マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『羊飼い』  そして 母の日

2014-05-11 20:00:00 | 私のこと
5月11日。復活節第四主日。

My勉強部屋にかかる
ミレー作品        『夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い』

1857年 ミレー43歳頃作品。                                   
山梨県県立美術館で、私が『絵』に出会ったのも私が43歳頃。    
    20年以上も我が家の壁にかかっている。
自宅にかかった絵は、そこに住む人の心の潜在意識に影響するとか。 私にも影響していたはず。
    『聞きなれた羊飼いの声に無意識について行く羊』 のように。

           今日・『主日の御言葉』
『イエスは言われた。
はっきり言っておく。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。
自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。
わたしは羊の門である。
わたしを通って入るものは救われる。 その人は、門を出入りして牧草を見つける。
わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。』
                                    ヨハネ福音書 10章3~4&9~10節

          イエスは、羊の門。 羊飼い。
    イエスを信頼する者は、イエスの声を知っている。 イエスについて行く。
  イエスは、自分について来る者を、豊かな牧草に案内して、食べさせる。 『命』を与える。
       しかも豊かに与える。満腹するまで食べさせる。 と約束される。
     信頼しあう者同士の 『豊かな生命の交わり』 がある。 感謝!感謝!


今年も届きました。
母の日のプレゼント。    

息子夫婦から 『Reed Diffuser Gerbera』         娘夫婦から 『アスパラガスの苗』
    
香料放散器 ガーベラの香り                  アスパラ用土も届きました 
「若い頃ガーベラのような人と言われことがあるのよ」        「自家栽培野菜はおいしいわね!」
私の声を聞き逃さなかった息子夫婦。                  私の声を忘れなかった娘夫婦。

          子供達夫婦 と 私。
    母の声を聞きわけ そして 喜ばしてくれる。 母は『命』を与えられる。
     信頼しあう者同士の『豊かな生命の交わり』です。 ありがたい。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。 子であるあなた様は御母を喜ばし、母であるあなた様はお子様に感謝。 嬉しいですね。

『まず愛されている』   そして 日本人形

2014-05-10 05:00:00 | 絵画。写真。
5月10日。復活節第三土曜日。

5時。
久しぶりの早朝ラン。 日が長くなってすっかる明るい。 やはりこれに限る!

いつものプロテスタント教会の掲示板。 『今週の一言』。 
           『まず愛されている』。 でした。

       『まず愛されている』 を読んで考えました。
     人は  ”まずは愛さなくちゃあ!” と分かっていても。  
       ”まずは愛されるのが先!” そう願いますよね。
     神様は  違うんです。 『まず愛する』 お方なのです。 

『神は独り子を世にお遣わしになりました。その方によってわたしたちが生きるようになるためです。
ここに、神の愛がわしたちの内に示されました。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。
ここに愛があります。』                       ヨハネの手紙Ⅰ 4章9~10節


           神の愛は、愛される前に、まず愛する愛。 
       無条件で、見返りも求めず、人間を愛してくださるのです。                 
            『無償の愛』 『本物の愛』 です。
       人間は、神に『まず愛されている』のです。 確かな事実です。


続けて聖書は語ります。

   『愛する者たち、
神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。  
いまだかって神を見た者はいません。
わたしたちが互いに愛し合うなら、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。』
                                   ヨハネの手紙Ⅰ 4章11~12節

          人は、誰かに愛されていることが分かると、強くなりますよね。 
         お人を愛する強さが、体の中からモリモリと湧いてきますよね!  
                 愛の連鎖反応です!

           ”あの人の愛が足りない!” なんて。 
         神の愛に満たされて・・・贅沢は言わないことに致しましょう!
                   頑張ってみましょう。

          私たち人間は、『神にまず愛されている』 のを知っているから
            人を愛せるのです。 それで良いのです。


午後は・・・
久しぶりの絵画教室。
愛を一身に受けて・・・愛らしい   『日本人形』

                                  先輩が描けば・・・『愛くるしい』
  
                    まず自分の好きなことが出来ると・・・心が満たされて、愛せるかもしれませんね!

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。 『愛の連鎖反応』で、世界を明るくしてまいりましょう!

