マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

故郷再訪・・・『全校三位の駿足』 そして イエス・キリストこそが、完全なロゴス。・・・『聖ユスチノ殉教者』

2019-06-01 08:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

6月1日。土曜日。快晴。

 

   故郷再訪初日。

                             孫たちの 『運動会』 でした。
 
   『全校生徒のラジオ体操』
       
    ラジオ体操で、中学生が、入学2ヶ月目の小一年生をリードします。
        体の大きさの違いは、6年間の成長を物語ります。


    小学校時代の6年間と、私の年齢になっての6年間は、まるで違う。
   素晴らしい成長を積み上げる小学生。 積み上げたものを熟成させる成人。
           流れる時間の種類も、まるで違う。
       両者ともに、それぞれに美しく、いいものである。

 

   小4年の孫息子・・・    『小学生全体の3位の駿足』
 
 『スタートで緊張しなければ!』            

   と。 小学校全体で2位の6年生とコンマ数秒の差を、悔しがる孫息子。
   
       『おめでとう!
   コンマ数秒の差は、走る能力の差ではなく、経験の差がそうさせるのね。
    来年は、人生経験を積んで、学校一位の俊足は間違いなしね!』
          ・・・と。
       アスリートばあちゃんは、経験から出る『言葉』で、励ました。

 

   小6年生の孫娘・・・   『組体操』
  
  『流れるウエーブ』                  本当に美しい。


      孫娘も、アスリートばあちゃんの孫、個人走で一位となった。
     ”一瞬たりとも隣を走る人を見ることなく、前だけを向いて走るのよ!” 
       ばあちゃんのレクチャーが、功を成した! そうかな?

 

        ”下になる人に申し訳なくて…体重を減らそうかな?”
     

   毎日、足も体操服も泥んこ、真夏日の続いた毎日の練習、大変だったようです。

 

     頑張る孫たち。 静かに、目を離さず、見守るおばあちゃん。
       生涯のどの段階も、輝いて、それぞれに意味がある。

 

そして。

今日は6月1日。

        『聖ユスチノ殉教者 記念日』
     
  
 
2世紀初め。100年? サマリアのナブルスで、異邦人(ユダヤ人ではない)の家庭に生まれる。 

       キリスト教徒になった最初の哲学者。
   『護教教父』といわれる、最初期のキリスト教神学者の一人。


  アテネ・ローマで学び、さまざまな哲学諸派をへて、キリスト教にたどりつき、
      エフェソスで洗礼を受けた。

    アントニウス・ピウス帝の時代にローマへ赴き、
     そこでキリスト教的『哲学塾』を開いた。

      宗教に関する公開討論を行い、
     論破した哲学者の陰謀で捕えられる。

165年頃。 皇帝マルクス・アウレリウス治世下で、数人の弟子と共に、殉教。65歳頃。
                           『毎日の読書』より。


『今日の集会祈願』

『全能の神よ、
     あなたは殉教者ユスチノに、
  十字架の愚かさを通してイエス・キリストを知ることの素晴らしさを教えられました。
     聖人の取次に支えられて、
  わたしたちが誤謬を退け、不動の信仰に生きる者となりますように。』

 

   ユスチノは、
     イエス・キリストこそが、『完全なロゴス』。
      イエスは、『普遍的・神的ロゴス、純粋知性、完全な真理』。
          ・・・である。 と説きました。

     神のひとり子・イエス・キリストとして受肉したロゴス=神の言葉。

 

『今日の福音 イエスの御言葉

  
   イエス自身は、神の『ロゴス』、神と一体です。

 

   『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。

「あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。
     あなたがたはわたしの名によっては願いなさい。
   そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。

    父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。
あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。」』
              ヨハネ福音書 16章23-28節

 

