吉田山・茂庵の月釜
10月6日(土)、茶友Yさんが灑雪庵を訪ねてくれました。
今日庵で行われた秋期講習会修了後に寄ってくださったのです。
「どこへご案内しようかしら?」
先ず、我が家・灑雪庵でお茶を一服と思いました。
ちょうど前日が自主稽古で、竹台子が出ていたので
行之行・台子点前でお茶を差し上げました。
「講習会(行之行と四ヶ伝)で、見飽きているかもしれませんが、
行之行・台子点前にて一服差し上げます。
気が付いた点をご教授頂ければ幸いです」
すると
「ちょうど行之行の復習になって好かったです」
と言ってくださり、いろいろ疑問の箇所を教えて頂いたり、
意見交換したり、小さな研究会のようでした。
濃茶は「春日」(東京一保堂詰)、菓子は御倉屋製です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/8d/7c0b9ba0cf8c92000cc29c86ed04e104.jpg)
御倉屋の菓子
ランチは京大の楽友会館へ、午後は「茂庵」の月釜へお連れしました。
「茂庵」は、左京区吉田山の山頂にあるカフェですが、
茶室2棟があり、第一土曜日(変更あり)に月釜が掛けられます。
茂庵は、大正時代に数奇者・谷川茂次郎(1864―1940)によって造られました。
大阪で新聞用紙を扱う運輸業を興して成功した茂次郎は、
のちに裏千家に入門し、本格的に茶道に親しむようになりました。
裏千家を後援し、老分も務めています。
神楽岡(吉田山)の山頂に茶室八席、月見台、楼閣のある広大な茶苑を築き、
たびたび茶会を催し、茶を楽しんだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/6d/dfd88c1d423334f7b0a5eb4b9271bbcd.jpg)
茂庵の田舎席へ
茂次郎の没後、茶苑は数十年間、封鎖されていましたが、
当時の食堂棟と茶室2棟(清閑亭と田舎席)が現存しています。
食堂棟は、茂次郎の雅号から「茂庵」と名づけられ、カフェとして盛業中です。
十月の月釜は風炉の最後の月なので、
月見台のある田舎席で行われていました。
炉の時期は清閑亭になるそうです。
襖が取り払われ、月見台を渡ってくる風が気持ちの良い茶席でした。
この茶室(6畳)は床がなく、風炉先に板床が設えてあり、
「清風明月」の軸が懸けられていました。
月はどの辺から上ってくるのかしら?
東山を眺めると、月見台の向こうに如意ヶ岳の大文字が少し見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/8c/79e9cea693a8820bcee31fbb9f277d5e.jpg)
田舎席の月見台
流儀は藪内流です。
「好い機会なので、お流儀の茶の飲み方や拝見を教えてください」とYさん。
足の運びや袱紗捌きも違いますが、茶碗や拝見は縁外、帛紗にのせるなど
扱いがとても丁寧で優雅でした。
紫野源水製の「まさり草」(菊)というお菓子がとても美味しく、
ご亭主ご自作の茶碗で薄茶を頂戴しました。
月釜のあと、神楽岡にある黎明教会資料研修館の「琳派美術展」へ。
9月3日~10月21日まで開催中で、
光悦書の「色紙藤原家隆」や蒔絵「萩撫子文箱」、
宗達画の「蓮池白鷺図」、光琳の「光琳菊の扇面」や「蜻蛉重香合」、
乾山の銹絵陶器など、見ごたえがありました
小さいですが、優品の多い美術館で、しかも無料です。
静かな美術館を貸し切って、ゆっくりお話しながら鑑賞しました。
「8日の茶会のために柳桜園で美味しい抹茶を買って帰りたい」
というYさんをバス停留所で見送りました。
お忙しいのに寄ってくださってありがとう!
またどうぞいらしてください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fuku.gif)
10月6日(土)、茶友Yさんが灑雪庵を訪ねてくれました。
今日庵で行われた秋期講習会修了後に寄ってくださったのです。
「どこへご案内しようかしら?」
先ず、我が家・灑雪庵でお茶を一服と思いました。
ちょうど前日が自主稽古で、竹台子が出ていたので
行之行・台子点前でお茶を差し上げました。
「講習会(行之行と四ヶ伝)で、見飽きているかもしれませんが、
行之行・台子点前にて一服差し上げます。
気が付いた点をご教授頂ければ幸いです」
すると
「ちょうど行之行の復習になって好かったです」
と言ってくださり、いろいろ疑問の箇所を教えて頂いたり、
意見交換したり、小さな研究会のようでした。
濃茶は「春日」(東京一保堂詰)、菓子は御倉屋製です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/8d/7c0b9ba0cf8c92000cc29c86ed04e104.jpg)
御倉屋の菓子
ランチは京大の楽友会館へ、午後は「茂庵」の月釜へお連れしました。
「茂庵」は、左京区吉田山の山頂にあるカフェですが、
茶室2棟があり、第一土曜日(変更あり)に月釜が掛けられます。
茂庵は、大正時代に数奇者・谷川茂次郎(1864―1940)によって造られました。
大阪で新聞用紙を扱う運輸業を興して成功した茂次郎は、
のちに裏千家に入門し、本格的に茶道に親しむようになりました。
裏千家を後援し、老分も務めています。
神楽岡(吉田山)の山頂に茶室八席、月見台、楼閣のある広大な茶苑を築き、
たびたび茶会を催し、茶を楽しんだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/6d/dfd88c1d423334f7b0a5eb4b9271bbcd.jpg)
茂庵の田舎席へ
茂次郎の没後、茶苑は数十年間、封鎖されていましたが、
当時の食堂棟と茶室2棟(清閑亭と田舎席)が現存しています。
食堂棟は、茂次郎の雅号から「茂庵」と名づけられ、カフェとして盛業中です。
十月の月釜は風炉の最後の月なので、
月見台のある田舎席で行われていました。
炉の時期は清閑亭になるそうです。
襖が取り払われ、月見台を渡ってくる風が気持ちの良い茶席でした。
この茶室(6畳)は床がなく、風炉先に板床が設えてあり、
「清風明月」の軸が懸けられていました。
月はどの辺から上ってくるのかしら?
東山を眺めると、月見台の向こうに如意ヶ岳の大文字が少し見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/8c/79e9cea693a8820bcee31fbb9f277d5e.jpg)
田舎席の月見台
流儀は藪内流です。
「好い機会なので、お流儀の茶の飲み方や拝見を教えてください」とYさん。
足の運びや袱紗捌きも違いますが、茶碗や拝見は縁外、帛紗にのせるなど
扱いがとても丁寧で優雅でした。
紫野源水製の「まさり草」(菊)というお菓子がとても美味しく、
ご亭主ご自作の茶碗で薄茶を頂戴しました。
月釜のあと、神楽岡にある黎明教会資料研修館の「琳派美術展」へ。
9月3日~10月21日まで開催中で、
光悦書の「色紙藤原家隆」や蒔絵「萩撫子文箱」、
宗達画の「蓮池白鷺図」、光琳の「光琳菊の扇面」や「蜻蛉重香合」、
乾山の銹絵陶器など、見ごたえがありました
小さいですが、優品の多い美術館で、しかも無料です。
静かな美術館を貸し切って、ゆっくりお話しながら鑑賞しました。
「8日の茶会のために柳桜園で美味しい抹茶を買って帰りたい」
というYさんをバス停留所で見送りました。
お忙しいのに寄ってくださってありがとう!
またどうぞいらしてください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/sayonara.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fuku.gif)