マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

My東京・・・『しあわせ地蔵』 そして とこしえに揺らぐことがない・・・『主の道を歩む者』

2019-06-25 08:00:00 | 娘と娘家族

6月25日。火曜日。真夏日。


  『My東京』

その


   大都会・東京の駅前・・・   『しあわせ地蔵』
     

          『しあわせは歩いてこない。
       だから 
       歩いていくんだね。』
         しあわせ地蔵


 沢山の人人人人 沢山の車車車車 沢山のビルビルビルビル
    そんな中で・・・
 お天気の日も、雨の日も、雪の日も、真夏日も、寒い日も、
     『しあわせ地蔵さん』 は笑って、
 御自分の前を歩く人に、”幸せになってね!”と、丸いお顔で、微笑みかける。


    こんな、周りに動じない『お姿』が、私は大好きです。


その

 大都会・東京のとある一軒家・・・    『ヘンデル:ソナタ第四番ニ長調』
 

  
  テレビも漫画もゲームもなく、あるのは、おいしい料理と幸せの笑い声だけ。 
        そんな中で・・・  
     お天気の日も、雨の日も、雪の日も、真夏日も、寒い日も、      
        『バイオリン』を笑顔で弾いて、  
       『ヘンデル』が流れてくる 

     

    こんな、周りに動じない、『孫息子』が、私は大好きです。

 

そして。

今日は6月25日。 年間第十二火曜日。

『今日の詩編』

      『しあわせな人、神をおそれ、主の道を歩む者。
 

       あなたの聖なる山に住むべき者はだれですか。

  それは
     とがなく歩み、正義を行い、心から真実を語る者。
     言葉で人をきずつけず、友に悪を行わず、隣人をはずかしめない者。
     誓った事は自分の損害になっても変えることのない者。
     利息を取って金銭を貸すことなく、罪のない者の不利を計ることをしない者。

     これらの事を行う者は、とこしえに揺らぐことがない。』
                 詩編 15章1-6節
   

 
『今日の第一朗読 神の契約・約束

     『主は、ロトが別れて行った後、アブラムに言われた。

  「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。 
 

  見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。
       
あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。

   大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。
  
さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」


   
アブラムは天幕を移し、ヘブロンにあるマムレの樫の木のところに来て住み、

         そこに主のために祭壇を築いた。』
              創世記 13章5-18節

 

   『 アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。』
                    創世記 15章6節               

        主を畏れ、主を信じ、『主の御言葉』 に従ったアブラハム。
   アブラハムこそは、聖なる山に住むべき者。 とこしえに揺らぐことがない者。です。 

 

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉

『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。

  「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。
         これこそ律法と預言者である。

         狭い門から入りなさい。
  滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。
    
しかし、

  命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」』
             マタイ福音書 7章12-14節


  アブラハムの子孫であるキリストは、
       神を畏れ、 神を信じ、『十字架上の死』 によって、 
  『神の無償の愛』=『律法と預言』=『神の救い』=『狭い道』 を証しなさいました。

  
   キリストこそ、聖なる山に住むべき者。 とこしえに揺らぐことがない者。なのです。 


 
   私たち、キリスト者も、
     アブラハム、イエス、・・・、に続く、霊的一族です。

      
       神を畏れ、神を信じるとき、義とされるのです。

      『人は皆、 罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、   
        ただキリスト・イエスによる償いの業をとおして、
         神の恵みにより無償で義とされるのです。
    

          人が義とされるのは律法によってではなく、
            信仰によると考えるからです。』       
            ローマの信徒への手紙 4章21~28節

    
      私たちも、主を畏れ、主を信じ、救われるとき・・・
    聖なる山に住むべき者。 とこしえに揺らぐことがない者。 となれるのです。

 

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