暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

口切の準備中です

2011年10月30日 | 稽古忘備録
    口切や 南天の実の 赤き頃    漱石

茶人の正月と言われる口切の季節が近づいてきました。

口切とは、茶壺の口を切ることです。
初夏、八十八夜以降二十一日の間に摘まれた新茶は、
茶師によって葉茶のまま茶壺に詰められます。

口と蓋を封緘紙を巻いて封印され、京都の山中で保管されます。
涼しくなって茶家へ届けられ、十一月の開炉後に茶壺の口を切って、
茶臼で葉茶を挽き、その抹茶を点てて客へ供します。
これを口切の茶事といいます。

                                   

先生から口切の亭主役を仰せつかり(順番で)、ただ今あれこれ準備中です。
今まで7回ほど口切を拝見していました。
しかも正客として茶事に2回も招かれています(汗)。
しっかし、見るとやるとは大違い!でした。

先ず、我が家の茶壺ですが、まだ口切に使ったことがなく、
もっぱら壷飾りの紐の稽古のみです。
それで、口切のお役をつとめるにあたり、茶壺を取り出してみると、
「あらっ?」
桐の盛蓋に和紙(封緘紙)が貼られていませんで、
それを貼ることから始めました。

貼り終わる頃には
「茶師のように一度自分で茶を詰めてみよう」
と探究心がムラムラと湧いてきました。

                      

1時間ほど歩いて、散歩の途中で見つけたお茶屋さんへ。
「口切に使う茶壺に詰める葉茶(本来は薄茶に使用)なので、
 お安いのはありますか?」
「安いお茶は売れないので置いていないのです。
 うちで一番安いのは100g300円ですが、美味しいお茶ですよ」
「それでは、そのお茶をいただきます」

このような会話がスムースにいったわけではありません。
お茶屋のおかみさんが口切とか、茶壺のことを全く知らなかったのです。
それで上記のようなことをお話ししました。

でも、考えれば無理はありません。
ここ5年ほどは毎年口切を拝見する機会に恵まれていますが、
茶家でも茶壺に茶を詰めて行う口切は廃れつつあるのでは?
・・・と心配になりました。

茶壺にしても口切のセレモニーや壷荘でだけ、その存在があるとしたら、
良い茶壷を持つ必要があるのだろうか・・・と考え込んでしまいました。
(良い茶壺を持たないと口切の茶事ができない・・・と思い込んでいたので)
とりあえず、持っている茶壺を有効に使いたいですね。

今日、茶友から昨年使った半袋(はんたい)3個が譲られることになり、
もう一つ半袋を作り足して、茶壺に詰めてみようと思います。

それからやっと茶壺の口切の稽古に入ります・・・(間に合うかしら?)。

                   
                       (散歩道で出会うカバ・・・好い表情・・)
     
              (つづく)            

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。