暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

奈良西大寺の大茶盛-1

2012年10月16日 | 献茶式&茶会  京都編
奈良西大寺の大茶盛(おおちゃもり)へ行ってきました。

9月初めのことです。
「奈良の西大寺の大茶盛にご一緒しませんか?」
京都で最初のお友達・TYさんから誘われました。
TYさんのご親戚が副席の薄茶席に関わっているらしく、
テレビでしか見たことのない大茶盛をこの機会に味わってみたく、
「ぜひご一緒させてください」

10月14日(日)、「奈良・斑鳩1dayチケット」を購入し、
京都市営地下鉄「丸太町」から一本で近鉄「大和西大寺」へ。
大和西大寺駅で下りると、目指す西大寺は徒歩2分ほどの近さでした。
京都の寺はその広さに驚くことが多いのですが、西大寺も大きな寺でした。

              

奈良時代の天平宝字8年(764)、
称徳天皇が国家鎮護と平和祈願を願って創建され、
当初の寺域は、東西11町、南北7町、面積31町(約48ヘクタール:
東京ドーム約10個分)という広大なもので、数百の堂宇が甍を並べ、
東の東大寺に対する西の西大寺として大いに栄えていたそうです。

その後、平安時代にたびたびの災害に遭い、衰退していたところ、
鎌倉時代半ばに興正菩薩・叡尊(1201~1290)が復興にあたり、
真言律宗の根本道場として伽藍を整え、現在に至っています。

名残の白萩と句碑を眺めながら参道を行くと、
素敵な着物姿の方々に逢いましたのでパチリ。

              

              
                 みなさま、素敵に着物を着こなして・・・

大茶盛の会場(方丈)へ席入すると、一席目でしたが善男善女が溢れ、
若い女性たちや着物姿の女児も座っています。
テレビ報道陣が詰めかけていて、撮影禁止・・・それで写真がありませんの。

上段に八幡宮、叡尊上人の掛物、雪をかぶった松が飾られていて
クリスマスツリーのようでした。
大茶盛が始められた当時(正月)の光景を再現しているそうで、
仮山に松を立て、枝に綿(雪)をかぶせ、白布で川の流れを表わしています。

最初に般若心経を唱える勤行があり、大茶盛の由来が話されました。

延応元年(1239)正月、興正菩薩・叡尊が修正会の結願のお礼参りに、
西大寺鎮守「八幡宮」に茶を献じ、その余りの服茶を参詣者へ
健康を祈願してふるまったことに始まり、七百余年続いています。
当時、お茶は貴重品で、薬として重用されていましたが、
広く一般庶民に普及するのに、大茶盛が大きく貢献したと言われています。

茶会ではなく茶盛というのは、
戒律により飲酒が禁じられたため、お茶で宴会をしていたそうです。
それで、酒盛(さかもり)に代わり、茶盛(ちゃもり)となりました。

              
                (奈良市観光協会)

大きな台子に風炉、釜、水指が設えてあります。
どれも特大で、どうやってお点前をするのかしら? と興味津々でした。
お坊さまは慣れていらっしゃるのか、両手で軽々と大きな道具を扱って、
大きな茶碗にたちまちお茶が点てられました。
棗と茶筅を置く位置は予想と少し違いましたが、茶を点てる流れはサラサラと
淀みないものでした。

豪快さと端正さを共に感じる水指は伊賀焼、
台子と結界は、唐招提寺の古材で造られたものとか、
大茶盛の歴史にふさわしい、風格と存在感がありました。

お菓子「西大寺餅」を頂くと、水屋から大きな茶碗が次々と運ばれてきます。
五人で一碗を共に服します。
茶碗は、高さ21センチ、口径36センチ、周囲107センチ、重さ6~7キロです。
お隣の人と助け合って、支えてもらいながらお茶を飲んでいます。
「大丈夫? 持てる? 無理しないで・・・」
しーんと静まり返った茶会ではなく、笑い声が満ちる楽しい茶盛です。

              
                (奈良市観光協会)

奈良絵が描かれた赤膚焼の大茶碗が運ばれて来ました。
私は五人目でした。
「なるべくたくさん飲んでね」
四人目のTYさんもがんばったのですが、たくさん残っていました。
もし、飲みきれなかったら、もう一度最初の方へお回ししても良いそうです。
・・・が、全部頂戴しました。
とても美味しい薄茶で、茶銘は「大茶盛」です。

              
                大茶盛 ひとくちめして 皆なごむ

                                      
                奈良西大寺の大茶盛ー2へ