****************
記録  
今日・10日の ラン距離:15km

今朝も走っているのは、Myラン師匠たちと私だけ。 本当に走るのが好きな仲間たちです。
  5月走行合計距離:37km

人を信じる  そして  神を信じる

2014-05-08 13:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
5月8日。復活節第三木曜日。

復活節
キリストの復活祭(4月20日)~ 聖霊降臨祭(6月8日)までの50日間。 キリスト教信者には大切な時期です。
復活節中は、
キリスト教信者は、すでに受けた秘跡の意義を深めることを中心に、自分の信仰生活を深めるために、力を注ぎます。
     たとえば
毎日の典礼で=ヨハネの福音書、手紙と黙示録,使途言行録=を読みながら、信仰を深めます。

で・・・
       『今日の御言葉』 

『エチオピア女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、帰る途中であった。
彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。
(同じ道を通る、)使徒のフィリポは口を開いて、聖書のこの箇所から説き起して、イエスについて福音を告げ知らせた。
宦官は言った。
「ここに水があります。洗礼を受けるには、何か妨げがあるでしょうか。」
フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。』
                                        使徒言行録 8章27&28&35~38節

           『人が人を信じる』
  ましてや、今日の宦官とフィリポのような、初対面同士が信じ合う。 
これってすごいことですよね。 人が人を信じる。 その『信頼の要因』は何なのでしょうか?

今朝の宦官とフィリポの二人の姿を振り返って・・・
     『人が人を信じる』。 『信頼の要因』。 を考えてみました。

まずは・・・

二人の置かれた状況。
   『そこは寂しい道である。
宦官は、エルサレムに礼拝に来て、帰る途中であった。 馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。
フィリポは、走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、
   「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。
宦官は、
  「手引きしてくれる人がいなければ、どうして分かりましょう」と言い、
      馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。
そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの箇所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。』
                                        使途言行録 8章26~40節

そして・・・

私にも見えてきました。
        『信頼の三つの要因』
① 二人の出会いの場所は、『寂しい』『静かな場所』です。 
       ギャチャギャチャと、騒がしい場所では、人と人の本当の出会いは生まれない。 ということでしょうか?

② 二人の状況は、ある『課題を抱えている』
   宦官は、礼拝のためにエルサレムに上る信仰を持ち、その意味を深く考えながら、信仰の『奥義』を捜し求めているのです。
   キリストの使徒・フィリポは、確信を持って、キリストの福音の『奥義』の宣教のために、派遣されているのです。

③ 二人のは、「相手の課題に応答する』、寛大で相手を受け入れる心の準備がある

       『寛大』の代表格の使徒パウロが、言います。
    『わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。
 ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。
 律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。
 律法を持っていない人に対しては、(わたし自身は)キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人のようになりました。
   (更に・・・)
 弱い人に対しては、弱い人のようになりました。
    わたしは、すべての人に、すべてのものになりました。 何とかして何人かでも救うためです。』
                                        コリントの手紙Ⅰ 9章19~23節

最後に・・・


分かりました。
      『人が人を信じるキーポイント』
         そのキーポイントは 『相手の立場に立つ』 ということのようです。

  寂しい人がいれば・・・ ただ「寂しい人の隣に居る」。
  悲しむ人がいれば・・・ 「悲しむ人と共に悲しむ」
  喜ぶ人がいれば・・・・ 「喜ぶ人と一緒に喜ぶ」
         
    『相手の立場に立つ』 そこには・・・「相手の立場のみが存在する」。「わたしはない」。私の意見も助言もない。 なにもない。

         『相手の立場への共感』 のみ。共感のみが存在します。 ということでしょうか! 

宦官は、預言者イザヤの書を朗読しながら・・・「手引きしてくれる人」が欲しかった。
フリッポは、静かな道中宦官の隣に座り・・・宦官の求める「預言者イザヤの書の手引き」 のみをした。
     フィリポは、自分を語るのではなく、相手の立場で、相手の心の要求を満たしました。    

    その結果・・・
    宦官とフィリポの間には、『絶対な信頼』が生まれて、『相手を信じました』。 すばらしい!
    そしてすぐに・・・
    宦官は、信頼するフィリポにすべてを委ねました。 フィリポの宣べる『福音』に身をゆだねました。 信じてその場で洗礼を受けました。

