マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

歴史探訪・・・『泉南の道・紀州(熊野)街道ウォーク』 そして 待降節第二主日・・・『人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』

2021-12-05 05:10:00 | 登山・ハイキング
12月5日。日曜日。快晴。

今日は、
山仲間と、
景勝地の登山ではなく、
『歴史探訪』でした。


10時。
阪和線長滝駅から出発。


      
      今日は、登山ベテランの山仲間の13人。
        歴史の道ウォークの出発です。

      人生のベテランでもあるお仲間たちと・・・
        歴史を学ぶのは、人生を考えること。
      思いっきり、自分の考えを述べながら・・・
   今日は、歴史を学ぶことによって、自分の生き方を新たに考えるのです。


  まずは、
          『蟻通神社 ありとおし神社
  

      紀貫之の歌集や「枕草子」に記載があり、
      多くの故事があることで知られているそうです。


   『温故知新』
    歴史には、未来がありますよね。
    未来は、過去から現代への延長線上にあります。
    過去から、歴史から学び、未来に生かしたいものです。


熊野街道に入って・・・
本格的ウォークの始まりです。

熊野街道は、
歴史を刻む、泉南の史跡・名所をたどる街道です。
平安時代から中世にかけての熊野詣」といわれたほど、
『信仰の道』として、
大勢の人が往来した道だそうです。

渡辺津から熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)への参詣時に
利用された街道の総称です。
当初は渡辺津から熊野までが一体として扱われていましたが、
近世以後は、紀伊田辺を境に、
紀伊路・中辺路と区分されるようになりました。
中辺路は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部です。

熊野三山参拝・・・
初の参拝者は、907年の宇多上皇。
1081年には藤原為房、1201年には後鳥羽上皇、1254年には藤原経俊が参詣。
他にも、のように沢山の人たちでした。
2010年には私たち夫婦が参詣でした♡♡



      『塙 団右衛門の五輪塔』
    
                    
 慶長20年(1615年)
     豊臣方と徳川方が戦った『大坂夏の陣』の櫻井合戦で、この地で討死した
     『璠 団右衛門の五輪塔』 です。 ときに48歳でした。
          
 

  歴史を学ぶことは、
  過去の過ちを学び、過去の誇りを学び、未来に対する洞察力を磨くことです。
  今現在の世の中の現状を正しく把握するためにも、歴史を知る必要があるのです。
 
   
      先人たちが歩いたであろう歴史の地を歩きながら・・・
        私も、先人たちに恥じないように・・・
        人としての生き様を修得するために、
          かの地を踏みしめます。


古い町並みやたくさんの史跡
の道です。

          『古い街並』
 

 古い遺跡・・・

       『熊野街道信達宿本陣跡』
 

   平安から室町時代は・・・熊野詣での人々に、
   江戸時代からは・・・  参勤交代の宿泊所として、利用されました。

      現代は・・・   個人宅となっていて、見学は不可でした。


更に、
熊野街道は、
『信仰の道』とも呼ばれました。


        『親鸞聖人 お立ち寄りの寺』
 

   入り口辺りに・・・
          『親鸞聖人 御像』
    

    入り口掲示板には・・・
      
    ☺『この心地良さはあなたの笑顔がくれたんだ』☺


ここまで歩んできて・・・
現代の聖人・ヨハネ・パウロ二世の
『言葉』を思い出しました。

 
   『戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命を奪います。
         戦争は死そのものです。
   過去を振り返ることは、将来に対する責任をになうことです。
     ヒロシマを考えることは、核戦争を拒否することです。
   ヒロシマを考えることは、平和に対して責任を取ることです。』

       1981(昭和56)年2月25日、
  ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が、広島平和記念公園の原爆死没者慰霊碑前において、
      核兵器廃絶を訴えた『平和アピール』です。


更に進めば・・・

         『往生院』
 

  679年。  天武天皇の勅願寺として創建されました。
  中世以前は、七堂伽藍を有する大寺院でしたが、
  豊臣秀吉の根来寺攻め、の兵火によって、堂塔すべてを焼失しました。

  創建者である道昭は、
  遣唐使のひとりとして留学した際、唐の僧侶玄奘三蔵の教えを受けたことや、
  行基の師としても知られる名僧です。 


更には・・・
            『樫井古戦場』
   

   1615年。徳川方の浅野長晟率いる5千の軍勢が、大坂を目指して北上。
       対する豊臣方は、大野治房の大軍2万が出撃。
         大坂夏の陣の『前哨戦の地』でした。


15時半。
南海電鉄・尾崎駅着。

  今日も楽しく・・・
  
    気心知れた山仲間たちと、歴史大好きな私は大嬉しの、
    『熊野街道』・『遺跡』・『古寺』など、歴史探訪でした。
    歩いた距離は 17、3km。30122歩。5時間半。でした。
              感謝!感謝!


そして。

今日は12月5日。待降節第二主日。

コロナ対策のための人数制限で、
私は、今日はミサには出ることができません。


   自宅で・・・    『二本目ロウソクに点火』
 

『今日の入祭唱』

  『シオンの民、エルサレムに住む者よ、主は、必ず恵みを与えられる。
   主は威厳ある声を聞かせ、御腕を振り下ろし、それを示される。』
        イザヤ書 30章19&30節


『今日の福音 イエスの御言葉』

     『皇帝ティベリウスの治世の第十五年、
      ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、
  ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、
  リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、
    神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。 
    
    『洗礼者ヨハネ』     ボッティチェッリ 作品

    そこで、
     ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、
   罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。

    これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。
    
       「荒れ野で叫ぶ者の声がする。
       『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。
     谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。
    曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、
        人は皆、 神の救いを仰ぎ見る。』」
              ルカによる福音書 3章1-6節


   今日のイエス様は、
   ガリラヤで宣教をして、ユダヤ人に『神の言葉』を述べました。


   洗礼者ヨハネは、
   皇帝ティベリウスの治世の第十五年、紀元26年、
   ユダヤの荒野、又 ヨルダン川畔で、宣教をはじめました。
   その宣教内容は、
   『メシア王国の到来』と『悔い改めによる準備の必要性』でした。
   『悔い改めのしるし』としての『洗礼』を授けていました。

   これらは、『イザヤ書』40章3-5節 に書かれている『神の言葉』です。
   ヨハネは、自分たちの弟子に、
     『私はイエスの到来を準備する者』であると宣言し、
     イエスを紹介し、イエスについていくようにと勧めたのです。


    イエス・キリスト様は、いつも、近くにいてくださる方です。
    羊飼いたちは、イエスの誕生のときにイエスを見いだし、喜びました。
    私たちも、近々のクリスマスで、イエス様を見つけて、喜びたいですね。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
『あなたはわたしを正しく裁き、掟を与え、我らの王となって、我らを救われる。』
       イザヤ書 33章22節    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
”快晴の青空です。大空を眺めながら深呼吸し、生きている喜びを感じました!”
と、NHKラジオのアナウンサーの言葉でした。私も真似してみました♡♡ お元気で!

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