    キリスト者は、
    イエスは神の御子である。 ことを知っています。
    イエスの名によって、イエスにおいて、御父・神に出会うのです。

       
       神は、『天におられる私たちの父』 なのです。

    
      私たちが、『イエスの名によって願う』とは、
    私たちがイエスを愛し、私たちがイエスを神の御子と信じたので、
 
  御父・神が、私たちの祈りを、『我が子からの祈り』としてかなえて下さる。
               ・・・ということですね。


       不思議なものです。

   は、私たち一人一人を愛し、一人一人を愛で包み込む方、満たす方です。
   人の親は、神様に似て、我が子を愛し、子を愛で満たしたいのです。

   イエスは、人類を愛し、『神の御言葉=神の約束』を実現なさる方です。
   おばあちゃんは、孫を愛し、孫を愛で満たしたいのです。


    神様も、親も、イエス様も、おばあちゃんも、心=愛は同じです。
     愛は神から出るものですから、不思議ではないですね。


   キリスト者の、ただ一筋:『愛にかける人生』:まっしぐら。
                     いいものですね。

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
3日間の大忙しの故郷来訪を終えて、在所に帰ってまいりました。
   あっちもよし、こっちもよし、ですね。 お元気で!     

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故郷再訪・・・『東京入国』 そして すべては神が主役なのです。・・・『モーセよ、あなたのカナンの国入国は許されない。』

2019-06-01 05:50:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

5月31日。金曜日。

  毎週金曜日は、聖書を生きがいとする仲間が集まって、『聖書100週間』 です。


クラス終了後。
夜8時50分。夜行バスに乗車。


 8時間半後。夜行バスを下車。
 そこはすでに。6月1日。土曜日。

 朝5時半。
  
 

   JR新宿駅前・・・     『わが故郷・東京』
 
 そこは・・・ 

           ビル。ビル。ビル。  トラック。トラック。トラック。
        私を含めて人も多く、すでに一日が始まっている。

     昨夜後ろにした、結婚以来40年間近く住む、『我が在所』とは別世界。
                                  『我が生地:故郷:東京』。

          それでも、故郷はいいものである。
        故郷への再訪に、いつも、訳もなく、思わず涙が出る。
       

  モーセとイスラエルの人々も、
        異国・エジプトとはいえ、
    生地である故郷:エジプトを離れて、砂漠の中で40年間・・・

 そして。  
     先祖たちの故郷であった『カナンの地』に入国寸前、
  

         どんな気持ちだったことでしょう?

     若きイスラエルの人々の、割り切ることのできない複雑な心を思い、

     聖書100週間の『モーセ五書の完読』で、思わず涙した私でした。
         

  
   私の『故郷来訪』 と イスラエルの人たちの『カナンの地入国』。
        その心が重なるようです。

  
 
 

そして。

『聖書100週間』
   
     その内容の濃さに涙しながらの、『モーセ五書』 の完読となりました。

   
 指導司祭様の言葉。
      『すべては、神が主役なのです。』
          神が主人公で、信じる者は神に仕える者なのです
      神が主人公であることを府に落せたら、
          その時が、『個人の過ぎ越し』 なのです。


私のつたない感想。その①。

      『熱情の神』 の代弁者は、
    
    『地上のだれにもまさって謙遜であったモーセ』 民数記12ー3 
        以外にはいなかったのです。
        
 モーセこそ、

  イエス・キリストに似て、『神の僕』:『神に仕える人』であった。ということです。

 

その昔。
    モーセ80歳。モーセの兄・アロン83歳の時。
      
  『主はモーセに言われた。
    「わたしはあなたを、パロに対して神のごときものにする。」出エジプト記7-1

       エジプト王に、イスラエルの民の脱出を、説得します。

脱出成功後。 
 
    80歳のモーセは、
    荒れ野を、神の命ずるままに、
       『神の約束の地・カナン』
を目指して、出発したのです。

 
   わがままなイスラエルの民(徒歩の男子で60万人)出12-37 (家族を含めて150万人以上?) 
  
      を率いて・・・・   40年間。

『主はモーセとアロンに言われた。
 
  「わたしに向かってつぶやくこの悪い会衆をいつまで忍ぶことが出来ようか。

       

 あなたは彼らに言いなさい。

 わたしは生きている。あなたがたが私に耳に語ったように、わたしはあなた方にする。
     あなたがたは、死体となって、この荒野に倒れるであろう。
     あなたがたの死体が荒れ野に朽ち果てるまで40年の間、
  自分の罪を負い、わたしがあなたがたを遠ざかったことを知るであろう。」』
                           民数記 14章26-35節


   神への『背信の罪の償い』として、
      イスラエルの民は、

 ①エジプト脱出後、砂漠の中で、過酷な日々の40年間を送る。
      ②『カナンの地』に入国前に、全員(二人を除く)死ぬ。
               
・・・と。モーセに予告する神です。

 