私なりの結論が出ました。

   人は、自分がどんな人間であれどんな立場であれ・・・
     その自分を、受け入れ共感して共に居てくれる人。・・・ その『人を信じる』 のです。

次は・・・
   『神を信じる』です。

こちらは難しい。 人は、見える『人への信頼』は簡単だが、見えない『神への信仰』は難しい。 ですよね。

『神を信じる』・・・
           『今日の御言葉』

    『イエスは人々に言われた。
「わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。
預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。
父から聞いて学んだものは皆、わたしのもとへ来る。
父を見た者は一人もいない。神のもとからきた者だけが父を見たのである。」』
                                   ヨハネ福音書 6章44~46節

まず・・・

『今日の御言葉』を読んで分かったこと。

神・イエスはどなたでしょう? 神・イエスのアイデンティティーは?
  ①神からこの世に遣わせられた方 ②神の御子 ③神を知る唯一の方 ④神を教えておられる方 ⑤神の業を行う方
神・イエス信じる人とは?
  ①神・イエスのアイデンティティーを信じる人 ②神・イエスに希望をかける人 ③神・御父に引き寄せられてイエスの元に集まる人

そして・・・

分かりました。

   人は、御父・神に引き寄せられ そして 信仰を頂き・・・その『神を信じる』 のです。

        『わたしを見ないのに信じる人は、幸いである。』  ヨハネ福音書 20章29節
             神を信じることは、神からの恵みで、人の人生のチャレンジです!
                            チャレンジは、人生の醍醐味です。何事でもいつでも楽しい!

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。 素敵な週末をお過ごしください!

『御父の御心は永遠の命を得ること』 そして 女流画家二人

2014-05-07 10:30:00 | 絵画。写真。
5月7日。復活節第三水曜日。

今朝も・・・
一日の始まりは、  『今日の御言葉』 からです。

  『イエスは人々に言われた。
わたしが天から降って来たのは、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。
わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることである。」』
                             ヨハネ福音書 6章38&40節
2000年程前。
神:私達の御父は、『御自分、神の御心』を行わせるために、御自分の大事な独り子:キリストを、この世に派遣しました。
現代でも。
人が、自分の意向を伝えるために、だれかをある所に、派遣する。 ということは多々ありますよね。 ミッションです。

アメリカ・ケネディー大使。
3月28日。東京ドームでの読売巨人軍開幕戦で・・・  
         『始球式』

アメリカ・ケネディー大使は、
アメリカオバマ大統領の意向を行うために、日本に派遣されました

   キリスト大使 も ケネディー大使 も責任重大です。
     大使たちは、派遣者:ボスの御心や意向を、間違えては大変です。

キリスト大使は・・・
キリストをこの世に遣わした方・神の『神の御心』を行うために、この世に派遣されました。
しかし
人間が、『神の御心』=『皆が永遠の命を得ること』をなかなか理解しないので、『任務遂行』のために自分の命を捧げました。任務完結です!
  キリストは、派遣の任務完結のために・・・人間が、『永遠の命』を得て そして 終わりの日に『復活する』ための、『道』を築きました。
ケネディー大使は・・・
日米の2国間協力の幅広さを築くために、何をなさるのでしょう? これから手腕の見せ所です。 お手並み拝見ですよね!
大使達を迎える私達は・・・
信仰が出来たのは、派遣されたイエス様のお陰。 派遣した神様 と 派遣された神様・イエス 両者からの恵みです。 感謝するのみです。
         皆で・・・感謝!感謝! ありがとうございます!


昼前から・・・    
GWが終わって、今日は美術館もすいているでしょうと、出かけてきました。

まずは.一つ目。
         『香雪美術館』

朝日新聞社の創業者・村山龍平が、昭和48年(1973)開館。
神戸御影の住宅街の一角の  『玄関口』   そして    会館へ続く  『中庭』

村山龍平が蒐集した日本,東洋の古美術コレクションなどを収藏する美術館として開館。

いつも・・・
”どんな絵かしら?”  『美術館入り口』           期待に胸高鳴なりますよね! 

                                開催中 『森田りえ子:花らんまん展』

舞妓。花。着物。髪飾り。 等等。    一つ一つに命を感じます。             感動に、
  
                                            同行した友人とは離れて…只一人で。 それしかない!                
                     日本の美しさです。

    

                     58歳の女流画家です。

  


優しい絵に心を満たされて出て来ると・・・
庭に咲いていました。     『椿:花大臣』    そして     『アメリカ岩南天』

                                    絵もそして自然も、美しい!

    小学校卒業まで私の遊び場だった『御影』。  懐かしい!

