き、
自然の気のシャワーを浴びるのが一番です。
加えて、お大師さまやまだ見ぬ人との出会いが待っています。

出立の決心をしてから少しずつ心の準備をしていきました。
体の準備も必要なのですが、四月半ばまで茶会の予定があり、
トレーニングする余裕はとてもありません。

二巡目なので、「初回とは違うお遍路さんにしたい」
という気持ちもあります。
それで次のことを心がけることにしました。

 ○ 時期を四月中旬から最長1ヶ月とする
 ○ 特に最初、心と足を整える期間をゆっくりとる
 ○ 歩くことを前提とするが、無理なときは他の交通手段をとる
 ○ なるべく前回と違う日程と宿にする
 ○ 自分らしいお参りをする
                      

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