そして。
更には。

 

  モーセ120歳。

     『目的地・カナンの地』を目前にして、『神の宣言・裁き』 が降されるのです。

      『主はモーセに、
     『あなたはこのヨルダン川を渡ることができない。

      あなたの神、主はみずからあなたに先立ってわたり、
    あなたの前から、これらの国々の民を滅ぼし去って、
        あなたにこれを獲させるであろう。
        
  

      また主がかって言われたように、
      ヨシュアがあなたを率いてわたるであろう。』

             申命記 31章1-3節
                
                 ・・・と。言われた。


       モーセは、納得できたのでしょうか?


  
   最期を迎えるモーセ。 120歳。

  『モーセはモアブの平野からネボ山に登り、エリコの向かいのピスカの頂に行った。』
  
       神は、モーセを愛し、『カナンの地全土』を見せました。

     『そこで主は彼にギレアドの全地をダンまで示し、ネフタリの全部、
         エフライムとマナセの地およびユダの全地、
      すなわち、しゅろの町エリコの谷をゾアルまで示された。
          
         そして主は彼に言われた。

        「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに、
     これをあなたの子孫に与えると誓った地はこれである。
  わたしはこれをあなたの目に見せるが、あなたはそこへ渡って行くことはできない。」

        こうして主のしもべモーセは
    
    『モーセの死』             ミケランジェロ作品
    潔い。最期は只一人。カナンの地:神の国:天国を眺めながら。美しくも哀しい。素晴らしい絵画。いとよし。私もかくありたい。

          

        主の言葉とおりにモアブの地で死んだ。』
                申命記 34章1-5節



 人が、神が中心であると認めて、『自分の過ぎ越し』 を実現するためには、
  苦悩と戦いの日々を、40年間、過ごす必要がある。 ということなのです。

      モーセは『荒れ野』での40年間。イエスは『荒れ野』での40日間。
            私も『結婚生活』での40年間が必要でした。

 

私の感想 その②

      『モーセの人生』は、神に導かれた、『奇跡』 そのものでした。

 幼児期~青年期。

     『一歳未満のイスラエル人男児を殺せ!』と命令した王の娘・王女に、
   

           拾われ、育てられた、
             イスラエル人のモーセ。
   
      ・・・これは、モーセの奇跡の人生の始まりでした。


   活動期。

      エジプトの王子のように育ったモーセは、
        同胞が、エジプト人の役人に打たれるのを見て、
            役人を殺害。
         追われる身となったモーセ。

 

   平安期。

       追われながらも、身を隠し、家庭を持ち、子どもも生まれ、
           平穏な生活を送るモーセ。

                   ・・・これは奇跡そのものですよね。


   老年期。

 80歳になったモーセが神の召命を受け、生誕地・エジプトに戻り、エジプト王に交渉して、
         エジプトに住む120万人くらいのイスラエル人を、
       『神の約束の地・カナンの地』に、
             導き上る40年間のモーセ。
                   
                  ・・・これも、奇跡そのものですね。

  
   モーセ自身の『過ぎ越し』

      120歳にはなったが、まだまだ元気なモーセは、
    納得し難い神からの宣言:『カナンの国への入国不許可』を、

         『神の意志』と受け取り、
        自分の『不信の償い』として、
          又。
     イスラエルの『民の贖罪』として、
←全くの私見です。
          神に従順を果たしたのです。


     ここで、『モーセ個人の過越し』が完成したのです。
 自分の思いを捨て、モーセの中で、完全に、『神が主人公』になったのです。


         
    『モーセ終焉の地「ネボ山」の記念聖堂』

   


 私は、
   『モーセ五書』を読み終えた今、感謝あるのみです。感謝!感謝!
             
      モーセの生き様を学び・・・
   神が、いかなる時も共にいて、守ってくださる。
          ・・・と。 我が『信仰が確信』に変わりました。

     

 私も、
   モーセのように・・・
        『自分自身の過ぎ越し』を完成したい。

    キリスト者にふさわしい終焉を迎えたいものです。
               頑張ります。 ファイト!ファイト!

                                   以上。モーセ五書を読み終えた今日の私の感想の一部でした。お粗末様でございました。

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
先人たちの偉大な人生は、知ることから、私たちの人生が修正されていきますね。 お元気で!

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