そんな見慣れた場所で。二つ目。
                『世良美術館』

ピアノ教授でもあった世良臣絵(せらとみえ) 
自宅を改造。   『個人美術館入り口』  そして   『ピアノリサイタルも行われるロビー』          

世良臣絵
6歳: 大正6年。 現在進行中のNHK 朝ドラ主人公『花』が勉強する『東洋英和女学院』に入学。 卒業後~亡くなるまでピアノ教師として生きる。
29歳: 結婚。
37歳: 小磯良平氏と知り合う機会があり、本格的に画業を開始。
56歳: 一人一年間フランス遊学。 一人・・・ひたすら 描く! そして 描く!
71歳: 夫死去。
                   『アザミ』    


81歳: 平成4年。 長年の夢は、 ヨーロッパで数多く見た、『小さなかわいい個人美術館』 設立でした。
    そして夢を実現しました。       
     自宅を提供して…来館者が日常を忘れて、”ほっ!”とする、『世良美術館』 を開設。

   『バラ』               景色画も多い。

『自然光』があふれる館内。                      窓からの『緑』        
        世良臣絵 の希望だった『ゆったりとした時間』が流れます。      私も大好き!

98歳: 夫の死去から27年間。 『世良美術館』の中で・・・一人で住み。ピアノを弾き絵を描き。 ピアノを教え絵を教える。 
        ピアノ教師。 妻。 画家。 絵教師。 美術館経営者。 そして…人生を終える。 死去。

以上。
”絵をもっと描きたい!” "着物をもっと着て日本文化を大切にしたい!” ”いくつになっても夢を忘れないで!” と。
      背を伸ばして。 凛として。 気高く。 豊かな人生を。 と。 心を燃やした一日でした。     諸写真はネットから拝借です。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。 いくつになっても・・・心に夢を! 心に情熱を!

****************
記録  
今日・7日の ラン距離:5km

お出かけ前の一ト走りです。
GWが終わりお仕事の人たちが駅に向かいます。仕事を卒業したシルバーアスリートのラン時間です。

  5月走行合計距離:22km

『決して渇くことがない』・・・・一日一本で喉を潤した私のGW。

2014-05-06 22:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
5月6日。 復活節第三火曜日。
GWもいよいよ今日で終わりですね。 皆様はどんなGWをお過ごしでしたか? お幸せでしたか? そうでありますように!

私のGW:2~6日は、
家で過ごす、穏やかな5日間でした。 お陰様で幸せでした。

集中的に庭仕事のGWでした。
で・・・。喉の渇いた私を潤した・・・    『一日一本』

左から・・・ 2日と3日のみがワイン。 4日と5日と6日はビールでした。  
                         GWの私の酒・・・以外の、少な目でした。

今朝。
      『今日の御言葉』
   『イエスは言われた。
「わたしが命のパンである。
わたしのもとに来るものは決して飢えることがなく、私を信じる者は決して渇くことがない。」』
                                    ヨハネ福音書 6章35節

     庭仕事をしても・・。走っても・・。遊んでも・・。
  お腹がすきますよね。ペコペコ。  喉だって渇きますよね。カラカラになりますよね。

  決して飢えることがない『命のパン』。 そして 決して渇くことがない『命のパン』
      「そんなパンなら・・・私に下さい!」 と言いたくなちゃいますよね! 

イエスは言われるのです。
「私の元に来れば飢えることがない! そして 私を信じれば渇くことがない!」 と。
  イエスご自身が、飢えることも渇くこともない、『命のパン』です。  と言われるのです。

     皆様! 『命のパン』  を信じることが出来ますか?

私は、『イエスの命のパン』を信じることが出来るのです!  確信しているのです!
    イエスの足もとに行き・・・。イエスを信じる時・・・。
私は、精神的に満たされて平安で、決して渇くことがないのです! 私の内では、経験済みで立証済みです! 
    

