マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

蓮ちゃん・・・『同好会・クラス会』  そして キリストが与える・・・『まことの自由』

2019-06-18 16:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

 6月18日。火曜日。

   一昨日・日曜日の『大学同好会 と 昨日と今日の一泊の『高校3Dクラス会』。
          蓮ちゃんの『卒業校校友会』となった。
        東京の『3Ⅾクラス会』は、今年は欠席とした。


   3Ⅾクラスメイトの作品・・・ 『Welcome ボード』
   
       毎年、クラス会出席者全員に『手作り』のお土産を下さる友人です。
    今年は欠席の私にも、『手作り・wekcomeボード』を、特別に送ってくださった。
                     今日も友から『愛』を学ぶ私です。感謝。


   『高校3年Dクラス』は、
        男子30人と女子10人のクラス。
    男子校だったので、私は 私でももてた楽しかったな
        皆がとても仲が良かった。

     高校卒業の翌年から『3Ⅾクラス会』が始まった。
      始まりの頃は、2~3年に一度のクラス会。
   社会の一線を終える頃から、毎年クラス会が開催されている。
    しかも、一年おきに、箱根で、『一泊クラス会』となった。


       昔の思い出話に花を咲かせることは、あまりない。
   まだまだ、医者、弁護士、先生、フリーアナウンサー、自由業現役者も多い。
   女子とは姉妹の再会、男子とは飲み友達の再会、というところかな?
      気心知れた昔からの同士です。 いいものですね。


       

そして。

今日は6月18日。年間第十一火曜日。

    今日は『まことの自由』とは何か?


『今日の入祭唱』

  『神はわたしを心に留めて救い出し、自由の地に導いてくださる。』
                       詩編 18章20節


『今日の集会祈願』

『聖なる父よ、あなたはキリストによって私たちを贖い、神の子どもとしてくださいます。
      あなたの愛を受け入れた民を顧み、
  御子を信じる人々に、まことの自由と永遠の喜びをお与えください。』


   神が与えて下さる『まことの自由』とは何か?


         聖書における『自由』は、
     社会的自由、政治的自由を指し示すのではなく、
  信仰者の自由ーー人間としての根本的な自由、を明示しています。

 『内的霊的自由であり、キリストの贖罪との関係で理解されている。』ガラテアの信徒への手紙5-1

 
  『人間は、一人の人(アダム)の罪の結果として、死に支配されるようになった。

又、聖にして正しいはずの律法が、人の罪のゆえに人を欺くものとなり、罪を世に作った。』
                       ローマの信徒への手紙 5章14節

  
   このためキリストは、人の罪を十字架において清算され、

      罪の価である死を克服されたのである。

    従って、『まことの自由』はキリストの救贖によって成立し、
     

    キリストにある自由にかかわって、キリスト者の自由が生まれる。

  
      それゆえ、この『まことの自由』は、逃避や解脱ではなく、

『キリストが示されたように、愛をもって互いに仕えるという重荷を負い合うことへの自由である。』
               ガラテアの信徒への手紙 5章13節

    
     罪から自由になるには、キリストの霊の助けによってであり、

     この『まことの自由』 にあずかるのは信仰によってである。
                   以上。 聖書辞典より。

 

          『まことの自由』を得たキリスト者は、
 

   キリストが示された『愛をもって互いに仕える』という『重荷』 も負ったのです。

 

   使徒パウロは、私たちキリスト者を励まします。
 

『今日の第一朗読 使徒パウロの言葉

  『あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、
         すべての点で豊かなのですから、
        慈善の業においても豊かな者となりなさい。

      わたしは命令としてこう言っているのではありません。
  他の人々の熱心に照らしてあなたがたの愛の純粋さを確かめようとして言うのです。』  
            コリントの信徒への手紙Ⅱ 8章1-9節


   
 神は、人間には自由な決断を行う能力のあることを認め、人間に『自由』を与えました。
  人間は、常に、祝福と呪い、命と死、の二者択一を迫られ、その責任が問われます。
       そんな人間が、『まことの自由』に到達するためには、
     神の恵み と 人間の自発的服従・信仰 二つ が必要なのです。

 

             使徒ヨハネも、愛の業に励むようにと、私たちを励まします。


   『私たちは、自分が死から命へと移ったことを知っています。
         兄弟を愛しているからです。
      愛することのない者は、死にとどまったままです。


      イエスは、私たちのために命を捨ててくださいました。
        そのことによって、私たちは愛を知りました。
       だから、私たちも兄弟のために命を捨てるべきです。

    子たちよ、言葉や口先だけでなく、行いをもって誠実に愛し合おう。』
                    
ヨハネの手紙Ⅰ 3章14-18節


『今日の祈願』

 『全能の父よ、私たちが、キリストの命のうちに、日々成長することが出来ますように。』

    
     人間としても、キリスト者としても、成長して、

  パウロが勧めるように、慈善・愛の業において豊かな者になりたいものですね。
                    頑張りましょう。ファイト。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
人生、何があっても『まことの自由』を心に保ち、平安でいたいものです。 お元気で!

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