今日は、一日中
昨年の10月からの『家計簿整理』でした。
   私の家計簿管理なんて…年を越して そして 7か月分さぼって。 この程度のものなんです
それでも・・・
   昨年からの7か月分の領収書の、家計簿への記帳を終えました。 
ただし・・・
   私…年を大きく重ねてからは 家計簿への転記のみ。 収支合わせもない。 年収計もない。 勿論…反省と決意もない。 
         ないない。  ないないづくしです   

更に・・・  
私には、不思議なことに、いついかなる事態の時でも、『神様への絶対的信頼』 があるのです。

赤数字で埋まった私の家計簿ですが・・・ 
    「私は決して飢えることはない!」 と。  『信じて…脳天気』。 の私なんです  

以上。
ビール一本。ビール350mlで、GWを終えた私でした。 
ビールで喉を潤して・・・『決して渇くことがない』 と信じて。 
    『キリストとともに生きることにもなると信じます。』 ローマの信徒への手紙 6章8節

皆様!
御訪問に感謝申しあげます! GWで英気を養って…明日から又頑張りましょう!

『湖の上を歩く』 そして お見舞い

2014-05-05 22:20:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
5月5日。復活節第三月曜日。 
復活節は、特に選ばれた、『人々の信仰を深める御言葉』、が朗読されるそうです。

      『今日の御言葉』
  『弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見た。
群衆は、「先生、いつ、ここにおいでになったのですか」と言った。』
                          ヨハネ福音書 6章19&20節

聖書は、
『死んだイエスがよみがえり、復活した。』 と証言しますよね。
そして今日は
『イエスが湖の上を歩いた。』 「どのようにしてこちらに来たの?」 と。証言しています。

  私たち人間には出来ないこと、湖の上を歩いたり死んだ後によみがえったり。 イエスは出来てしまう。
     これって・・・信じられますか?

神は、
本当にキリストの父であり私たち人間の父でもあり、私たち一人一人を愛して下さり、赦してくださる方である。
キリストは、
その『父』を私たち人間に教えるために、神からこの世に遣わされた方です。
  このお二人・神を信じます。 これが信仰です。 人生のチャレンジですよね。 『神の全能』に私の人生をかけることです。


昨日・日曜日。
友人が、具合が数日すぐれず、ミサを休まれた。

私は、お見舞いのFaxを、日曜日夕方にしました。
「お具合いかがですか? お大切にね。 今日のミサの『神父様の説教文』をFaxします。」 とか何とかと書いて。
友人は、耳が聞こえない。
私と意志の疎通は筆記です。 連絡は、電話をしても聞こえない、Faxです。
ミサの時は、友人の隣に私は座って、『司式司祭の説教』を同時筆記する。 友人は同時にそれを読む。
    「助かります」 と喜んでくださる。  私もお役に立てて嬉しい

今朝。
友人は、昨日の私のFaxを読んで、私にFax を送ってきた。
「こんな風に説教の要約を書いて戴くと、全く、味わいの違うすばらしいミサになり、
どんなに沢山の方が、イエスを身近に感じることが出来、信仰を深めることが出来るだろうかと 思います。」 と。
     友人は、他の聞こえにくい方たちのことを、思いやっている。

友人のFaxを読んで・・・
   『信仰を深めるために私の出来ること』
 自分のために出来ること。お人のために出来る小さなこと。 等等。 私は考えさせられています。

先日来・・・
新しいクリスチャンの友人が私に出来ました。 その方は、耳が聞こえない。 そして更に お話も出来ません。 二つの不自由がある。
   ミサの中で・・・その人のために、『ミサ式次第』の今読まれているページを指し示し、教えてあげる私です。
そして更に 『司式司祭の説教』 も、コピーしてFaxして、差し上げるべきか?  先日来…悩む私です。

        仲間には、
  教えているつもりが、教えられているほうが多い私です!! 私の未熟さを思い知らされます。 感謝です。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。 この世を愛で埋め尽くしたいものですね!

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記録  
今日・5日の ラン距離:12km
途中で、ラン師匠's師匠にお会いして、一緒に走った。 
  途中で、速さについていけず、ご一緒をGive up! では又! と 
Give up時点で・・・師匠はいつものフルコースへ。私はshort cutコースへ。 そして終着地点へ同時到着! 師匠はお早い! 私が遅すぎる!

  5月走行合計距離:17km



『復活と野菜』・・・希望は神にかかっているのです

2014-05-04 18:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
5月4日。復活節第三主日。 主日のミサは朝9時からです。 

日曜日午前中。
GW中の日曜日で…御聖堂はいっぱいでした。

       『今日の御言葉』
   『愛する皆さん、
あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。
従って、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。』
                                   使徒ペテロの手紙Ⅰ 1章21節
思い出します。
       『 昨日の御言葉』
『わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。』
                                   ヨハネ福音書 10章10節
   『キリストは人間のために命を捨てる。』 と。

      二つの御言葉を合わせて考えれば、はっきりしますよね。

神は・・・
まず・・・御独り子・キリストをこの世に遣わしました。
次に・・・この世で、その罪のないキリストを私たちの罪の身代わりとして十字架にかけて殺しました。
そして・・そのキリストをよみがえらせ復活させて、永遠に生きる『救い主』としてくださいました。
キリストは・・・
神と共に住んでいたキリスト。
『神の身分でありながら・・・神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
          かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。』
                                    フィリピの信徒への手紙 2章6節
人間の姿で現れたキリスト。
宣言しました・・『わたしは良い羊飼いである。羊のために私の命を捨てる。』 と。
宣言通りに・・・すべての人間の罪の身代わりとなって、神と人間の和解のために、
          『へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで(神に)従順でした。』
                                    フィリピの信徒への手紙 2章8節
        ・・・人類の救いのために、ご自分の命を捨てました。
復活して・・・罪の許しが与えられた私たち人間に、『永遠の命』 を与えました。

   私たちクリスチャンは・・・
十字架上の死を引き受け その後復活したキリストを信じました。 信仰しています。 
キリストを信じ・・・そして そのキリストをこの世に派遣し 更に その死後に復活させた神をも信じました。信仰しています。
キリストを信じ・・・そして、私たちも、キリスト同様に、神によって、死後に復活し永遠の命を与えられると信じています。希望しています。
       ・・・『クリスチャンの信仰と希望は神にかかっているのです。』


日曜日午後。
GW中の日曜日で…半日中庭の手入れでした。

何とも美しい!       『花々』

でも・・

こちらは何ともかわいい!   『ぶどうの苗』

ぶどうの実がつく日を想像しちゃいます                           
                             初めての葉がでてきました!

そして・・

こちらも何ともかわいい!     『ラズベリー』   そして       『ブルーベリー』

                                            新葉がいっぱいでてきました
    実のなる果物と野菜作りに…挑戦してみましょうかしら!
で・・・。   午後いっぱい。 苗床作りに励みました。

以上。
GW中盤の一日でした。 
花も実も成る!と・・・神の働きを信じる私です。  神を信じて・・・喜びと平安と希望に満たされている私です

皆様!
御訪問に心から感謝申し上げます。 
皆様は果物や野菜をお育てですか? 私の息子と娘は以前から育てています。 私も皆様の仲間入りです。 ワクワクしますね!

****************
記録  
今日・4日の ラン距離:5km

ラン再開。教会出発前に 大急ぎで一走り。
年を大きく重ねると、孫と思い切り3日間も遊ぶと、疲れを回復に時間がかかるようになった。 やっと今朝回復! 

  5月走行合計距離:5km

『羊と羊飼い』・・・互いに知って。互いに愛し合って。

2014-05-03 16:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
5月3日。GWも本番ですね。 いかがお過ごしですか? 
毎日が日曜日の私は、GWに出かけることもなかろうと、家でゆっくり一人で、読書三昧です。

朝起きて・・・
まずは 
         『今日の御言葉』
   『イエスは言われた。
「わたしは道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、だれも父のもとに行くことはできない。
あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。 いや、既に父を見ている。
私を見た者は、父を見たのだ。」』           
                               ヨハネ福音書 14章6&9節
イエスは言います。
イエスは、父のもとへ行く道です。 と。
イエスを知ることは、神を知ることです。 イエスを見たら、神・御父を見ていることなんです。 と。


午後4時。
今日は、朝のランニングもせず、朝から夕方まで、ソファに座って、読書三昧。 
  夕方になって、体がなまってきて・・・ランニングコースを、写真を撮りながら、散歩です

我が家の三軒向こうは・・・   『バンクーバー村』

バンクーバーから・・・
  家や道路の材料を仕入れて、建造。 町並みもバンクーバー風に、再現しました。
この辺りは、ちょっと外国にいるような感じで、刺激を受けます。 "いいな~!


我が家の十軒向こうは・・・                        毎朝走る・・・
『月』モニュメント。 『貸し画廊・LUNA(月)』                『並木道』
    
玄関先の人形の洋服が新しくなりました。           こもれ日 美しい!
私は、貸し画廊で、自分の絵の個展を開ける日が来るのだろうか? 
  夢がありますよね。  ”いいな~!

どんどん歩くと・・・
朝ラン時の楽しみの、プロテスタント教会の 『今週の一言』
            『羊と羊飼い』 でした。
思い出します。
   イエスは、御自分を、『良い羊飼い』と言い切ります。 よね!

 『わたしは良い羊飼いである。
良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
  わたしは良い羊飼いである。
わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。わたしが父を知っているのと同じである。
わたしは羊のために命を捨てる。
                          ヨハネ福音書 10章10&14&15節

    『今日の御言葉』 と 『今週の一言』
共通点があるのが、面白いですね。 『羊と羊飼い』…互いに知っている。互いに愛し合っている。 よと。

 
良い羊飼いであるイエス様は、
ご自分の羊(人間一人一人)を、すべて「知っている」のです。
それは、
父なる神がイエスさまを知り、イエスさまが父なる神を知っている、のと同じように「知っている。」 とおっしゃるのです。


牧者であるイエス様の羊は、勿論、人間です。
イエス様は、
丁度、
父なる神がおん子イエスさまを知り・・・イエスさまがおん父を知っていらっしゃるように・・・
  人間の一人一人を知っている。 とおっしゃるのです。

御父と御子と同じような関係が、神と人間との間にもできる。 ともおっしゃるのです。
人間一人一人は神様親子の親密さのように神に知られているのです。

   『私を知ってくれている。』
これって・・・人として、とてもとても嬉しいことですよね。 
   『私は知られている。認められている。』 
これって・・・人として、とてもとても大きな喜びですよね。
   『共に喜んでくれる人がいる。』
これって・・・一所懸命努力したとき、苦労も吹き飛び、新しい力が出てきますよね。

     更に・・・
イエス様は、『あなたのために命を捨てる。』と。 二回も。 言ってくださるのです!
  ・・・事実! イエスは、人類のために、十字架上で、ご自分の命を捨てて下さいましたよね! 
                                神に感謝!感謝!

こんなことを考えていると・・

朝ランニングコースの
       『ため池』                    ため池前の木道で・・・『読書する男性』
  
私も、同じ木道で(少し離れて)・・・20分間、『読書』でした。      何をお読みなのかしら? 文庫本でしたよ!       
  美しく静寂で穏やかな場所です。      幸せな時間でした  ”いいな~!

池を少し行くと・・
『野口みずき』さんの会社前・・・    彫刻:『走れ!』                    
  
”そうだ! 私も明朝から走ろう!”                いつもの正面ではない角度から

以上。
ここで、今日の散歩は終わりです。 穏やかな私のGWの一日でした。 お粗末様でございました。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。 GWも残りまだ3日あります。 素敵な3日間でありますように!

分かち合い・・・パンと魚 そして 永遠の命

2014-05-02 06:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
今日は5月2日。金曜日。 
金曜日は聖書三昧の一日です。 
朝はミサと『今日の御言葉』。 午前中の『聖書深読会』。 そして 午後は『聖書通読会:聖書100週間』。 三連ちゃん。

ところが・・・
5月~7月の3ヶ月間の金曜日。 朝のミサと午前中の聖書深読会はお休み。 
国外から日本へ派遣された司祭が何年かぶりの休暇で、帰国中で、休みです。

で・・・
今日は、朝の『今日の御言葉』 そして 午後の『聖書通読会:聖書100週間』のみ。 二連ちゃんです。


朝の『今日の御言葉』。
  『アンデレが、イエスに言った。
「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では何の役にも立たないでしょう。」 
男たちは、そこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。
さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。
また、魚も同じように分け与えられた。人々が満足した。』
                               ヨハネ福音書 6章8~12節
    不思議な話ですよね。
たったパン五つと魚二つで、五千人の人たちのペコペコのお腹を満たしたなんてね!
そこで・・・
   イエスが十字架の上で死を迎える日の前日の 『最後の晩餐』 を思い出しました。
あの『最後の晩餐』の時も・・・
イエスは、パンを取り、感謝の祈りをして、『これは私の体である。』と、
   『パン』の形で、『御自身』 を弟子たちに渡しましたよね!

  今朝も、キリストは、有り余るほどの恵みを、5千人(全世界の人達)にお与えになる。 ということでしょう!

    私たち一人の力では出来ないことですが・・・
私たちが受けた恵み(パン五つと魚二つ)を、人に分かち合うならその恵みは増えて増えて皆に足るものになる。 ということ。
     奪い合えば足りず、分かち合えば余る
            ・・・ということではないでしょうか?

パンと言えば・・・
山崎パンの創業者は、クリスチャンで有名ですよね。
パンを売り歩きながら、『神は愛である』との旗を もって歩いていたとか。 なんとか。  素敵な話ですよね

そして・・・

午後は、『聖書通読会:聖書100週間』 でした。

私の心に残った『御言葉』。
    『ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。』
                                     コリントの手紙Ⅱ 4章7節
私達は、
先々週一週間、主イエス・キリストの十字架の苦しみと死とを覚えつつ、『受難週』を歩みました。
そして・・
主イエスのご受難、苦しみと死を覚えつつ歩んだ『受難週』を終えて、主イエスの復活を祝う日:『復活祭』を迎えました。
   ・・・十字架上の死。と 復活。 二つは切り離すことはできません。 『永遠の命』につながる二つです。

イエスのすばらしさとは逆に・・

私達は、
肉体と心と魂の全体が、壊れやすくみすぼらしく そして 罪と汚れに満ちた 『土の器』 です。

しかし・・
パウロは、『その『土の器』 に 『宝』 が納められている。』 と言うのです。
みすぼらしい壊れていく器。 そんな器には相応しくない 『すばらしい宝』 が、私たちには与えられている。 と言っているのです。

では・・・
その『宝』 とは何なのでしょうか。
   『並外れて偉大な力は神のものであって、私たちから出たものでない。』コリントの手紙Ⅱ 4章7節 
『宝』とは『並外れて偉大な力』。 『イエスの命』 です。。 『主イエスの復活の命』です。

   『主イエスの復活の命』=『永遠の命』が、この私たちの『土の器』に注がれ、現わされていく。 とパウロは述べます。
     みすぼらしい『土の器』を、中に納められた『宝』で、『輝く器』 に変身させましょう!
     ・・・そうすれば、私の中の『永遠の命』を、お人に分かち合えるかもしれませんね!


今日はここまでです。 私のお粗末な御言葉の感想でございました

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。 今年ならではのGWをお過ごし下さい!


帰ってきました・・・『永遠の命を得る』

2014-05-01 01:01:01 | 娘と娘家族
『今日の御言葉』
『天から来られる方(イエス)は、
見たこと、聞いたことを証しされる。 神の言葉を話される。
神が ”霊”を限りなくお与えになるからである。
御子を信じる人は永遠の命を得る。
                        ヨハネ福音書 3章32&34&36節

今日は、5月1日。木曜日。
孫娘の誕生日を祝うために、娘家族と共に、東京から松本へと移動していました。 そして 神戸に帰ってきました。

「さようなら!」
大切な人と別れる時には、「楽しかったよ!」と、感謝の気持ちを表したくなりますよね。

お別れに、
婿殿から私への              孫娘からおじいちゃんへ
  『Kindle Fire』                       『エルモ』
  
「読書好きなお母さん!                  「おじいちゃんへ
車中では、軽量な『電子本』で、                おじいちゃんににんぎうをあげるよ
お好きな本を読んで下さい。」                 おじいちゃんのたからものだよ、」
 ・・・優しいお言葉です。                     ・・・孫娘からのLoveletter です。

3日間の娘家族との日々・・・  
『若者の躍動と歓喜の日々』。  成長と情熱の楽しい日々でした。
家に帰り・・・
庭の花々が迎えてくれます。   『お帰りなさい!』

『熟年者の沈黙と厳粛の日々』。                 成熟と瞑想の日々に戻ります。

『今日の御言葉』。
神と共に住んでいたイエスだけが、
神のことを教えることがおできになる。神の言葉を話される。 と。
イエスは、上から来られた方。神から遣わされた方。 イエスにおいて、神が働く。聖霊も働く。 と。
そして
イエスを信じる人も、同様に、聖霊が与えられ、『永遠の命を得る。』 と。  

     なるほどね~!!

子供家族には『命』がつながり  そして  神からは『永遠の命』を頂く。

婿殿のプレゼントの『Kindle Fire』もつながりました。 出てきました。
       『変身』                     『第一ページ』
  
創作後50年過ぎた本は無料とか!     『古典』に力を入れてみようかな!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。 素敵なGWをお過ごしでありますように!
  孫との3日間のブログでお騒がせを致しました。 又の時もよろしく願い申し上げます。